第11話 身の程なんて知りませんわ
「ご馳走様でしたわ。ありがとうございます」
「いいえ〜またいつでも来ていいからね〜!」
玄関で軽く挨拶を交わす母とお嬢。
実に楽しそうだ。
そうでしょうね。
夕飯の時も、気まずそうな男性陣の方は一切気にかけませんでしたもんね。
仕事から帰ってきて、クラスメイトにドギマギする父。
見てて辛かった……。
「じゃあ、送ってくから」
「あら、別に構いませんのに」
「いいの? 今なら持って帰っちゃってもいいのに〜?」
「母さん? 俺の人権は?」
「しわくちゃになってたから捨てちゃったけど?」
「しわくちゃな人権ってなんだよ」
「スボンのポケットに入れたまま洗濯機に入れたあんたが悪い」
「俺の人権ポケットティッシュか何かなの?」
横でクスクス笑うお嬢。
どうして玄関先でクラスメイトに母との漫才を披露しなければならないのか。
「とにかく、行ってきます」
「お借りしていきますわね」
「返さなくていいからね〜!」
あっさり無期限貸与の許可が出されたまま、駅まで歩く。
夏が近いけれど、さすがに空はもう暗い。
「さっきの話の続きを、してもいいかしら?」
「うん」
「
車通りも、人通りも少ない道路の静寂に、彼女と俺の声がそっと置かれていく。
「いわゆる陰キャとか陽キャとか、そういう話だと思っていましたの。『ぼっちの俺では人気者の君にはそぐわないよ』といったような」
「俺のこと陰キャのぼっちだと思ってたんだ」
「ちっ、違いますわよ!? 貴方の自意識がそうなんじゃないかと思っていただけで、貴方自身をそう思っていたわけでは……!?」
「ははは、そっか」
「……むぅ。わかってて言いましたわね」
今日さんざん振り回された分、少しだけ、仕返しがしたくなったから。
陰キャもぼっちも、別に間違ってはないのにね。
そういう【役】を割り振られないよう、クラスメイトからはそう見えづらくしているってだけで。
それに。
「本質的には合ってるよ。【観客】の俺では【お嬢】の君には、って言い換えれればいいだけで」
「私をお嬢と呼ばないのも、それが理由ですの?」
「呼んでるよ。時々、心の中では」
「ならもう口に出すだけではありませんの」
「ごめん。それは出来そうにない」
口に出してしまえば。
一度でもお嬢と呼んでしまえば。
彼女との関係性が一つ、具体的な形を持って確定してしまう気がする。
名前やあだ名を呼ぶというのは、きっとそういう行為だ。
〝周囲に紛れること〟が目的なら、そうしたほうが自然だけど。
彼らの和から外れていたい俺は、呼ぶわけにはいかない。
だから、呼べない。それはステージ上に踏み込む行為だ。
「仕方がありませんわね。いいですわ。そのうち改めさせて見せますもの」
「改めさせられちゃうんだ、俺」
「当然ですわ」
意志の宿った、凛とした声。
応えられないのに。後ろめたくて、目を背けたくなるのに。
彼女の声が、真っ直ぐ届いて逃げられない。
「
「本人を前に、ずいぶん直球だね」
「ええ。だってこれは、貴方に伝えるべきことですもの」
惹きつけられる。
声から耳が離せない。
言葉から心が離せない。
「貴方は聞きましたわよね。なぜ自分なのかと」
「うん」
「貴方、自分が普段どんな顔で周囲を見ているかご存知?」
どん……な、顔……?
うへへ……みんな今日も仲良しだなあニチャア、みたいな顔……?
「へ、変な顔してるかな」
「箱にしまい込んだ大切な宝物を眺めるような顔をしてますわよ?」
それは一体どんな顔なんだろう。
気持ち悪くなければいいのだけど。
「
「救われて……?」
「少し、弱音を吐いてもいいかしら?」
「……うん、もちろん」
「これでも結構不安なんですのよ。やり方を間違えてしまってはいないかって」
「それは、芝多くんのときとか?」
「そうですわね。それも大きいですわね」
彼女がまた違う接し方をしていたなら。
彼女にやり込められてそれでおしまいだったら、彼はクラス中から白い目を向けられることになっていた可能性もあるんじゃないか。
あるいは最初に上手く捌けなかったとしても。
周囲から、特に女子から煙たがられる存在になっていたのではないか。
彼以外にも、例えば肯定の言葉しか発せない色くんのような人を見るたびに。
彼女が上手く扱ってくれなければ、浮いてしまっていたんじゃないかと思う。
ほんの少し、何かが違っていたら。
それを違えずに和を保ち続けることが、なんの重圧もなく成し遂げられるはずはない。
だからこそ、その上でみんなを輝かせてくれる君は。
仰ぎ見上げる俺の目に、どれほど眩しく映っているか。
「そんなときに、貴方の目が答えてくれますの。
そんなの。
俺は、何もできないから、ただ見上げているだけなのに。
「いつでも頭の奥は冷え切っていて、間違えないようにって計算づくで人と接する
そんな、そんなの、君のほうこそ。
人をよく見て、手を差し伸べて。
周りの人まで輝かせる君のほうがよほど。
俺の理想を、明るく照らしてくれているのに。
だから、応えられないのに。
理想は、手の届かないところで輝いていてくれなければ、届くかもしれないと思い上がってしまう。
手を伸ばして、自分の手で曇らせてしまう。
君の隣にいるべきは、それを理想だなんて言わないで、一緒に実現のための努力をしてくれる人であるべきなのに。
――――なのに。
「それからですわ!
ステップを踏むような軽やかな足取りで。
隣を歩く彼女が、俺の前に踊りでる。
「貴方のことを考えて過ごす時間は本当に楽しい! 貴方がどんな顔をしてくれるか考えるだけで、どんなことも頑張れそうな気がしますの!」
両手を広げて月明かりに照らされる彼女の目が、俺を捉える。
「貴方を想うと胸が躍りだしますの! この気持ちはもう、止められない」
星よりまばゆい金の瞳に、俺が映る。
「貴方の身の程も、
線を引いて、壁を立てて。
閉じこもった自分の殻がこじ開けられる。
差し込まれた光に、思わず手を伸ばしたくなる。
「俺に、そんな価値はないよ」
「それは貴方が人との関わりを舐めているからですわ!」
ビシッ!
音が鳴るほど鋭くさされた指が、触れる感触がする。
心の奥に押し込めたものに。
「貴方は全く気づいていないようですけれど、もう既にクラスメイトたちには結構いろいろ言われていますのよ?」
「えっ」
「日直のとき。掃除当番のとき。宿題を忘れたとき。教科書を忘れたとき。移動教室のとき。グループワークのとき。校外学習のときのこともありましたわね」
「えっえっえっ」
「既に結構、何かをしてもらったという話はあちこちから出ていますのよ」
なにそれ知らない!
「【観客】さんが、ずいぶんな活躍ぶりですわね?」
「全部、心当たりもないくらいの些細なことだよ」
「それを決めるのは貴方ではありませんわ」
「自分のしたことの意味を決めるのが自分でないなら、誰だっていうのさ」
「誰でもありませんわ」
剥がされていく。
目を背けたいものに、覆いかぶせていたものが。
「貴方は行動を起こした。
だから、交わらないようにしたかったのに。
俺は、そこに何も生み出せないって、思っていたのに。
「自分の中をいくら探したって、自分の価値は見つかりませんわ。だから――」
彼女の光が照らし出す。
知らない場所。
いつの間にか生まれていた交点。
そこにあるもの。
「貴方が見つけられないなら、
ずっと目を閉じていた俺には眩しすぎて。
その形も、大きさも。
まだ、見えない――――。
*
「ここまででいいですわ」
「そっか」
彼女の宣言に、俺は何も返せなかった。
何を言えばいいのかわからないまま、駅前まで送り終えてしまった。
「それでは、ご機嫌よう――」
「ねえ」
「はい?」
今も、わからない。
手を伸ばしてもいいのか。
やはりそれでも、【観客】でいようとするべきなのか。
どうするべきかは、わからないけど。
どうしたいかは、感じてしまった。
「名前がいい」
もしも俺が、舞台を汚す邪魔者でないのなら。
彼女との関わりが生まれていて、【観客】ではもういられないのなら。
――俺も、彼女のようになれるのなら。
「呼ぶなら、お嬢じゃなくて、名前がいい」
俺の理想を照らしてくれているのは。
【お嬢】じゃなくて、そうあろうとする彼女の努力だと思うから。
「――呼びづらいでしょう?」
「え? いや、そんなこと」
「ディナでいいですわ!」
彼女は駅構内へと消えていった。
俺の網膜に、とびきりの笑顔を焼き付けて。
*
家に帰ると、リビングには母さんしかいなかった。
明は部屋で、父さんは風呂かな。
「おかえりー。ちゃんとお嬢ちゃん送り届けたー?」
「ちゃんと送ったよ。あと、〝ちゃん〟つけたら意味合い変わらない? それ」
「本人がいいって言ったからいーの。それよりあんたさ」
「んー?」
「付き合うも付き合わないも好きにしたらいいけど。答えの出し方、間違えないようにね」
この母はいつもそうだ。
大事なことほど隠し通せた試しがない。
否定したら彼女から「まだ付き合ってない」なんて言葉が出て、余計面倒なことになるかもしれない。
とか考えてスルーしていたのも、バレているんだろうな。
「わかってるよ」
「ならいいけど。お父さんそろそろ出てくるから、お風呂もすぐ入っちゃいなさいね」
「それもわかってるよ」
着替えを取りに部屋へ。
明は机で宿題かな。
邪魔しちゃ悪い。
「吹」
「うん? なに?」
静かに任務を遂行しよう、と思っていたところに話しかけられて少し驚く。
「壺とか買わされるなよ」
内容にさらに驚く。
拝啓、ディナ様。
あなたは弟に、ひどい誤解をされているようです。
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