第38話 吹先生の次回作にご期待くださいですわ

「はぁ、はぁ……っ! ぜえ、はっ」


 息を切らしながら走る。脇腹が痛い。

 こんなことなら自転車で来ておけばよかった……!


 ディナへの依頼に付き合うようになってから運動量も増えたような気が……いや、色くんのときだけか。

 どうりでちっとも体力増えてないわけだ。


「っ! ああああああーっ!!」


 人目もはばからず叫ぶ。

 少し力が湧いた気がした。

 もう少し。もう少し走れる。


 ねえ、ディナ。


 あの日の君の目を思い出すんだ。

 俺が映った君の瞳を。


 君が見てると思うと力が湧いてくるんだ。


 君の〝好き〟に恥じない自分でいたいって。


 背筋がピンと伸びるんだ。


 俺の芯に、君がくれた熱がある。

 俺の身体を突き動かす。


 この熱を人に分けろと、叫んでる。


「はぁ、はぁっ! あああああっ!」


 春永さん。俺とそっくりだって言うなら。


 君もそうなんじゃないのか。


 俺は指摘されたよ。

 【観客】が随分な活躍ぶりだなって。

 見透かされてたよ。


 【観客】でいようとする日々は幸せだった。嘘じゃない。心から自分で選んだ道だった。でも。


 ディナと一緒にいると思い出すんだ。

 みんなと並びたくてあれこれ手を尽くしてた自分を。

 あのとき願っていたものを。


 諦めてしまったはずの自分理想が、顔を出すんだ。


 君はなんで三角さんに声をかけたの?

 どうして彼女の世界に踏み込んだの?


 ねえ。春永さん。


 三角さんと一緒にキャンプを楽しむ君の、一体どこが【観客】だったんだ。


 三角さんの瞳がずっと誰を捉えていたのか、わかっていたんじゃないのか。


 だから君はいつだって、応えようともがいていたんじゃないのか!


 正解かどうかなんて知らない! 知ったことか!


 俺は信じてるんだ。君にまっすぐに向く三角さんの目に、君が気づいていないはずないって!


 そうだよ、ディナ。


 俺が人の想いを信じるときはいつだって。


 そうあってほしいって、〝願い〟の裏返しなんだ!




 はち切れそうな心臓も。

 ねじ切れそうな脇腹も。

 もうズタズタだろう足の筋繊維も。


 ディナのくれた火が前へと運ぶ。


 向き合うのが怖くて目を背けていた先にあったものは、思っていたより、ずっと温かいものだった。



 *



 ――ピーンポーン――


『はーい? えっ多々良くん?』


「ごめ、ちょっ……みすっ……よう……あ……っゔえ゛っ」

『多々良くん!?』


 インターホンの向こうからドタバタ聞こえてくる。

 よく考えたら、いきなり自宅にクラスの男子が息も絶え絶えな状態で現れるのは軽くホラーかもしれない。


 キャンプのときの集合場所が三角さんの家の前でよかった、住所がわからなくて困ることはない、なんて思考もよく考えたらやばかったかもしれない。


「大丈夫!?」


 ドアを蹴破る勢いで水を持って出てきてくれる三角さん。

 薄手のシャツに短パンという部屋着丸出しな格好を見ると一層申し訳ない。


 まじごめん。


「ごくごくぷっは! はぁ、いきなりごめん、水ありがと。ちょっと、走ってて」


「ううん、大丈夫。それよりどうかしたの?」

「あー……いや、どうかしたっていうか……」


 やばい、話の切り出し方なにも考えてなかった。

 こんな状況になるなんてことも。


 そもそも勢いで走ってきたけど、今すぐじゃなくてもよかったんじゃ……?


「……お嬢に聞いた? あのね、依頼のことならもういいんだ。ごめんね? 振り回しちゃって」


 いや、違う。今でよかったんだ。

 キャンプのときはあんなに天真爛漫だった三角さんのこんな貼り付けた笑顔を見ておきながら、本人が選んだことだからこれでいいなんて諦められるものか。


「本音を聞いてないと思ったんだ」


 だって俺は【観客】だったから。

 誰かに深く踏み込もうだなんて思ってこなかったから。


「俺たちへの依頼も、取り下げたことも、そこにあった気持ちは全部嘘じゃないと思うけど、三角さんの一番奥にある本音は、それじゃないと思う」


「多々良くん……ありがとう。でも、もういいんだよ。これ以上は、織紡を困らせちゃう」


「今! 君が困ってるだろ!」

「……っ!?」


「わかるよ! たったの二日だけど、楽しかったんだ! 俺も! だから……! 俺が寂しいのに、君が寂しくないはずない!」


 忘れないよ。あの日があったこと。


 仕事ほとんど取られてなにもできなかったのも、急に料理番組が始まってびっくりしたのも、ディナの牛タンが燃えてあたふたしたのも。


 忘れないのに。春永さんは思ってるんだ。

 その中に自分は残らないって。


 そんなの、黙っていられるはずがない。


 瞳を揺らして葛藤する三角さんに手を差し伸べる。


「淑女之心得、其ノ弐。覚えてるでしょ? 言えてないことがあるなら、言いに行こう」


「――――っ!」


 突然明後日の方向に駆け出す三角さん。

 えっどこに!?

 俺が戸惑っていると、ガタゴト大きな音を鳴らしながら自転車を引っ張り出してきた。


「後ろ乗って!」

「えっでも」

「早く! 行かなきゃ、織紡のとこに!」

「いや、でも」

「多々良くんも言いたいことあるでしょ!」


 あるよ。いろいろ。だけど――――



「さあ、早く!」

「でも、道交法が!!」



「……………………」

「……………………」



「…………すぐ追いかけてきてね! 絶対だよ!」

「えっ!? 俺、春永さんの住所しらな」

「あとで位置情報送るからーーー!!」


 言い終わる前に駆け出した三角さんの叫びがどんどんと遠ざかり、ついには姿も見えなくなった。


 ――ふぅ。さて、と。


 もうひとっ走り行きますか――――!



 俺の孤独な戦いは、まだ始まったばかりだ。

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