ハザマの死霊術師は冥界を誘う

語 おと

消された偶像編

絶望:王都からの追放



 ◆◆◆◆



 冬……。

 ゴミだらけでボロボロの路地裏で、一日を潰す。

 まるまって、なるべくあったかいものが逃げないようにする。体を擦って温めようとする。


 寒い……。辛い……。


 体を温めるものすら手に入らず、寒さで震えが止まらない。

 指先が赤切れて、冷たい空気に触れてチクリと痛む。

 息を吐き出すと、吐いた息が真っ白になる。息を吸うと、ズキズキと肺と喉が痛くなる。


 何日も、何も食べてなくて、お腹がすいた……。

 グゥゥゥ……と、大きな音でお腹がなる。

 この音を聞くと、自分が空腹であることを自覚させられる。

 自覚するのは嫌なことだ。

 わかってしまうと、気になって仕方がなくなる。

 どうせ……食べられるものなんてないのに……。


 喉が渇いた……。

 そういえば、何も飲んでない。

 気づかなければよかった。

 雪で舌が冷たくなって痛くなるから。


 でも、飲まないと生きられない。飲まないと、死んでしまう。飲まないと……。

 地面に落ちていない、自分の体に積もった雪を適当に掴んで口の中に入れる。

 冷たい……。

 痛みに慣れてきていた手から、刺さるように冷たさが伝わってくる。

 口の中に入れた雪が溶けて水になって、俺はそれをコクリと飲み込む。

 カラカラに渇いていた口の中が湿って、通りが良くなる。


 少しだけ頑張って、体に積もった雪をすべて口の中に入れ切る。 

 体はさっきより冷えなくなったし、喉も潤った。


 また……、長生きできるようになっちゃったな。


 俺は死にたくないけど、生きたくもない。

 だって、生きてても幸せなんてやってこないから。生きてるだけで、不幸しかやってこないから。


 ほら……、また誰かが来た。

 いつものことだから慣れたけど、気は進まない。

 今日は、殴られないといいな……。


「おい、黒髪。こっち見ろ」


 倒れている俺の前で立ち止まって、そう言ってくる。


 黒髪というのは、俺の呼び名だ。本当の名前じゃない。いつも誰かに呼ばれるときはそう呼ばれている。

 俺が黒い髪だから。たったそれだけの理由。

 だけど、嫌じゃない。好きでもない。

 呼べる名前がそれしかないだけ。俺は名前をつけられていないから……、俺も自分の名前がわからない。


 とりあえず起き上がって、声の主の方を俺は向いた。

 向かないと叩かれるかもしれないから。

 

 声の主はやっぱりいつもの太った大きな男。赤い髪と目のどこからどう見ても力のありそうな男。俺とは正反対の男だ。

 対して俺は、細くて、背も小さくて、力もない。


 声の主は、から落ち着いていそうだ。

 これなら、殴られないで済むかも……


 ーーゴツッ

 

 路地裏でそんな鈍い音が響いた。

 俺が男に殴られた音だ。


 頭を殴られた。

 体が軽かったせいで、横に少しだけ飛ぶ。

 ザザーッと地面と雪の中を滑った後、ズキズキと殴られた場所が痛くなってきた。


 痛い……、痛い、痛い、痛い、イタい!!


「……っ!! ………………」


 全身に力を入れて、歯を食いしばって、声を出さないようにしながら痛みに耐える。

 どんなに痛くても、泣いたらいけない。

 俺は、この痛みが、死にたくないのに死にたくなるような痛みが、大嫌いだから。


「こっちに目を向けるんじゃねえよ。その目は気持ち悪りぃ」


 声の主に目を向けないようにそちらの方を見る。

 ああ……、あっという間に真っ赤になって機嫌が悪い。怒ってる。もっと怒らせたらいけない。

 まずは謝らないと……


「……ご……ぇんぁ……なさい……ァ」


 謝ったら気に入らなかったみたいで、俺の頭を地面に押し付けるように踏んできた。

 グリグリと踏んできて、押されて、痛い。

 辛い……。

 こんなにも辛いのに、死にそうになるのに、なぜか俺は生きている。


 こうやって、路地裏で過ごして、そこにいるだけなのに男が俺を殴りにくる。

 機嫌がいい時は自慢話をくどくど聞かされるだけだけど、機嫌が悪い時は顔面を血が出るまで殴り続けられる。

 それが日常。俺の日常。


 だけど、周りの人は違った。

 人と話して、仲間と過ごして、幸せそうに笑って過ごしている。

 そんな人たちも俺を殴りはしないものの、笑ったり、道に落ちている小石を投げてきたりする。

 

 なんで、俺だけこんなことされるんだろう……。

 

 周りが何もされていなければ、嫌でもそう思ってしまう。

 俺は気づいたらここにいてただ生きているだけなのに、なんで殴られて、嫌われて、石を投げられているんだろう。

 俺には何もわからない。教えてもらえない。


「チッ……つまんねえやつだな」


 ガツッと俺を蹴り飛ばした後、男はどこかにさっていった。


 よかった。

 今日はだった。

 他の人を呼ばなかった。長時間連続で殴らなかった。それだけで、いつもより良い方だ。

 

 俺は、吹き飛ばされた場所から最初の位置に戻って、再び体を丸めて横になった。


 寒い……。

 それは最初からだ。辛いのも最初から。

 お腹がすいているのも最初から。


 痛いなぁ……。

 殴られた場所が、ズキズキと痛む。

 吹き飛ばされて全身を打ちつけたから、どの向きで横になっても痛い。どう横になっても辛い。


 もう、起きてしまおう。

 横にしていた体を起こす。

 起きていたくなかった。起きていたら余計にお腹がすくんだから。

 なるべくお腹は空かせたくない。

 内側から引っ張られるみたいになって、苦しくなるから。殴られた時に、防ぐことができなくなるから。


 ああ、そうだ。

 今日、近くで炊き出しがあるんだっけ。

 この国の聖女って人がやってくれるらしいけど。

 炊き出しって、食べるものがない人が食べるものなんだよね。

 俺でも、もらえるかな……。

 教会の近くでやってくれるのはわかっている。せっかくだから、行ってみよう。


 俺は、痛む体を無理やり動かして、教会がある方角に向かっていく。



 ◆◆◆◆



 ーーカツッカツ……カツ


「黒髪よ……」

「嫌ねぇ……。早くどっかに行ってほしいわ」

「あっちいけ! 死んじゃえ!」


 そういう声と共に、俺に石が飛んでくる。

 石そのものはそこまで大きくないから、当たっても痛くない。だけど、元々体が青くなってるところに当たるとすごく痛い。

 指で押すだけでも痛いのに、石を当てられたら痛いに決まっている。

 俺は、痛いところに当たらないように、腕でその場所を隠しながら、移動を続ける。

 

 ふと、他の人が他の人に石を投げているのが見えた。

 石を投げられている人は、すぐ、誰かに助けてもらえていた。

 助けられた人は、ものすごく嬉しそうだった。


 その人たちが、俺のことを見つけた。

 助けていた人も混ざっている。

 もしかしたら、俺のことも……


 そう期待したけど、ありえなかった。

 全員が石を投げてきた。

 誰か助けてくれないかな……?

 そう思って、周りを見渡す。

 そうやって見える、たくさんの人が俺へ向ける視線は、とてつもなく冷たいもので、見ていながら目を逸らしていたり、睨みつけていたりしているだけだった。

 助けてくれそうな優しい目なんて、誰一人していなかった。


 期待なんてしないほうがいいのかな……。

 なんて、考えてしまう。


 こんな、石を投げてきて、一方的に嫌ってくる相手に期待をしないほうがいいのではないか。

 そう思ってしまう。

 だけど……、もしかしたらって考えてしまう。

 もしかしたら助けてくれる人がいるかもしれない。

 そう考えると、どうしても期待するのをやめられない。

 今だって、教会で炊き出しをしてくれている聖女に期待をしているのだから。 

 もしかしたら、誰も助けてくれない俺のことを、助けてくれるんじゃないかって、考えてしまう。


 俺がくるまでどんなに楽しそうに話をしていたとしても、俺がきた途端、嫌うような言葉を投げつけてくる。

 なんでだろう……。ただ、道を歩いているだけなのに。

 俺は、人がいる場所を歩くことすら許されないのかな……。


 ずっと石や心無い言葉を投げかけられながら、俺は教会の炊き出しの情報があった場所に向かった。



「黒髪だ……」

「えっ!? 黒髪……」


 やっぱりこれだ。

 俺が黒髪なのを見ると、途端に過剰に反応してくる。

 俺になるべく近づかないように、後ろに下がって距離を置いてくる。


 あっ、食べ物の匂いがする。じゃあ、炊き出しをやっているって情報は間違っていなかったんだ。

 俺は、匂いに釣られてその方に歩いていく。


 炊き出しの列にはたくさんの人が並んでいた。

 その中には当然、俺と同じ黒髪のものはいない。

 俺は、炊き出しの列の一番後ろに並んだ。


 俺は聖女がどんな人か知るのを少しだけ楽しみにしている。

 聖女と呼ばれるくらいなら、俺みたいな捨て子を救ってくれるんじゃないかと思ってしまう。


 炊き出しの列は、スルスルと驚くほど早く進んでいった。

 俺が並んだせいで、前の人が一人、また一人と列を抜けていったからだ。俺はあっという間に炊き出しの最前列までやってくることができた。


 そこには、白髪青目の、俺より年上の女がいた。

 多分この人が聖女なのだと思う。周りには、たくさんの重そうな鎧をきた人がいたから。

 大きな鍋をかき混ぜていて、俺の方はまだ見ていない。

 俺の方を見て、反応を変えてこないといいな……。


「あっ、ごめんなさい。今渡しますね。よかったら、白聖教会の神々を信仰していただけると嬉しいです。では、神に祈って召し上がりくだ……」


 最初の話し方はいい人そうだった。

 まだ俺の黒髪を見てはいないが、今まで体験したことがないほど好意的な話し方だった。

 そして、ついに聖女である彼女が、顔を上げて俺の方を見た。

 少しずつ、聖女の話す声が小さくなっていった。

 そして、笑顔だった顔が少しずつ崩れ、拒絶を示す、殴ってくる男と同じような顔に変わっていった。


 ああ……、期待したんだけどな。する意味なんてなかったんだ……。

 俺の精神の大切な何かは、ポキリと折れてしまった。


「ああ、黒髪ゴミの方でしたか。申し訳ありません。ここには人に施すものしかないのです。黒髪ゴミは騎士に案内してもらいなさい。では、次の方」


 聖女も酷いものだった。

 男は殴ってくる。他の人は石を投げてくる。それよりも酷いものだった。

 俺には聖女とは思えなかった。


「聖女は、救ってくれないんですね」

「……私は、人しか救いませんよ?」


 大柄な騎士が俺の周りを取り囲む。背が小さい俺は、背が高い体格が良い騎士たちに見下ろされ、殴られる。


「聖女様の様をつけ忘れるな。黒髪のゴミが」


 そう言って、騎士たちは俺のことを殴り続ける。

 いつも殴ってくる人より力が強い。殴りも痛い。

 吹き飛ばされても大丈夫なように、背中を思いっきり踏まれて押さえつけられる。

 吹き飛ぶ心配がなくなり、思いっきり殴られる。顎を、頭を、腕を、足を、体を……。


「さあ、神に祈りましょう。この黒髪ゴミが生まれ変わり、幸せなものになることを。さあ!!」


 聖女とは思えない女は、その場に集まっていた者たちにそう声をかける。

 集まってきていた人々は、一斉に教会の方を向いて祈り始める。

 その間、俺は騎士にずっと殴られ続けていた。

 騎士たちが、笑っている。俺を殴って笑っている。

 殴ることは、楽しいのだろうか。嬉しいのだろうか。

 殴るだけで、幸せな気持ちになれるのだろうか。

 騎士たちは興奮している。

 から。笑ってなくてもわかってしまう。


 俺にはそうは全く思えない。

 殴るということは、殴られる側が痛くて辛くて苦しいということだ。精神が壊れてしまうまでを見るなんて……そんなの、耐えられない。


 痛い……。痛い。痛い。痛い。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、辛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。痛い!!


 ああ……。こんなに苦しいなら、最初から何も期待しなければよかったな。

 聖女なんて噂に騙されなければよかったな。

 聖女なんて嘘だったじゃないか。

 口調は丁寧なのに、俺を人扱いしていなかったじゃないか。ただ、髪が黒かっただけなのに、なんでこんな目に遭わないといけない。

 それに、黒が嫌いならなんで俺はこんなにも嫌われているんだよ。

 なんで……、黒以外の色もあるのに、殴られるんだよ……。


 なんとか教会……。ああ、クソ教会。

 これが広がっているせいで、黒髪が嫌われているのか。

 なんで、黒髪が嫌われているのだろうか。教えてもらったことがないから、俺にはわからない。

 理由もわからないまま、ただ嫌われる。

 俺は生きてるだけなのに。

 生きてるだけなのに、死ねと言われる。

 あれも、これも、聖女がクソだったのも、全部なんとかクソ教会のせいだ。


 もう、嫌だよ。

 死ねと言われるのが、石を投げられるのが、嫌なことを言われるのが、殴られ続けるのが。

 ただ、何も知らずに生きているだけなんだ。生きていたいだけなんだ。

 苦しくない、痛くない、辛くない、そんなふうに生きることがしたいだけなんだ。

 

 


 人が少しずつ去っていく。

 帰り際にわざわざボロボロになった俺に石を投げたり、ふんだりして帰ってくる。

 誰も助けてくれない。いつものことだ。

 体を何も動かせない。

 少しでも動かすと、痛みで体が引き裂かれそうになる。 

 動きたいのに、動けない。

 帰りたいのに、帰れない。そもそも帰る場所なんて路地裏しかないけど。


 聖女クソたちが、片付けを終え、教会に帰って行こうとする。

 その前に、聖女クソが、騎士たちに何かを指示した。

 痛みで何も聞こえない。だけど、嫌なことだろうということは簡単に想像ができた。


 一人の騎士が、倒れている俺の方に向かってきた。

 そして、片足を持って、ずるずると引きずっていく。

 地面と体が擦れて痛い。


「ーーーーーーーーー!!」

「ゴミが声を出すな」


 声にならない声をあげた。

 そしたら、勢いよく前に投げられた。

 俺は軽々と吹き飛び、地面に転がった。

 騎士は再び俺の片足を持って引きずっていく。

 すでにボロボロだった服が、さらにボロボロになっていく。

 全身に少しずつ擦り傷ができていく。


 そんなに黒が嫌なのかよ。

 話すのすら拒絶してくるのかよ。

 これが、聖女と呼ばれた教会の女を護る騎士か……。

 どっちもクソだなぁ……。

 教会の代表的存在。聖女が、あそこまで酷かったなら、教会もきっと全てあのような感じなのだろう。

 教会って、救ってくれないね。

 俺が信仰したいと思える神様なんて、いなかったね。

 救う人を選ぶ神様なんかがいたら、そんな神様いらないね。

 せめて、平等な神様がいればよかったのに……


 ーードサッ……


 俺は、外に放り捨てられた。

 王都の外だ。

 夜になると誰も出てこなくなる、外だ。


「ゴミは人の視界に入ってくるな」


 そう言い残して、騎士は去っていく。

 待って……。俺を置いていかないで!!

 絶対に期待できないとわかっていても、危険だと感じ取ってしまえば、誰かの助けを求めてしまう。

 

「じゃあ、門を閉めてくれ」

「おいおい、まだ、早えってな? 騎士様」

「少しくらい多めに見てくれ。頼むよ」


 騎士が、男に何かを手渡す。

 すると男は納得したように頷いて、門を閉め始めた。

 

 待って……。閉めないで、置いていかないで……!!


 力を振り絞って、痛みを我慢して、死に物狂いで、閉まっていく門に手を伸ばす。

 門の内側にいる騎士の男は、最後まで俺の苦しんでいる姿を見て………………








 …………楽しんでいた。








 置いていかないで……。

 最後の最後まで、俺は期待していた。

 もう絶対に期待しないと決めていたのに…………。



 

 

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