第4話 『森博嗣』『京極夏彦』『中村文則』数々の作家との出会い

 高校二年生。この時期が私の小説最盛期でした。春休みが明けてすぐのことです。学校が早く終わり、私は帰路に着くのが面倒でなんとなく学校にあるベンチの上で『すべてがFになる』を読んでいました。

 この当時、私は西尾維新先生のデビュー作である『クビキリサイクル 青色サバンと戯言遣い』がメフィスト賞作品ということで、メフィスト賞を追うことを意識していました。そうして初めて選んだメフィスト受賞作が、第一回受賞の森博嗣作『すべてFになる』でした。

 この作品を読んだ時の衝撃は凄まじく、それまでほとんど会話文という小説を読んだことがなかったので、『こんなのありか!』とずっとにやにやしていました。

 また、作品の純度も当然高く犀川先生をすぐに好きになったのを覚えてます。

 私はすぐに、S&Mシリーズを追いながら、彼の文体で小説を書く訓練をしていました(当然のように未完です)。それほど彼の文体が好きだったのです。


 夏休みのことです。ずっと本人画像と作品タイトルが気になっていた京極夏彦先生の『姑獲鳥の夏』を読みました。 

 正直言うと『これ以上面白い作品はない』と思いました。

 また、この時初めてただの文章に涙しました。あの、旧字体の独白の次に出てくる関口の坂の語りです。

 以下、引用。


『どこまでもだらだらといい加減な傾斜で続いている坂道を登りつめたところが、目指す京極堂である。』


 私はこの文章を読んだ時、『何だこの美しい文章は!』と強く、強く感激したのを覚えています。

 当然、私は彼の文体を真似た小説を書きました(もちろん未完です)。また、その日から私は京極堂シリーズを集め始めました。


 夏から冬にかけての間、これと言って衝撃的な読書体験はありませんでした。その時期は主に西尾維新、森博嗣、京極夏彦、彼らの作品を追うのに必死だったのです。

 ですが、それ以外の作品も多数読んだことは事実で、今までで一番読書をした期間だったと思います。

 その中でも覚えているものと言えば、安部公房の『砂の女』と村上春樹の『ノルウェイの森』を同時に読んでいた事です。その時は枕元に二つの小説を置いて、寝る前に交互に読んでいたのですが感想が『二つともなげー』しかありませんでした。


 冬休み開けの2月のことです。その期間は、私に高校で始めての友達が出来た月でもあり、今後多大な影響を受ける中村文則作品に出会った時期でもありました。

 最初に読んだ中村文則作品は『銃』だったのですが、当時私はその作品を『乙一』の小説だと認識していました。当然読む寸前まで乙一の小説として読もうとしていたのです。ですが、違うと気づきまぁ良いかと気軽に読み始めたのがきっかけです。

 私は読んですぐ『この作品はなにかが違う』と思いました。吸い込まれると言うか、文体に温かみを感じたと言いますが、とにかく『ピッタリくる』という感触があったのです。

 以下初めの文章を引用します。


 『昨日、私は拳銃を拾った。あるいは盗んだのかもしれないが、私にはよくわからない。これ程美しく、手に持ちやすいものを、私は他に知らない。今まで拳銃に興味をもったことなどなかったが、あの時私は、それを手に入れることしか考えることができなかった』


 この文章で私はやられました。この世で一番の文体だと感じました。

 また、以下の表現も私の心を撃ち抜いたものです。


『昨日は雨が降っていた。いつまでも降りやむことがなく、角度があり、傘を使っていたが酷く濡れた』

 

 雨の描写ですが、これほど的確で心地よい表現は他にないと今でも思います。

 私の表現の原点は、彼の文体にあります。

 


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