十七歳

第2話

私の高校は進学校だった。


就職する生徒はほんの数パーセントほど。三年生の教室は四階で、その窓からは太平洋が見えた。



夏が始まろうとしていたそのころ、私は後ろから二番目の窓辺の席にいた。




クラスの中では変わり者とみなされていた。


教室では本ばかり読んでいるが外見はいたって普通で、いい意味でも悪い意味でも目立ってはいない。化粧っけはないし、髪もツメも染めてはいない。肩よりも少し下までの髪は無造作に一つにまとめていた。


クラスの誰とでも話しかけられれば普通に話すが、基本はミカと一緒かひとりでいる。いてもいなくても大して気にされることはない。体育ではそこそこに手を抜き、授業中はおとなしく成績は上位。部活動はせずに何でも無難にこなす。


数年後にクラスメイトが私はどんな子だったかと誰かに聞かれれば、はてどんな子だったか、あまり印象はないと首をひねるだろう。


私の友達は中学の時から伊藤ミカただひとり。彼女も学校では極力地味にしていた。銀縁眼鏡におさげ髪で化粧っ気がなく、目立った行動もとらない。成績はつねにトップだががり勉には見えない。


しかし彼女は学校以外ではすでに大学生や社会人と華やかな恋愛ゲームを楽しんでいた。化粧して髪型を変えれば、年齢よりも大人びた美女だった。




私たちは常に印象の薄い存在であるように意識した。進学校ということもあって、目立たたないでいることはさほど難しくはなかったかもしれない。化粧したり髪を染めたりする子たちもいるにはいたけれど。


当時の私のあだ名はなかった。それだけ、印象が薄かったのだろう。「生田」とか「生田さん」とか、名字で呼ばれていた。私を名前で呼ぶのはミカくらいだった。もちろん、彼女を名前で呼ぶのも私くらいだった。そもそも、私たちはクラスメイト達に下の名前を認知されているかどうかも怪しかった。



どんな所でどんな時代でも、教室は一つの社会の縮図のようなところだ。


私たちはかろうじて一般的な部類にいた、と思う。もちろん人気者も存在していた。例えば浅野ゆりな。小柄でかわいらしい、小動物のような女の子。ちょっとしたしぐさや笑顔はいかにもかわいらしくて庇護欲をそそる。男子に人気で、運動部のさわやか系男子たちに告白されていたようだ。



「私は好みじゃないな。ひとりじゃなにもできなそうな子って、めんどくさい」


竹を割ったような、どちらかというと男前な性格のミカは、浅野ゆりなをというよりも、彼女に寄ってくる男子たちを冷めた目で見ていた。私に害はないし、好きな男子も気になる男子もいなかったから、誰が彼女に告白しようがどうでもよかった。


ミカの男子目線の感想も嫌いではなかった。私たちは今でも男性目線で同性を観察して楽しむ遊びをする。特にあざとく戦略にたけた女子を観察するのはやぶさかでない。


ゆりなの周りには、意識的にも無意識的にも、かわいい彼女のまねをしたり彼女にあやかりたい女子が群がっていた。


進学校でありながら、異性の視線を集めたい女子はいるものだ。いい大学に入りたいと頑張っている男子たちには悪魔のような存在だ。彼女たちには意図的な隙がある。それゆえ男子によく声を掛けられる。


それを男子に媚びていると忌々し気に陰口をたたく女子たちもいたが、私とミカは彼女たちと近づく男子たちを遠巻きに観察・分析して楽しいんでいた。


 

私は男の子と寝たこともないくせに、彼らがまんまと罠にはまり、振り回される様を結構冷静に上から目線で分析して楽しんでいた。


でもそれはあくまで他人事だった。


早く大人になり、自由にいろいろなところに行きたい。そのためには恋愛ごっこよりも勉強のほうが大事だった。ミカは器用にも、両立させていたけれど。


私にとって、同級生の男子たちはただの同級生であり、ほかの何ものでもありえなかった。ほかの女子たちのように、異性と話すときに声が無意識にでも高いトーンになるとか、異性の目があればそれを意識した態度を取るとか、そういうものが一切なかった。



女子では浅野ゆりなのような子が人気者ならば、男子にも当然人気者がいた。


たとえば鈴原翔太。


もと生徒会長、バスケ部のキャプテン。何の説明もいらない。背が高く整ったかわいらしい顔立ちの、明るく優しく親切で気さくで、誰にでも好かれる男の子。ニキビもないし不潔感はみじんもない、その年頃の男の子に特有の生々しさもない。絵にかいたような人気者の、青年になりかけの少年。


もちろん、クラスの女子たちの多くも彼に好意を寄せていた。


彼が「受験の邪魔になるから彼女は作らない」と公言しても、告白する女子は全学年他校の生徒たちも含め後を絶たなかった。




「どんなタイプでもダメみたいだね。もしかして、ゲイかな」


ミカの言葉に私は肩をすくめる。


「もしそうだったとしても、私はどうでもいいよ。あの子はいい子だと思うし」


「ふふん、だとしても、彼女たちには大打撃ね」


「ミカはそうだとするのを、期待しているんでしょう?」


「あはは。面白そうじゃない? 外見だけで相手を理想化するのは良くないよ」


ミカにとって同級生の男子は、まだ子供っぽ過ぎて魅力的には見えないらしい。


ミカの席は私の後ろ。窓に背を預けて椅子に横座りして、私たちはよくそんな会話をしていた。そこは教室がよく見渡せた。人間関係を観察するにはもってこいの観覧席だ。


浅野ゆりなはどうやら翔太に気があるらしかった。彼女は翔太と話すときだけはさらにかわいくなる。やたらと自分の髪に触れるのも、彼と話すときだけに出るクセのようだった。


彼女に気に入られたい男子たちが話しかけても、彼女は愛想笑いでやり過ごす。たぶん女子は好きな男子と話すときはみんなそれぞれに声のトーンが上がったり、自分を少しでも良く見せようとしなを作ったりするようだけれど、ほかの女子がやっているのを発見したときは厳しい批判をする。あの子は男子に媚びているとか、男好きだとか、そういう陰口をたたく子もいる。



私たちは誰が誰を好きでも気にしなかったけれど、美男美女が並んでいるのを見るのは目の保養になったから、ゆりなと翔太が一緒にいるところはほほえましいと思っていた。


それで観察して気づいてしまったのだが、翔太はゆりなをさりげなくかわしているように見えた。彼は単に公言通りに受験のために彼女を作らないのかもしれない。あるいは、ミカの妄想通りに異性に興味がないのかもしれない。あるいは、人には言いたくないような誰かを好きなのかもしれないと、私は思っていた。


「どうでもいいとか言う割には結構興味あるんじゃない」


私の分析にミカがにやりと笑う。


「どうして彼女じゃダメなのか、気にならない? 私が男であんな子にすり寄られたら、だまされたとしても受け容れちゃと思うけどな」


「B専かデブ専かも? すごく年上好きとか」


「まあ、最終的にはどれでもいいけど……」


それはそれで失礼なことだった。


とにかく、人間観察と称して、私たちはこっそりと教室内の人間関係を分析して楽しんでいた。




「生田さん」


梅雨入りの少し前。


ある日の放課後に、クラスの一人の女子に呼び止められた。


月野はるか。染めていない天然の細い栗色の、腰まで届くストレートロングヘアの色白の、学校一の秀才。普段は黒縁の眼鏡をかけて髪は二つのみつあみにしていて一見地味だがきれいな顔立ちで、大人になったらすごい美女になりそうだなとひそかに思っていた子だ。学校では意図して没個性化しているミカが、私服では実年齢より大人びた美女になることを見慣れた私には、彼女も意図して地味にしているように見えた。


彼女は私がいまでも名前をフルネームで覚えている、数少ないクラスメイトの一人だ。ちなみに、クラスメイトの名前をちゃんと覚えているかいないかということは、親密度には比例しない。もちろん、親友のミカは別だが、浅野ゆりなのように、ろくに話したことがなくても覚えている子は覚えている。


月野遙に関しては、特別親しかったわけではないけれど、気になる存在だった、という感じ。


漢字は違うけれど、私と同じ「はるか」でもあったことも大きい。


教室にはまだ数人のクラスメイト達がいた。委員会のミーティングに行っているミカを待って、時間つぶしに本を読んでいるところだった。




夕日の逆光の中で、遙は静かに言った。


「ちょっと、いいかな。お願いがあるの。伊藤さんが戻るまでには済ませるから、PC室にきてくれる?」


同じ年頃の女子たちと比べると、低く落ち着いた声。私はこの少女の声が好きだった。誰にも媚びず、知的で大人びた声。


教室ここじゃまずいこと?」


私の問いに彼女は淡い苦笑を浮かべた。困らせるつもりはなかったので、私はふせんにミカへの伝言を書いて彼女の机に貼り、遥に従ってPC室へ向かった。




ミカ以外で学校で私が好意を持つ女子は彼女くらいだ。


「お願いってなに?」


廊下を歩きながらそっと遙の背に問いかける。ぴんと伸びた背筋、なんて品のある歩き方だろう。まるでどこかの高貴な姫君のようだ、と思う。


彼女はちらっと私を振り返り薄い唇の端を上げて柔らかく微笑み、PS室の前で止まりノックを三回した。


コ、コ、コン。


特徴のあるノック。


「入るね」


彼女が中に問いかける。誰かいるのか。すると中から低い声が返事をする。


「うん、どうぞ」


男子だ。


遥は引き戸をそっと開けた。そして私に入るように視線で促す。私はそれに従って中に入る。

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