第16話 魔物の軍勢

「フム……送り主不明の荷物を開封してしまうような世間知らずの貴族令嬢と、彼女に忠実かつ魔導武器サーベルの魔導言語が聞こえる執事とで……何とかなると思ったのじゃが、失敗であるな」


 長く白い顎ひげを撫でながら、その老人はそう言ってため息をつく。彼は魔王軍幹部が一人、「魔物使いの老師」ことキュグニであった。


「ゼルアーバがやられた時には既にそうだったのであろうが、どうやらあの勇者の小娘には強力な魔術師がバックに付いているようである。生半可な作戦は、通用しないようであるな……」


 そう言って、今度は深くため息を吐く。そしてそのまましばらく沈黙した後、やがて何かを決意したかのように顔を上げてこう言った。


「やはり、我自ら手を下すしかないようであるな……次は『質より量』といこう。今ここで、我の力を見せつけるとするのである」



 * * *



 とある夜、人々が寝静まる中、パトリシアの聖剣が妙な、それも強大な気配を察知した。


(クリス、大変じゃ。ちょっと良いかの)


(どうしました、聖剣さん? …………あ)


(そうじゃ。お主も察知できたかとは思うが、どうやら魔物の軍勢がここ王都に向かってきているようじゃ)


(魔物の群れの中に……一体だけ、特異な反応がありますね。魔人でしょうか)


(おそらくは魔人……魔王軍の幹部じゃろうな、これだけ多くの魔物を率いられるとすれば)


(緊急事態ですから、皆さんに通知しましょう。まずはマギーさんとメグちゃんにこの事を伝えて、アレックスさんと「魔法使いの里」の長老をパトリシアの部屋ここに連れてきて貰いましょう)


(なるほど、聖剣の言葉をアレックス団長にも伝える必要があるがゆえに、長老の力を借りるというわけか)


(そういう事です。その間に、僕は魔物の群れへの対処法を考えます)


(了解じゃ)


 そうして、数分もしないうちにパトリシアの部屋には、マギー、メグ、アレックス、そして長老が招集されたのだった。


(長老も、マギーとメグがパトリシアにしているように、聖剣の声が聞こえるようアレックス団長の支援を頼む)


「お安い御用だよ」


 そう言って、長老はアレックスの左手を掴む。


(アレックス団長、わしの声が聞こえるかの?)


「ばっちり聞こえます。聖剣様はそのようなお声をしていたのですね。…………ご協力ありがとうございます、長老殿」


「いやいや、住む場所を失った里の者を受け入れてくれた王都への恩に比べれば、どうってことないさ」


「あれは、人として当然のことをしたまでですから」


(おっほん。アレックス団長、確かに人道支援の大切さを示すことは大事じゃが、そろそろ本題に入ってもよろしいかの?  事態は急を要する)


「失礼しました、聖剣様」


 アレックスが慌てて頭を下げる。


「聖剣さん、緊急事態について早速話してよ」


 メグが急かすように言った。


(話は単純じゃ。おおよそ見積もって三時間後、ここ王都に魔物の大群が襲来する)


「聖剣様、それは本当なのですか?」


 アレックスが、念を押すように尋ねた。


 聖剣が、クリスだけに聞こえる魔導言語で問いかける。


(クリス、お主の見積もりではどれくらいじゃ?)


(三時間二十六分くらいです)


(トンチキ野郎も同様に魔物の到来を察知している。より正確には残り三時間二十六分くらいらしい)


「王都だけでなく王都郊外への人家への被害は?」


(特になさそうじゃ。敵どもは一直線に王都を目指しておるように見える)


「どれだけ大量の敵なのですか? 王立騎士団の面々で対処することは……」


(量からして、厳しそうじゃな。正攻法では最悪王都が陥落してしまうじゃろう)


「やっぱり『トンチキ』君の力を頼るしか……」


 マギーが、真剣な表情で呟く。


「あたしも賛成。トンチキお兄ちゃんならきっと何とかしてくれると思う」


 メグが、姉の発言に頷きながら同意する。


(して、アレックス団長はどう思う? トンチキ野郎に事態の打開を任せても良いかのう?)


「勇者パーティで大きな貢献をしている二人からお墨付きを得ている人物であれば、私としても任さざるを得ないでしょう」


(アレックス団長、その返事を待っていた。横暴に聞こえるかもしれんが、この事態への対処に関する全権を、わしとトンチキ野郎に委任して欲しい)


(横暴だなんて、そんな。聖剣様の言う事には王都の人間は誰も逆らえないですよ)


(それなら有難いんじゃがな。王都におる人間で魔術の心得がある者全員に手伝って貰いたい、とトンチキ野郎が言っておる)


 その言葉を聞いて、パトリシアは小さな無力感を覚えた。


 自分には、魔術の心得が全くない。この緊急事態に際して、自分に出来る事などあるのだろうか。勇者という立場でありながら何もせず、ただ魔術師たちに任せていれば良いのだろうか……。


 パトリシアの心の乱れを察知した聖剣が、彼女を励ますべく声を掛ける。


(パトリシア。お主にはお主だけの役割がちゃんと用意されておる。心配には及ばん)


「あ……ありがとうございます」


 パトリシアは小さく一礼した。


(そうじゃ、アレックス団長と長老らに頼みたい事があるんじゃが)


「何です?」


(真夜中とはいえ魔物が襲来しているとのことで、アレックス団長には市民への伝達や避難誘導の手配、長老には王都を守るための魔術に魔力を提供してくれるよう、王都に居る魔術師たちに魔導言語で呼びかけて欲しい)


「分かりました。すぐに動きましょう」


 そう言って、アレックスは足早に部屋を去り、長老は早速魔術師たちへコンタクトを取り始めた。


「それで……聖剣さん、今回も何か魔導譜はあるの?」


 メグが首を傾げて尋ねる。


(今回の魔術はトンチキ野郎が聖剣を通じて発動する、という特殊な形を取る。発動にトンチキ野郎本人が絡んでいる訳じゃから、魔導譜は不要なんじゃ。皆は、その魔術の安定に寄与してもらいたい)


「なるほど、だったらあたしたちはトンチキお兄ちゃんが発動した魔術に魔力を供給してればいいんだね」


 納得したメグが頷く。


「どういう魔術を使って対処するかは既に決まっているの? 例えば王都全体を覆うような魔術とか、膨大な魔力を使うものになりそうなのは想像がつくけど」


 マギーが真面目な声色で尋ねる。


(それに関しては、トンチキ野郎の頭の中ではほぼほぼ完成しているようじゃ。お主ら姉妹は魔導譜を見たいと思うかもしれんが、残念ながら魔導譜に書くにはトンチキ野郎の負担が重すぎる)


「わ……わかったわ」


「それは仕方ないね」


(という事で……あとは、パトリシアの頑張り次第じゃな。よろしく頼む)


「は……はいっ」


 聖剣の言葉を受け、パトリシアは緊張気味に返事をする。



 * * *



 少しして、王都全体に向けて緊急放送が行われた。その内容は、「魔物の群れが大挙して押し寄せてきている」というものだった。


 住民たちは不安げにざわめいていたが、騎士たちの誘導は実に素早かった。アレックスの指示により、王都内の各所にある公園や広場などに、住民の集合地点となる避難所が設定され、速やかにそこに集まるよう指示が出されたのだ。こうした素早い対応もあり、大半の住民は混乱に陥ることなく行動出来たのであった。



 * * *



 そして、ついにその時は来た。

 四つある王都の門の全てで、目と鼻の距離に、魔物の軍勢が押し寄せてきたのだ。


 一方、こちらはパトリシアの部屋。パトリシアは自分のベッドに横になっていて、マギーとメグは杖を取り出してその時を今か今かと待ち構えている。


(敵が、十分に王都に近づいた。これより、魔術の発動を行う)


「パトリシア、いよいよ始まるらしいわ」


「頑張ってね、パトリシアさん」


 聖剣の声を聞いたマギーとメグが、パトリシアに語り掛ける。


「ありがとう、マギーさん、メグちゃん。私、行ってきます」


 パトリシアはそう言うと、静かに目を閉じた。


(いよいよじゃな、クリス。わしらの力を魔王軍どもに見せつけてやるのじゃ)


(…………発動)


 クリスは今回、新しい試みを行った。発動する魔術の内容を魔導言語に変換して聖剣に送信しそれを発動するというもので、人間の身体よりも遥かに大きな処理容量を持つ聖剣が相手だから出来た芸当である。それだけ、魔物の軍勢の対処に前代未聞な規模の魔術を必要としていたという事である。


(行ってらっしゃい、パトリシア)


 本人に届かないとは知りつつも、クリスは優しい声色で見送りの言葉をかけた。



 * * *



 パトリシアは気が付くと、床に緑色の格子がある以外は全て真っ黒な空間にいた。聖剣が発光しているお陰で真っ暗闇ではなく、自分がどういう場所にいるのかは大体把握する事が出来た。


 この空間に居る間は聖剣と会話が出来る事を前もって聞かされていたパトリシアは、早速聖剣に問いかけを行う。


「聖剣さん、転送成功ですか……?」


(どうやら上手くいったようじゃ、パトリシア。お主はもう知っていると思うが、ここはトンチキ野郎がお主のために用意した舞台ステージじゃ)


「はい、先ほど説明してもらいましたから」


 今パトリシアから見えている彼女の身体は、本当の肉体ではない。本当の肉体は、自室のベッドの上で横になっている状況なのだ。


 理屈はこうだ。

 まず、クリスは何も存在しない無限に広がる特別な異空間を闇魔術で作り出した。そして、その空間自体を聖剣と魔術的に接続し、空間内で起こる出来事を聖剣がある程度ハンドリングできるようにした。さらに、聖剣はパトリシアの肉体とも魔術的に接続し、空間でパトリシアの目が受け取る視覚刺激や耳で聞く聴覚刺激などを、彼女にはまるで現実のように錯覚させているのである。


(パトリシア、仮想の身体についてはどうじゃ? 違和感などないか?)


 パトリシアは自分の手足を適当にぶらぶらさせる。


「ええ、大丈夫です」


(ならば良し。これから本格的に戦闘が始まるので、しっかり備えておくれ)


「はいっ」


 パトリシアは、迫りくる戦闘に備え気を引き締めるのであった。

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