第7話 名誉と嫌悪の授賞式
「に…にぶつ。」
煮物と二物によほど壮絶な『何か』があったのか、先生の目はもはや血走っておりました。
「そうッ。二物とはそう即ち『天は二物を与えず』その『二物』ッ!判ったかねッ」
「もちろんですともッ」
「判ったら復唱!にぶつ!」「にぶつ!」
「もう一度!にぶつ!!」「にぶつ!!」
かくして私は先生と、今後一切題名を読み違えないよう『にぶつ』の復唱に明け暮れたのでした…
・・・・
・・
・
時が経つのは矢の如し、あっという間に今は朝。今日は先生の表彰式ということで、我々もとい私めは朝食もそこそこに、式参列の準備に奔走しておりました。
「先生先生ッ!こちらのお着物、どう思われますかしらん。」
「着物…ああ、そんな着物持ってたの?」
一番上等のお着物を胸に当てた姿の私は、ガックリ膝を付きました。
「そうではなくっ…この着物が果たして晴れの舞台に相応しい装束であるかどうかという事をお伺いしておるというのに……なにせ折角の大舞台なのです…折角の大舞台におきましては、身なりも大切なマナアなのですッ!」
「玉雪君…一緒に行ってくれさえするなら別に良いんだけどサ…何かこう、式の本質を取り違えてはいないか。君の成人の儀とかそういうものと。」
「滅相もありません。それでは先生は、どちらに召し替えられるので?」
「ははっ、僕がなぜ召し替える?」
えっと思わず仰け反った私が見るにつけ、先生の格好はみすぼらしい訳ではないのですが、余りにも普段着です。
「えっ…、いけません。もっとこう、豪気に『正装』なさらなくては。」
「ゴーギニセイソウ??そんなもの持っていないよ。」
先生はあははと愉快に笑っていますが、真逆このままの格好で、壇上に。たちくらんだ私を尻目に先生は、窓の外を眺めつつ『今日は良い天気』など呑気この上ない事を呟かれます。嗚呼、式まであと少ししかないのに………
いても立ってもいられずに、私は頭を回しました。
「…確かあそこにお父様の正装が。」
「あッ玉雪君どこへ……って、前から思っていたが、なんて得体の知れない素早さなのだ。短距離走でもやっているのか。腕の力も人一倍だし、もしや人種が違うのか……?」
「私は純日本人でございます」
「もう居るッ!」
「場所が判然とせず少し手間取りましたが、お着物はこちらにございます。ササ早く、お召し換えをば。」
「この素早さで手間取っただと……」
「私の俊足が無駄になってしまいましてよ!!」
「嗚呼、分かった分かった!」
どうにかお父様の一張羅に召し換えられた先生と二人して、私は一路栄光の授賞式へと足を運ぶのでした。
・・・・・
・・・
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「ここか…。」
「なんて立派な洋館なのでしょう…。」
招待状に記されていた住所は、都内某所の豪奢な洋館でございましたが、その余りの荘厳さに心の声が漏れ出ておりました。
「發明館を同じ洋館として括るのが、申し訳なく思われますわ…」
「天国のご両親に聞かれていないといいけれど…あッ!いけない、そろそろ時間だね。」
「では、いざッ!」
いよいよとばかりに私が、立派なドアーへ手をかけた瞬間、背後で誰かが大きなお声を上げました。
「オヤ、これはこれは…本日の主役、黄堂大先生じゃアないか!」
そのお声の余りの高らかさに、私たち二人はギョッと身体を飛び上らせました。
『きどうせんせい』とはすなわち、世を忍ぶ先生が仮のお名前。高らかな声の主を見ようとした途端、先生は私をグイと道端の銅像へ押しやりました。
「きゃ!?」「君!隠れてなさいッ!」
半狂乱で私を陰にいざなった先生は、息付く間もなく顔を近づけ世にも恐ろしい目つきで『良いと言うまで絶対にここから出るな』と言いました。
私は唖然と口を開けましたが、理屈を捏ねるのが得意な先生の事。何やら深い訳があるに違いありません。とにかく今は立派な銅像から顛末を見守るほかないと、私は力強く頷きました。
立派な像の陰から改めて観察すると、先生に相対した声の主は世にも美しい殿方でした。
何よりその身長の高さは日本人離れしており、超然と自信ありげにそびえ立つご様子はさながら麒麟そのものです。さりとて刮目すべきは身長のみにあらず、西洋風に上げた栗色の髪に最先端の洋装と、それらはまた長い体躯と良くお似合いなのでした。
さらにさらには超然たる美の信奉者か、周囲にはあまたのご婦人が幸せそうに侍っているのです。どのご婦人もそれはウットリ殿方を見つめていらっしゃいますが、舶来当初の麒麟でさえもこれ程の羨望は受け得なかったでしょう。
殿方は輪の中心から、あくまで超然と先生に語りかけます。どうやら寸前に隠れた私には気づかなかった様でした。
「ヤア黄堂君、もとい黄堂大先生のご機嫌はいかがかな。まあ、本日の主役たるや君なのだからそれはもう、麗しかろうがね。」
麒麟めいた殿方、手短に言って麒麟の殿方は、美しいご婦人の渦中ではッはと高笑いなさいます。お言葉遣いは丁寧ながら、それは少し先生を馬鹿者じみた扱いに思われ、私は内心歯噛みしました。
そして、麒麟の殿方同様に微笑むご婦人方も、何と失礼仕(つかまつ)るのでしょう。そもそも彼女らは…真逆、周囲でオホホウフフとするためだけに、あれだけの洋装を?…否否私は、彼女たちのドレスに嫉妬しているのでは断じてありません。
一方の先生を省みると、屋敷を出た瞬間から少しばかり暗い雰囲気を纏っておられましたが、ここへ来ていよいよそれは漆黒の闇へ変貌しておりました。先生いわく、『屋敷の外へ出るだけで襲ってくる極度の心的疲労に相対するための殺気』との事ですが、いよいよその殺気も凄まじく、奈落から這い出たばかりの鬼よろしく麒麟児様を睨んでおります。
ちなみに先般、かの麗人を『麒麟の殿方』と評しましたが、それでは本物の麒麟と変わりないのでここからは『麒麟児様』とさせていただきます。
地獄の使者然としつつも先生は、ある種清々しいまでの美声で言い放ちます。
「いやあ、萬造寺(まんぞうじ)君こそ久しぶり、今日も一段と色男じゃアないか。周囲の皆様も、お元気そうで何よりだ。」
先生はそう言ってにっこり微笑んだつもりのようでしたが、先刻までの悪鬼めいた形相は簡単には消し去れず何とも不気味な能面のような顔になりました。
麒麟児様は先生の言葉を受け、は!と笑い放ちます。同様にさざめく貴婦人の笑み…真逆とは思いますが彼女達、あのように笑いさざめく為だけにあんな優美なドレスを召して…否否!私は洋装なんぞ、ついぞ着てみたいと思った事などございません、全く一度も……
麒麟児様は、なおも高らかに続けます。
「今回は僕にも相当な自信があったんだが…どうも我堂先生の『大恋愛小説』には敵わなかったよ。」
わざとらしく言葉を強調する麒麟児様に、お馴染ウフフのご共鳴……真逆、真逆とは思いますが彼女達、あのような侮蔑の輪唱をする為だけに、夢のように優雅なドレスを着込み…申し訳ございませんが、先刻から少し嘘を吐いておりました。齢一六井形 玉雪、只今絶賛、洋装をしてみたい盛りにございます。一度で良いからあのモッサリとしたリボンとレエスの山にて、全身を包んでみたいものでございます…あの優美な布の塊達は、どれ程フウワリしているのでしょう…いけない、麒麟児様がまだ話していたようです。
「…こともあろうに君が、恋愛小説の分野で傑作を生みだすとはね…それはさておき、君が経験したような恋を、僕もしてみたいものだ。」
周囲の貴婦人方は、オホ…と、どこかぎこちなくさざめきました。すかさず先生が、ふははっ!と不気味に嘲笑します。
「君、さっきから何を言ってる?僕なんぞより君の方が、そりゃもう明らかに詳しかろう。色恋が分からないならその辺の婦人にでも尋ねてみ給えよ。」
先生が適当に一人のご婦人を指差すと、途端に麒麟児様は厳しい表情になりました。
お二方とも中々にのっぴきならない形相ですが、どちらかというと先生の不気味な笑みの方が闇を纏っているだけに恐ろしく見え、私は誇らしくなりました。先生は、隙を与えず二の句を継ぎます。
「そもそも『あれ』が実体験に基づくとなぞ、誰が言ったんだ、僕はそんなこと一言も言ってないぞ。僕の小説はあくまで虚構、フイクシヨンなのだ…大前提じゃないか。」
先生は呆れ顔で言い放ちつつ、『2番獲る位だから分かるだろ』と呟きます。麒麟児様の顔は途端、真っ赤になりました。どうやら、麒麟児様は先生に次ぐ賞を得た作家先生のようでした。
「だ、だが君ッ…!」
上ずるお声で反駁を開始した麒麟児様でしたが、その論争は唐突に幕が下ろされました。先生の背後のドアーが、急にギイと開いたのです。
「アッ!お二方共こんな所で、一体何をやっているんですかッ!とっくに皆さんお集まりですよッ!」
中より現れたのはどうやら関係者のようで、必死の形相で先生を引っ張ってゆかれるではありませんか。ぐいぐい中へ連れ込まれつつ先生は、『玉雪君!』と叫びます。
「ハイ只今ッ!!」
私は弾丸の如く像を飛び出し、閉まりかけたドアーへと身を滑らせます。
かくして先生と私はようやく、表彰式の会場へ足を踏み入れたのでありました。
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