アルバム委員
第3話
窓辺の大きなテーブルの上にはPCが一台。その周りにはたくさんの紙、紙、紙。
PCの前に座っていた男子は、イスを回転させて振り返って私たちに微笑んだ。
「あ、鈴原か」
見知った顔に私はなんとなく安心する。
遙は私の手を引いて翔太のいるテーブルに近づき、イスに座るよう私に促して自分も隣に座った。
「お願いっていうのはね、私とアルバム委員を代わってほしくて」
「はい? ああ、これ、それね」
私はテーブルの上を指さす。おびただしいメモは卒業アルバムのためのものか、と納得する。鈴原翔太と月野遙はたしかクラスのアルバム委員だった。
「でも、なんで?」
首を傾げる私に、遙は微笑んだ。大人の微笑だ、とドキリとする。
「実は私、もうすぐこの学校からいなくなるから」
「えっ?」
「月野、お父さんの仕事の都合でイギリスに行くんだって」
翔太が肩をすくめた。
遙が頷く。
「みんな知らないんだ。夏前に受験の子もいるから、誰にも言わずにいなくなるつもり。先生にも了解済み。鈴原君には一緒に委員をしている以上、打ち明けたけどね」
「そ、そう……で、どうして、私なの?」
「生田さん、成績いいでしょう? あなたなら合格確実だろうし、責任感も強いから」
「それに生田、絵うまいし、PCの成績もいいしね」
遙の言葉に翔太も頷いて微笑む。
「なに、二人して褒め殺しですか?」
私は苦笑した。
「誰にお願いしようかって話になったときに、私が生田さんがいいって言ったら、鈴原君もちょうどそう言おうと思っていたんだって」
「なんでよ、鈴原と委員やりたいっていう子なら、ほかにもいっぱいいるよね」
にやりと笑う私のちょっと意地悪な質問に遙は苦笑し、翔太は肩をすくめた。
「おれ、ただ単に委員の仕事を全うしたいんだ。面倒なのは嫌だし、さくさく進めたい。おれに興味ない女子の中でも美的感覚に優れて文章の才能もあって事務処理能力に優れているのは、生田しかいない」
たしかに、ミカには芸術的な才能はない。漫画がうまい腐女子たちもいるが、彼女たちは男子どころか仲間以外の女子と話すのも苦手らしいし。
「はぁ」
「お願い、代わってくれる?」
「お願い、助けてくれる?」
二人は私に両手を合わせて同じポーズで小首をかしげた。私はふう、と息を吐く。
「わかったよ。じゃあ、アルバム委員も内申に書き足してもらうわ」
二人は笑顔でパチパチと手をたたいた。
週二回、放課後。
PC室で私は翔太とアルバム委員の仕事をした。
翔太は雑談をしてみるとなかなか面白い子だった。みんなの人気者なのがやっと納得できた気がした。写真を撮ることが大好きで、休日は海や山やダムや空港など、いろいろなところにひとりでも出かけるらしかった。
クラスメイトの写真もたくさん撮っていて、自然な表情をうまくとらえていた。芸大に進んで写真を学びたいと言っていた。
アルバム委員が遙から私に代わっても、女子たちは大きな反応は示さなかった。遙も私も彼女たちにとっては大した脅威ではなく、翔太に近づけても危険分子には思えないらしかった。
地味で勉強や読書ばかりしている女子には、翔太は興味を示さないだろうとでも思っていたらしい。「無害認定」されたのだろうと私が言うと、ミカは涙を流して笑った。
当の翔太は、私と組むことを喜んでいた。
彼が写真について語れば、私は本について語った。翔太は自分が読んだことのない本の話に、好奇心いっぱいに耳を傾けていた。
ミカも時々手伝ってくれて、初めは彼女の毒舌やひょうひょうとした態度に引きぎみだった翔太も、すぐに慣れて打ち解けた。遙も時々は手伝ってくれて、彼女がいなくなるまで私たちは四人で委員をやっていたようなものだった。
ミカが体調を崩して休んでいることがあった。
その時、遙と二人で帰り、海に寄り道した。海は真っ青に澄んでいた。
もうすぐ日が傾いてオレンジに染まり始めるだろうという昼と夕方のちょうど間の時間帯。
流木やら海藻やら貝殻やらが打ち上げられた夏の初めの汚れた砂の上を、私たちは並んで歩いた。
「私ね、ずっと生田さんと話したいと思ってたんだ」
遙は私に微笑んだ。
「わたしと?」
私は目を見開いた。
「うん、そう。生田さんと、伊藤さんもね。二人は出席番号も続きだからずっと仲いいよね。あなたたちだけが、なんていうかな、対等に話せる子たちかなって。クラスで話が通じそうなのは、あなたたちと鈴原君くらい」
彼女はオレンジ色に染まりはじめた空を仰いであはは、と軽く笑った。
私はぷっと噴き出した。高温でとろとろと燃える太陽がゆっくりと水平線にとろけ落ちようと傾きだす。
「いつ、イギリスへ行くの?」
「もうすぐ。夏休み前にはいなくなるかなぁ」
「英語うまいから、すぐになれるよ」
「だといいんだけど」
遙は目を細める。大人びた笑顔。
「ロンドンだっけ?」
「うん、リッチモンドに住むらしいわ」
「イギリスって、雨や曇りの日が多いって
「うん。でも雨の日って、結構好きだからいいかな」
「私も好きだよ。雨。ピアニシモ、そんな雨が好き」
私のたとえを聞いて、遙は一瞬はっと目を大きくして、それから優雅に微笑んだ。眼鏡をはずすとハンカチで丁寧にレンズを拭いて、制服のシャツの胸ポケットに畳んで差し込んだ。
そして彼女は夕日を仰いで目を細めた。
なんてきれいな子なんだろう。
化粧したり髪を染めたりしている子たちなんて、遙の美しさには足元にも及ばない。潮風にほつれる茶色の髪は、夕日を含んできらきらと金糸のように輝く。長いまつ毛も頼りなげな顔の産毛も、すべてが金色に染まっている。色素の薄い瞳は、夕日を写し取って茶水晶のように透き通って輝いている。
「心残りは……」
小さな唇が開き、心地よい低い声が歌うように言葉を放つ。
「日本の雨が見られなくなることだなぁ」
私は彼女に気づかれないように小さく吐息した。
寂しげな、この世のものとは思えないほど美しい横顔。
同じように大人びているミカとはまた違う、少女のままの、危うげな美しい横顔。
今も昔も同性に対する恋愛感情はないけれど、この時の私は心臓をぐさりと鉄棒で貫かれたような衝撃を受けた。
初めて同性の、同世代の子を、なんて美しいと思った瞬間だった。
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