第37話 私が好きになった貴方という人は

 缶ジュースを手に二人で公園のベンチに座り、一息ついた頃、ディナから会話を再開した。


「いつの間にかもう夏休みですわね」

「そうだね……三角さんたちは、次どこに行くか聞いてる?」


 俺たちの間に流れる空気が変わる。

 あの日から、今日までなんとなく避けてきた話題に俺が触れたから。


「貴方にはまだ言えていませんでしたけれど……ヨーカから正式に、依頼の撤回を申し込まれましたわ」


「えっ……」


「最後まで協力できないかもと言ってはいても、ショックは受けますのね」

「それは……」


 わかっている。身勝手だって。


 変わらないと信じられる二人の思い出を残したい三角さん。

 傷のない、自分が介在しない思い出だけがほしい春永さん。


 どちらの願いも叶ってほしいのに、どちらかを取ればどちらかが叶わない。


 なにより。


 自分は春永さんと同じような生き方を選んでおきながら、彼女にだけは三角さんの願いに応えるよう求めるのも。

 意気揚々と三角さんと約束しておいて、自分と同じ考え方を擁護するためにそれを反故にするのも。


 どちらも俺には選び難かった。だからこの一週間、出ない答えをずっと探し続けていたのに。


 それが、こんな終わり方をするだなんて、思っていなかった。


「ごめん、俺のせいで」

「貴方のせいではありませんわ。ヨーカが自分でシホと向き合って、自分で決めたことですもの。それで? 貴方はどうします?」

「どう、って、だって、もう依頼は」

「あら、変なこと言いますのね」


 あれは黒歴史だったのに。


 なんだかふと思い出してしまったのは、今日巡ったのがあのGWの日、ディナと会ったショッピングモールだったからか。

 ディナの声色が、あの日の自分にそっくりだったからか。


「依頼でなければ、クラスメイトに協力してはいけませんの?」


 わかりきったようなディナの声が、俺から言い訳を剥がしていく。


「ヨーカは自分で決めましたわ。自分がどうするか。でもそれは、わたくしにはあの子が本当に望む道とは思えなかった。貴方もそうだから、そんなに苦しそうなのではなくて?」


 思えるはずがない。

 これが本当に最良の結果だなんて。

 傷のない思い出になるだなんて。


 あの空き教室で三角さんの本心を聞いておきながらそんなこと、思えるはずない。


「だけど、俺にはもう、なにもできないよ」


「どうして?」


「できなかったんだよ。できなかったから【観客】でいることを選んだ。本当は失敗だけじゃなかったんじゃないかって、君に言われるがまま行動したって結局……春永さんに、なにも言えなかった」


 いつも。いつだって。

 そんなこと、【クラスのお嬢】は構わない。


「それがなんだというの?」


「そ、れが、って……」


 なんだもなにもない。

 これが結果だ。俺が選んで、行動したことの結果。


「それは、貴方がこれからどうするかに関係ありますの?」


「なにもできなかった! 残した結果がそれなのに、それ以外のなにを根拠に次なんて信じればいいのさ!?」


 失敗した。それが俺の身の程だった。

 だからもう、これ以上は弁えなきゃいけない。

 それが正常な、論理的な思考のはずだ。


 〝だから〟じゃなく〝だけど〟って、そう思えるものがなにもないのに無根拠に人の心に踏み込んで。

 それで取り返しのつかないことになったらどうするんだ。

 そのとき割を食うのは俺ではなく、大事な領域を踏み荒らされたその人だというのに。


 ――なのに。


「結果? 根拠?」


 【クラスのお嬢】は――



 ――――彼女は、身の程なんて構わない。



「貴方がなにかを信じるのに必要なのは、そんなものではないでしょう」


 パキリと、割れる音がした。

 諦めたくないものを諦めるために、俺が纏った薄っぺらい理論武装が。


「責任感ゆえなのかしらね。貴方がそれを必要とするのは対象が自分のときだけですわ。貴方は人を信じるときは、もっとずっと感情的ですわよ?」


 まただ。

 ディナの瞳に俺が映る。

 自分の知らない自分と向き合わさられる。


「貴方が大好きなクラスメイトを信じるとき、いつもそんなことを考えていたかしら? この人はなにをした人だから。こういう実績があるから。そんな根拠がなければ信じられませんでしたの?」


 みんなを向く自分。


 自分の殻に閉じこもって、自分とだけ向き合い続けてきたと思っていた俺が、知らない自分。


「ねぇ、吹。あの夜」


 夜空に浸る感傷にむき出しにされた、〝大切〟をしまう箱に容量なんてないと、信じる自分――


「貴方が言った、一番大切なことは忘れないという言葉にも、根拠がありましたの?」


 ――――ないよ。

 ないよ。そんなの。


 みんなのことを想うときだけは――――


「そんなもの、必要だなんて思ったことないよ」


 満足そうにニッコリ笑って、ディナはベンチに座ったままの俺の前に立つ。


「淑女之心得、其ノ弍。淑女とは、心偽らぬ者である」


 いつか三角さんにそうしたみたいに。

 彼女はそれを俺に諭す。


「しなければならない。してはいけない。そうやって現実に追いやられるように心の奥に閉じ込めた貴方の本心は、あの二人になにかを信じているはずですわ」


 また、君が見つけてくれる。

 また、君が届けてくれる。


 初めてそれを教えてくれた夜のように、何度でも。


わたくしが好きになった貴方という人は、そういう人ですもの」


「はは、淑女、か」

「火は、灯りまして?」


 淑女之心得、其ノ壱。

 淑女とは、心に淑女の火を灯す者である。


「うん。今、もらった」

「それなら、今一度問いますわ」


 ベンチを立つ。

 向き合う君の目をまっすぐに見る。


「貴方はどうしますの?」

「いくよ。二人のとこに」


「はぁ……デートの最中に他の女の元に駆け出すなんて、悪い男ですわね」

「えっちょっデッ……!?」

「はいはい。行くなら早くお行きなさいな」


 あたふたしている間に無理やり背中を押され送り出される。

 全くもって、締まらないなぁ……。


「ディナ! ありがとう!」


 せめてそれだけ告げてから走り出す。

 振り返る刹那、小さく手を振る姿が見えた気がした。

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