第39話 シホの本音ですわ

 □□



 友達が喜んでたら、嬉しいでしょ?

 友達が悲しんでたら、悲しいでしょ?


 私はそうだった。

 だからきっと、人の顔色を窺うのが得意なのは初めて転校するよりも前からだったはずだ。


 顔色を窺われているのが、わかるのも。


「織紡、入るわよー?」

「あーい」


 気の抜けた返事を受けて母が部屋に入ってくる。どうせ大した用事でもない。


「夏休みだからって一日中ごろごろして。今日は陽香ちゃんと遊びに行かないの?」


 ほら。ただの小言だ。


「今から行くわけないじゃん。もう夜になるのに」

「もう……次どこかいくなら前もって言ってね。お世話になってばかりなんだからそろそろお礼しないと」

「はいはい」


 嘘だ。言うわけない。

 親を陽香に関わらせたりするもんか。


 両親のことは嫌いじゃない。

 きっと、いい親なんだと思う。

 転校するたびに擦れていく私をこれでもかと気遣ってくれた。


 だから、余計に苦しい。

 優しくて、私のわがままをほぼなんでも聞いてくれる甘い親が、転校は嫌だという願いだけは聞き届けてくれなかった。


 親の優しさは私にとっては毒だ。

 どうしようもないことだ。仕方がないんだ。

 そう私に諦めさせる優しい毒。


 嫌だ嫌だと駄々をこねる私にかける言葉が「ごめん」じゃなくて、「言うことを聞け」とか、「誰のおかげで生きていけると思っているんだ」とか。


 そんなだったら、悲劇のヒロインぶって全部親のせいにもできたのに。


 そんなことを考える自分の性格の悪さが嫌になる。


「陽香……」


 せめて次に転校するまでの間に、たくさん思い出を作ってあげてほしい。

 そんな、最初から全部諦めた気持ちで陽香に接してほしくなくて親を遠ざけているのに。


 私が陽香にしていることも、なにも変わらなかった。


 こないだのキャンプ、一日目の夜。あの二人がシャワーを浴びに行った隙に私は言った。


『そこまでするとは思わなかった』


 普段はあまり賢いほうじゃないのに。

 陽香はその一言で全部察したようだった。

 焚き火を前にすると、テンションと一緒にかしこさも上がるのかもしれない。


『ごめん、勝手なことして』

『いいよ。勝手は、私もだから』


 わかっていながら。私はそれを、変えようとはしなかった。


『ねぇ、織紡。やっぱり理由も教えられない?』

『……ごめん』

『私にできることも、なにもない?』

『してもらってるよ。もう十分すぎるくらい。だから、これ以上はだめなの』


 きっと意味もわからなかっただろうに。

 なにも追求しないでいてくれた。

 それから陽香が聞いてきたのは、ただ一つだけ。


『今、幸せ?』

『これ以上なく』


 嘘ではなかった。


『そっか! ならいいや!』


 嘘では、ないから。


『ねぇ、織紡。きっと――きっと、忘れないよね』


 忘れないよ。

 忘れないから、苦しいんだよ、陽香。


 この幸せは全部、寂しさになるから。




 ――ドンドンドン!


「……なに」

「ちょっと織紡! 前もって言ってって言ったじゃない!」

「はぁ?」


「陽香ちゃん来たよ!」


 ベッドから飛び上がる。

 急いで部屋を飛び出そうとして、視界の端に姿見が引っかかり、髪の乱れを手櫛で直す。


 部屋着を着替えている時間はない。

 前もって言ってはこっちのセリフだ。


 せめてもの抵抗で薄手のパーカーを羽織って玄関に下りると、そこには私と変わらないくらいの部屋着で、私よりよほど髪を乱れさせた陽香がいた。


「へへ……来ちゃった」

「なにそれ、彼女みたい」


「いきなりごめんね。ちょっとそこまで、一緒に散歩でもどうかな」

「今度はナンパみたい」


 軽口を叩きながらも足には既にサンダルを履いている。


 なんの事情もなく、いきなり陽香がこんなことをするわけないとわかっていながらも。

 このあとの話の内容がなんとなく想像できていても。


 応えてしまう。陽香にはなるべく誠実でいたい。


「補導はやだよ」

「そんな遅くまではいないよ!?」


 誠実でいられたことなんて、一度もないくせに。






「それでね! やぁっとお金貯まったのに、買いに行ったら新しいモデルが出てたんだよ! しかもそれがちょっと高いの!」


「欲しかったほうは買えるんじゃないの」

「新しいほうが軽くて色が可愛いんだよ!」

「しらんがな」


 近所の、幼児とその親と老人くらいしか立ち寄らない小さな公園。

 そこについてから陽香が語りだしたのは、いつものキャンプギアの話だった。


 本題はそれじゃないだろうに、話しているうちにどんどん熱が入って本題を忘れちゃうところがまた、陽香らしい。


「お陰でまだもうちょっと貯めなきゃだよー……他にも欲しいのいっぱいあるのに」

「キャンプの回数減らしたら」

「それは無理」


 私も嫌。わかってて聞いた。

 甘えているな。どこまでも。


「次も楽しみだねー! 次は標高あるから景色も最高だよ! きっと!」

「パパさんの車のおかげでね」

「免許取れるまでは仕方ないじゃんか……」


 十八歳まであと二年。本人は二年後には取得できるつもりでいるけれど、果たして無事に取れるのだろうか。


 ただでさえキャンプってだけで若干人格変わるのに、ハンドル握ってさらに変化するタイプだったりしなきゃいいけど。


 それはそれで、ちょっと見てみたいな。

 見れるものなら。


 その頃にはもう、きっと私はここにはいない。


「ねぇ、織紡」

「なに」

「一生のお願いがあるの」


 聞かなくてもわかるそのお願いを、聞かずに逃げる術を私は持たない。


「次のキャンプで、一枚だけでいい。一緒に写真撮って欲しいんだ」


「なんで」


 『ごめん』。これまではそれで済ませてきた。

 理由を聞くようになったのは、少しだけ根負けした証拠かもしれない。


「思い出が欲しいの」

「思い出ならもうあるでしょ」

「写真に残して欲しいんだよ! 思い出だけじゃ、いつか薄れちゃうから」


「そういうもんでしょ。仕方ないよ」

「仕方ないで済ませられないよ!」

「なんで」

「織紡との思い出が大切なの!」



 そんなの――



「私もだよ」



 思わず漏れた呟きが、陽香の耳に届いたかはわからない。


「お願い織紡! 何年たっても忘れたくないの! ずっと覚えてたいんだよ!」


「ごめん、無理」

「どうして――ねえ、せめて理由を教えてよ」

「そんなのない。とにかく無理だから」

「織紡!」


 無理やり話を切り上げて立ち去ろうとした足が呼びかけに止まる。


 止まらなければよかった。


「……織紡は、私のこと忘れられるの……?」


 その言葉がトドメだった。


「忘れられるわけない!」


 ずっと抑え込んでいたものが膨れ上がる。

 止められない。


「忘れられるわけないでしょ!? だから嫌! だからつらい! なんでわからないの!?」


 わかるわけない。

 なにも言ってこなかったのは私だ。

 わかってる。なのに止めらない。


 頭の中に声が満ちる。



 ――『ごめんな織紡。次はなるべく長くいられるようにするから』



 私は――



 ――『ごめんね織紡……でもお父さん、次は高校卒業まで引っ越さなくていいように頑張ってみるって』



 私は――――!



 ――『思い出が欲しいの』



 私はみんなほど、聞き分けがいいわけじゃない!



「写真なんかいらない! 思い出なんかいらない! 忘れたって全然構わないから……っ! 大切だって言うなら! ずっと側にいてよ!」



 現実はいつも厳しくて。

 そんなこと言ったってどうにもならないってわかってたのに。

 困らせるだけだから、ずっと口に出さないようにしていたのに。


 どうしてこんなときに溢れ出してしまうんだ。


「織紡……」


「〜〜〜〜っ!?」


「織紡!?」


 最悪、最悪、最悪……っ!

 どうして私は、こんなときまで……!


「きゃっ!?」

「ぶえっ!?」


 逃げ出した先で人にぶつかるなんて、本当に最悪。

 間が悪い。一体誰がこんな時間にこんな場所にくるんだ――


「多々良くん!?」

「え」


 追いかけてきた陽香の声に顔を上げれば、以前一緒にキャンプに行った、これといった特徴のない男子。


「なんで……」

「は」

「は?」



 私が唯一、同族嫌悪を抱いた相手――



「吐きそう……」

「多々良くんーー!?」



 ……………………やっぱ今のなし。



 □□

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