第9話 ねこかわいいですわ

「愉快な母君ですわね」

「そうだね。君からしたら特にそうだろうね」


 怒涛の精神攻撃をなんとか耐えきり、一通り吹き込んでご満悦の母から彼女を引き剥がして自室に連れ込むことに成功した。

 これ以上、二人を一緒にしてはいけない。


「あら? あらあらあら!」

「ナァーン」

「ねこ!」


 一気にIQが下がった様子のお嬢。

 彼女がまっすぐ吸い寄せられていったのは、部屋への闖入者を確認しようと、俺のベッドで掛け布団と一体化したまま頭だけをひょっこり持ち上げた我が家の愛猫だった。


「見ないと思ったらここにいたんだ」

「いいですわねぇ猫……! 撫でても大丈夫かしら」

「大丈夫だと思うよ。我が家で一番ふてぶてしいから」


 恐る恐る彼女が手を伸ばせば、寝ぼけ眼のまま大人しく受け入れる猫。


 なんだい嬢ちゃん、いい手つきじゃねえの。あー、そこ。そこもっと掻いてくれ耳の裏。んあー。


 なんて。まさかそんな口調ではないだろうけど、多分思考は似たようなものだと思う。


「本当に大人しい子ですのね。なんていう子ですの?」

「かつぶし」

「……茶トラだから?」

「本人改め、本猫の好みだよ。お陰で俺は母さんに、猫用の無添加かつお節を乗せた冷奴を出されたことがある」

「……健康的ですわね〜」


 あっ、突っ込みを放棄された。

 お前が無防備に顎裏を見せびらかしたりするせいだぞ。かつぶし2歳(♂)。


「ふふっ……ウチのセバスにも負けず劣らずの可愛さですわ」

「バーネロンドさんもなにか飼ってるんだ」

「飼ってるだなんて。一緒に暮らしていただいているんですわ」

「そのマインド、わかるよ。どんな子?」

「掃除夫ですわ」


 掃除夫…………?


「ベッドも二段ベッドですのね」

「え? あ、ああ、うん。男二人兄弟だからね」


 どうしよう、突っ込み時を見失った。

 掃除夫ってなに……?


「いいですわねぇ。わたくしはお兄様と同じ部屋なんて死んでも御免ですが」


 それはまあ……異性の兄妹だと余計にそうなのかな?

 ……異性だからだよね?

 実は明も嫌がっていたりしないよね?


 興味深そうに部屋を見渡される。

 少し恥ずかしい。ここの私物、ほとんど明のだけど。


「あっ、大丈夫ですわよ? ベッドの下は覗きませんから」

「小学生と同じ部屋だってわかってる?」

「そうですわね。今時はデジタルが普通ですものね」

「そうじゃなくてね?」


 デジタルだって存在しないよ。

 なんならチェックしてもらってもいい。

 履歴の削除に抜かりはない。


「冗談はさておき……貴方には謝らなければなりませんわね」

「何を?」

「突然押しかけて、申し訳ありませんでした」


 猫からようやく手を離し、恭しく頭を下げる。

 これまでの態度が嘘みたいに。


「悪いとは、思ってたんだ……」

「そのくらいの良識はありますわ」


 じゃあしなければよかったのでは……?

 やはりどうにも、俺の表情筋は正直すぎるらしい。


 見透かしたように、彼女は自嘲気に苦笑した。


「言い訳を、聞いてくださる?」

「うん……いや、別に怒ってはないんだけどさ」


「単純に、他に手段が思いつかなかったんですわ」


 多分後半は、意図的に流されたかな。


「貴方が自分の価値を信じられないという理由が、周囲の方を探っても見つかりませんでしたの」

「だから、家族?」


「ええ。交友関係すらろくに洗い出せませんでしたので、苦肉の策ですわ」


 佐藤さんとかに聞いても、中学の時仲良かった人すら出てこなかったんだろうな。

 ごめんね、友達いなくて……。


「あとはもう、勢いですわね。冷静に考え出したら躊躇してしまうと思いましたの。お陰で手土産の一つも用意できませんでしたわ」

「それは別になくていいけど」


「そういうわけにはいきませんわよ」

「いくよ。いらないよ、友達の家に手土産なんて」


「友達、ですの……?」


 あっ。


「いや、ちょっと、口が滑って」

「友達でしたのね」

「あの…………」

「ちょっと待っていただけます? 言質取りますわ」

「取らなくていい取らなくていい!」


 あーーーーっ! 

 そんな……そんな嬉しそうにメモしなくても……。


「恋人は?」

「はい?」

「恋人は、お呼びしたことありますの?」

「そもそもいたように思う?」


「では、いずれわたくしが初めてになりますわね」


 これどんな顔すればいいの?

 笑えばいいの?


 Q.私が初めてになりますね?

 A.ははは(笑)


 ダメだ。これはダメだ絶対ダメだ。


「そ、それで、どう? 俺のことは分かった?」


 秘技! 話題転換!

 もはや通常コマンドと化しつつあるけれど、仕方ない。

 意外とこれが有効なんだもの。


「……そうですわね。ようやく少し掴めましたわ」


 ほらね。


「例えば?」

「貴方は、何者でもありたくないんですのね」


「何者でも、ね。まあ、近いかな」


 正確かと聞かれれば、少し違う。

 でも、そう遠くもない。


わたくしには……そうですわね、レッテルを剥がそうとしているように見えましたわ」


 レッテル。確かにしっくりくる言い方だ。

 俺はそれを、【役】と例えているけれど。


「【真面目】だと思われない程度に高すぎない成績に微妙な制服の着崩し。【大人しい】【暗い】【一人ぼっち】と思われない程度の人とのコミュニケーション。その逆も然りですわね」


「そうだね……【お嬢】であろうとする君と、正反対で」

「どうかしら。根本的にはあまり変わらないように思いますけれど?」


 それは、少なくとも、俺の想像は正しいということだ。


 俺があらゆる要素を排して、何【役】でもなくなろうとしているように。


 彼女はあらゆる要素を詰め込んで、【お嬢】という役を作り上げているという、想像が。


 賢くて、いろんな事ができるすごい人。

 だけどノリがよくて、親しみやすくて、特別すぎない人。


 誰にでも手を差し伸べられるように。

 誰からも頼られるように。

 誰かだけを特別にしないように。

 誰かだけを、一人にしないように。


 彼女は幾重にも重ねた努力の線で、【お嬢】という役を描き出している。


 それが俺が見てきた、カルディナ・バーネロンドという少女のイメージだった。


 俺にはそれが、眩しかったから。

 だからこそ、受け入れたくなかったんだ。


「俺の恋人になることは、【お嬢】であることを妨げることにならないの?」

「確かに、影響はありますわね」


 だからなんだ。

 俺が君に、釣り合わないと思うのは。

 彼女がどれほどの努力と優しさを尽くして【お嬢】であろうとしているのか。

 少しは、わかるから。


「でも仕方ありませんわ。好きになってしまったんですもの」


 だから、受け止め方がわからないんだ。

 こうして、それでもと言ってもらったときに、それにふさわしい自分を持っていないから。


「どうして、俺なの?」


 ついに出てしまった。

 飲み込んだはずの「なんで?」が。


「答える前に、わたくしも聞いていいかしら?」

「……どうぞ」

「貴方が何者でもない自分にこだわるのは、先程のお母様のお話の……?」


 こちらも、彼女に不躾なことを聞いてしまった。

 自分の話だけはしたくないなんて、そういうわけにもいかないかな。


 でも。


「そんなに、大した理由じゃないよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る