第4話 カルディナ・ザ・ムービーですわ!

 靴箱を開けるのに躊躇する人物ってどんな人?


 いじめられている人?

 いいえ。


 確かに俺はクラスでは基本的に一人でいるし、友達として特定の誰かの名前を挙げることも出来ないけれど。

 それでも話しかけられることがあれば当たり障りのない返しはできるし、何よりうちのクラスにはお嬢がいる。

 いじめなんて起きるはずがない。


 バレンタインデーのモテ男?

 いいえ。


 今は六月です。

 そしてモテたことなんて人生で一回もないです。

 かっこいいって褒めてくれた女性は母の友達のおばさんだけです。


 ならどうして俺は今、靴箱を開けるのを躊躇しているのでしょうか?


 それは、まさにその人生で一度もなかったモテの気配が、いや、何かの間違いか勘違いか不慮の事故である可能性が高いとは思っているけれど。

 それらしき気配が、身近に迫っているからです。


 ――――ガパッ。


「あれ、無い」


 恐る恐る。開けた瞬間爆発したらどうしようくらいのビビリようで開けた靴箱の中には、まだ汚れに塗れていない比較的きれいな上履きだけがそこにあった。


 ああ、よかった。なんだ、今日はないのか。

 安心して靴を履き替え、軽やかな足取りで教室に入る。


「カヌレですの?」

「うん、作ってきたんだけど〜、焼きムラがちょっと出来ちゃったし〜、が多くて〜……」

「大丈夫、美味ですわよ」


 お菓子を頬張る彼女と心配そうな花臣はなおみくんが目に入る。

 花臣くんはたしかお菓子作りが趣味だと言っていた。

 どうやら彼女に試食を頼んでいるらしい。


 彼女と目が合う。

 ニコリ。爽やかな笑み。

 こちらからもニコリ。安心の笑み。


 席について、ふぅと息をついて、今日は平穏に過ごせそうだなんて呑気に思ったその瞬間、気づく。


 あれ、もしかしていつ仕掛けてくるかわからない今の状況のほうが、こわい……?


 気づいてからはもう、昼休みにビクビク。移動教室でビクビク。


 一日中怯えて過ごした。俺の心配は全くの杞憂だったようで、何事もないまま金曜日が終了した。


 これで一安心。ベッドに身を投げ息をつく。そして気づく。

 休日に仕掛けてくる可能性も、もしかして……!?


 結局、土日の間ずっと怯えて過ごした。

 よく考えてみたら住所なんて知られてないし、このご時世簡単に個人情報が流出することなんてあまりないはず。


 仕掛けようなんてあるはずなかった。

 それでもメッセージの通知にだけは敏感になってしまった。

 全部公式アカウントからだったけど。


 まるで気の休まらない休日を越え、月曜日。

 すっかり思考力が衰えた、ゾンビのような緩慢な動きで靴を履き替えようとすると――――カサッ。


「…………」


 教室には向かわず、真っ先に人の少ない方へ向かい、開封。



_____________________


 多々良 吹


 本日も放課後

 視聴覚室でお待ちしておりますわ


        カルディナ・バーネロンド

_____________________



 ああ、そっか。

 休日にじっくり準備してくるパターンがあったか。

 盲点、盲点☆



 *



「あら、今日もちゃんと来ましたわね」

「前も気になってたんだけど、どうして普通に視聴覚室使えてるの?」


「申請したら普通に使わせてもらえましたわよ? 名目上は自主学習、ということにしていますけれど」

「嘘じゃん」


 都合の悪いことは聞き流して、彼女は何かの準備を進める。

 俺も文句を言いつつも、逃げたほうが後が怖い気がするので前と同じ席につく。


 やがて準備が終わったのか、リモコンを操作。

 下りてくるスクリーン。

 今度はなんのプレゼンが始まるんだ。


 構える俺の耳に聞こえてきたのは。


 〜*♪.⁠*⁠・⁠。゚♪♫〜


 効果音ではなく、何やら豪奢なBGM。

 そして。


《カルディナ・バーネロンド。それは現代を生きる淑女。元貴族家であるバーネロンド家の長女として生まれた彼女は――》


「ごめん止めて。一回止めて」


 ピッ。電子音。止まる音声と画面。

 スクリーンには、幼い頃の彼女と思わしき幼女。


「もう、なんですの?」

「ほんとごめん。まず最初に聞くべきだった。これは?」


 きょとんとした顔。

 スクリーンに向く。

 再度こっちに向く。


わたくしの紹介動画ですけれど?」


 なんで?


 口からまろび出そうになった疑問を必死で飲み込んだ。

 聞いたところで、貴方が言ったんじゃないですのと返ってくるのが目に見えていたから。


 俺が言った。順序が違うと。

 先にもっと互いのことを知るべきだと。


 そして彼女は持ってきた。

 自分を知ってもらうための手段を。


 やはり彼女は合理的だ。

 そしてやっぱりやることが突飛だ。

 そうか、動画……そうきたか…………。


「何故頭を抱えるんですの?」

「いや、うんとね? その……」


 どうすればいいんだろう。

 俺はこれをどう受け止めればいいんだろう。


「た、大変だったんじゃない……?」


 悩んだ結果、しょうもない感想しか出てこなかった。


「まあ、そうですわね。なにぶん動画編集は初めて取り組みましたから」


 初めて……?


「この、教育テレビの偉人紹介番組みたいなのを、ゼロから?」

「ええ。本当は先週のうちにお見せしたかったのですけれど、上手くいかないものですわね。週末まで費やしてしまいましたわ」


 数秒で止めてしまったから、まだ序盤も序盤だけど。

 ただ画像に音声をくっつけただけのものじゃなかった。


 テロップがあった。効果があった。演出意図も感じられた。

 ナレーションなんか自分で読んで自分で録ったのだろう。


 動画の巧拙なんて俺には分からないけれど、それでも。素人のやっつけ仕事なんかでは絶対になかった。


「どうして、そこまで」

「そこまで、なんて言うほどのことじゃありませんわ」


 本当に、さも当然のことのように。

 あっちのスーパーのほうが野菜が安いんだもの、くらい自然に、彼女は言った。


「好きな人に自分のことを知ってもらうためですもの」


 胸が痛い。

 きっと、見ることもなく一蹴したこの間のプレゼン資料も、こんな風に作ってくれていたんだろう。

 俺のことを思って。一生懸命。


「ごめん、止めちゃって。続き見せてよ」


「! もちろんですわ!」


 喜色に満ちた晴れやかな笑顔。

 動画を見る僕の反応を、どうかなどうかなと伺うリアクションを待ちかねた顔。


 クラスでは決して見せないそんな表情がより一層、俺の胸を締め付ける。


 恥ずかしいな。


 何かの間違いであってほしかった。

 勘違いであってほしかった。

 不慮の事故であってほしかった。


 俺のことが好きなんて、なにか、一時の気の迷いで。一週間もすればなんであんなやつ好きだったんだろって思って。自然消滅してほしかった。


 きっとそうなるって思い込みたかった。

 彼女の気持ちに返せるものが何もなかったから。そんな自分が、恥ずかしかったから。


 自分の内にばかり向けていた目を上げれば、スクリーンの中では、小学生くらいの緋髪少女が無邪気な笑みを浮かべている。




 ――――眩しいな。

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