第15話 トンチキさんとは誰なのか

 王城敷地内にある、騎士団の訓練場にて。


 そこではルミナとウォルトンが、目にも止まらぬ速さでサーベルを交えていた。


「ルミナの身体能力を大幅アップする」と豪語する、かつてパトリシアの命を狙おうとした魔導武器のサーベルが、実際にどれだけの強さをルミナにもたらすのか試してみようという話になったのだ。その結果として二人が繰り広げていたのは、まさしく人智を超えた剣戟であった。


 幼少のころから剣術において研鑽を積んでいるウォルトンに対し、そもそもサーベルを手に取ったのがごく最近というルミナであったが、その動きは既に達人と呼んで差し支えない域にあった。


「本当にすごいわね……あのサーベルにかけられた身体能力向上エンハンス魔術は」


 二人の剣戟を眺めていたマギーが、ぽつりと呟く。


「パトリシアさんが襲われた夜……あの時は向こうから撤退していったけど、もし戦いになってたら……あたしたち二人でアレサーベルに対処できたかな」


 メグが、不安そうに言う。


「微妙ね。私たち二人がかりでも、負けないのがやっと……いや、ひょっとすると負けていた可能性だってあったかもしれないわ」


「マギーさんとメグちゃん二人がかりでも……ですか」


 パトリシアが深刻な表情で言った。


「ええ。だから、『トンチキ』君が居てくれて助かったなって改めて思ったのよ」


「ほんと。トンチキお兄ちゃんが居なかったら、どうなってたことやら……」


(二人には言っておらんはずなのに完全にバレておるな、クリス。あの夜、お主がパトリシアを助けた事が)


(きっとサーベル対策用の魔導譜が出てきた時点で、察したんでしょうね……)


「…………」


 パトリシアもパトリシアで、サーベルを持ったルミナと、もし戦闘になった場合……自分が対抗できたか否かを、思い巡らせていた。


 パトリシアの見る限りルミナの剣筋はあまりにも流麗で、常人には到底太刀打ちできないもののように思えた。ゆえにパトリシアも、ルミナがあれを自分に向けてきたら迎え撃つことができたかどうか……という疑問には、正直なところ自信がなかった。考えたくはないが、マギーたちと同じく負けてしまっていた可能性だって十分にある…………と。


 だがそこで……パトリシアは、ある一つの考えに思い至る。


 ――そうだ、『トンチキ』さん……あの時、もしかして。


 パトリシアは、思い出していた。ルミナをサーベルから救出する際、一時的にウォルトンを操っていたという「トンチキさん」なる存在の事を。あくまで一つの仮説に過ぎないが、彼は「今のパトリシアではサーベルを持ったルミナには勝てない可能性が高い」事を察していて、だからこそ、実際に剣を交える事にならないよう、上手く立ち回っていたのではないか……と。


 そして、彼女はサーベルに命を差し出せと迫られた時、ウォルトンの身体を通して彼が言っていた言葉を反芻はんすうする。


 ――(パトリシア……俺が、絶対にそんな事はさせない。安心して待っていてくれ)


 彼女は意図せずして、「トンチキさん」なる謎の人物と、彼女の大切な幼馴染とを重ね合わせようとしていた。


 何故なのかはわからない。単に、「トンチキさん」が自分に向けてくれた優しさと、大切な幼馴染が今まで自分にくれた優しさとを、似たもののように感じているだけなのかもしれない。しかし……「トンチキさん」が本当に彼なのだとしたら、どうして自分に正体を明かしてくれないのか。彼には、自分に知られてはならない……もしくは絶対に知られたくない、何らかの秘密があったりするのだろうか。


「パトリシア、何やら深刻な考え事をしてるみたいだけど……大丈夫?」


 思い悩んでいる様子のパトリシアを見て心配したマギーが、彼女に声をかける。


「あ、いえ、大した事では……」


 慌てて取り繕うパトリシアだったが、マギーには何か思うところがあるように見えたようで。


「何か悩み事があるなら、私で良ければ相談に乗るわよ?」


「あたしも……パトリシアさんの力になれるんだったら」


 横で聞いていたメグも、真剣な表情でそう言う。


 そんな二人に対し、彼女はこう答えた。


「二人とも……ありがとうございます。……実は、少し気になることがあって」


 そう前置きをしてから、彼女がぽつりぽつりと語り始めたのは、「トンチキさん」に関することだった。彼は誰なのか。そして、なぜ自分たちにその正体を明かさないでいるのか。それが彼女にとって気がかりだったことを打ち明けた。


「……そうは言っても、『トンチキ』君についてわかってるのは、私たち二人を足してもまだ勝てそうにないレベルの、とんでもなく優秀な魔術師ってくらいしか……」


「うん、あたしたちが知らない魔術をトンチキお兄ちゃんは沢山知ってそうだし……それに、あたしたち二人で協力しても、あんな魔導譜は書けないよね……」


「え……魔導譜?」


 パトリシアが尋ねると、メグとマギーは頷いてから答える。


「そうよ。今まで私たちが提供してもらった魔導譜は全部、『トンチキ』君が書いてくれたものなの。聖剣さんが書いたわけじゃないのよ」


「そういえば、パトリシアさんには言ってなかったね……」


「本当は聖剣さんが、パトリシアには『トンチキ』君のことを秘密にしておいて、って言ってたんだけど……ウォルトン君のせいで、そうもいかなくなっちゃったのよね」


「というか、あの時『名乗りなよ』って要求したあたしたちのせいでもあるよね……」


「思い返してみれば、確かにそうね…………」


「うーん、元はと言えば、二人が誰と話をしているのか聞いたのは私だったような……」


(三人とも、何を言っておるんじゃ……一番悪いのは、あの場で自ら名乗ったトンチキ野郎本人じゃろうがい。自業自得じゃ)


「「あ……聖剣さん」」


 マギーとメグが同時に声を上げる。


「せ……聖剣さんなら『トンチキ』さんのこと、もっと知ってますかね……?」


「そうだよね、聞いてみようよ」


「一応、ね」


 そして、マギーとメグがパトリシアの右手と左手を掴んだ。


「ええと、聖剣さん……」


 パトリシアが、やや遠慮がちに声をかけると、すぐに返事が返ってきた。


(ふむ……お主が気になっている「トンチキ野郎」については……期待をぐようで申し訳ないが、わしから教える事は出来ぬ。奴にも、奴なりの事情があるんじゃ)


「そうなんですか……」


(しかし……じゃ。その代わりと言っては何じゃが、お主に思い出して欲しい言葉がある)


「思い出して欲しい言葉……?」


(王立騎士団設立にも関わった、とある勇者がのこした言葉……覚えているかの?)


「…………『大切な人のために頑張れる人間』は『強い』、ですか」


(そうじゃ、勇者パトリシア。わしが唯一「トンチキ野郎」に関して言えるのはそれだけじゃ。あとは、お主の想像に任せるとしよう)


 そこまで話すと、聖剣は黙り込んでしまった。


 聖剣がくれた言葉をヒントに、考えを巡らせる一同。


 …………しばらくして。


「あっ……私、わかったかもしれない」


 ふとマギーが、こう呟いた。


「ええっ?」


「お姉ちゃん?」


「『トンチキ』君が何であんなにすごい魔導譜を書けるのか。それは……『彼』が、『大切な人のために頑張ってる』から、じゃないかしら」


 マギーはそう言うと、真っすぐパトリシアの目を見つめる。


「そして……『彼』にとっての『大切な人』は、パトリシアに違いないわ」


「…………」


「ゼルアーバを倒すときに使った魔導譜も、そのあとパトリシアがジャストパリィの練習をしてた時の魔導譜も……今回、サーベルを無力化するのに使った魔導譜も。全部、パトリシアのために書かれたも同然だったもの」


「ジャストパリィの練習の時も……ですか!?」


「そうだよ、あの時は言わなかったけど。全部、トンチキお兄ちゃんが用意してくれた魔術なんだ」


「まさか……そんな……」


 言われてみれば、あの時の魔術はまさに「パトリシアがジャストパリィを練習するのに特化した」特別な魔術だった。「パトリシアを大切に思っている誰かが、パトリシアのためだけに用意した」と説明されたとしても、確かに納得がいく。


「『トンチキ』さん…………」


 パトリシアはそれ以上言葉を続けることができず、うつむいてしまう。


 そして……しばらくして。


「私も『トンチキ』さんのために、何かできる事はないでしょうか……」


「ええっ?」


「うーん、相変わらず真面目だね……パトリシアさんは」


 マギーとメグが、口々に言う。


「だって……私が助けてもらってばかりじゃ、不公平だから……」


「別にいいんじゃない? パトリシアが『トンチキ』君に何かしてあげなくても」


「そうだよ。きっと、困ったことがあってもトンチキお兄ちゃんは自分で何とかしちゃうと思うよ。あれだけ優秀な魔術師なんだし」


「まあ、さっきは私たちが彼のお手伝いをしたけど……あれは特殊なケースよね、多分」


「あれはサーベルを目の前にした、緊急事態だったしね」


 パトリシアは浮かない顔で、二人の言葉を黙って聞いていた。そんな彼女に、真剣な表情でマギーが語りかける。


「…………パトリシア。残酷なことを言ってしまって本当に申し訳ないけど、そもそも魔術を扱えないパトリシアが彼の力になろうとするのは、けっこう無理があるんじゃないかと思うわ、正直なところ」


「って言うか、トンチキお兄ちゃんが何かに困って誰かに助けを求めること自体そうそうないだろうし、パトリシアさんもそこまで深く考えなくていいんじゃないかな」


 実際、マギーとメグの見立てはかなり的を射ていた。特にトラブル解決という点において、パトリシアがトンチキ野郎クリスに対して何か援助をするという必要性は皆無に等しかった。


「でも……ここまでお世話になっている人に、何の恩返しもできない勇者なんて……」


 パトリシアは、そう呟いて肩を落とす。


 すると……そんな様子を見ていたマギーが、パトリシアの肩に手を置いてこう言った。


「……パトリシア。さっき聖剣さんが言ってた言葉……そのままではないけれど、パトリシアにも応用できるはずよ」


「私にも……ですか?」


「ええ。『トンチキ』君を「大切な人」扱いしろとまでは言わないけど、彼への感謝の気持ちを原動力にして頑張れば……きっと『トンチキ』君も、どこかで見守ってくれるんじゃないかしら」


「……!」


 パトリシアは再び黙り込む。彼女は感じていた。顔も本名も知らないはずの「トンチキさん」への感謝の気持ちが……心の中で少しずつ、温かい気持ちとして満たされていく事を。…………そして。


「わかりました。私、頑張ります……ええと、『トンチキ』さん! いつもありがとうございます。未熟な私ですが、どうかこれからも見守っていてください!」


 そう言ってパトリシアは…………どこで見ているかは分からない「トンチキさん」にどうか届いてほしいという願いを込めつつ……その場で深々とお辞儀をし、感謝の意を示したのであった。



 * * *



(……だ、そうじゃ、クリスよ)


(う、うーん……言われなくても、俺のすることは結局変わらないですけどね……)


(確かにそうじゃな。……でも、パトリシアに直接感謝されたんじゃ。少しはやる気が出るのではないか?)


(そうですね、何とか期待に応えなきゃとは思いますが……)


 と言って、クリスは考える。ルミナの持つサーベルには身体能力向上エンハンス魔術がかけられており、ルミナの戦闘力を爆上げしている。それを、パトリシアの持つ聖剣にも応用できればいいのだが……


(それは無理じゃな、クリス。理由はいろいろあるが、聖剣には永続魔術が効かないようになっている点が大きい。魔術剣のような一時的なものであれば、別じゃがな。まあ、どうしても実現したければ……戦闘時は常にお主がパトリシアの身体を魔術で操るようにして、人間離れした動きで戦わせる方が、余程手っ取り早いじゃろうな)


(つまり、以前レッドドラゴンを倒した時みたいなことを常時、ですか……? それは、何か違う気がしますね……)


(うむ。そもそも、そのような手段ではお主への負担が大きかろう。何か、別の形を取った方が良いじゃろうな。…………まあ、今考えずともよい。とにかく今後とも、勇者パトリシアのサポートをよろしく頼むぞ)


(はい、もちろんです)



 * * *



「ふう、いい汗かきましたわ……!」


「お疲れ様でした、ルミナ様」


「ありがとうウォルトン、そちらもお疲れ様ですわ」


 剣術の鍛錬を終えたルミナたちが、パトリシアたちに近寄る。


「あ、そうだ皆様。提案があるのですが……これから一緒に入浴などいかがでしょうか?」


 ルミナの提案に、パトリシアが代表して答える。


「ええ、大丈夫ですよルミナさん。二人も問題ないですよね?」


「OKよ」


「うん、大丈夫」


 こうして四人は揃って王城内にある大浴場に向かうことになったのであった。



 * * *



「……ふう、いい湯加減、ですわ」


 ルミナが露天風呂の湯船につかりながらそう呟く。


 そんな彼女に、一つの視線が向けられる。


「デ、デカいわね……パトリシアよりも」


「……!?」


 マギーの発言に反応し、慌てて両手で胸を隠すルミナ。


 そんな様子を横目で見つつ、パトリシアは思う。


 ――うーん、やっぱり大きい方が男の子は喜ぶのかな……。


 パトリシアのそれは、決して小さいというわけではない普通サイズである。だがルミナのような圧倒的なボリューム感を前にすれば、彼女としてはつい比べてしまうのも仕方のないことだろう。


 パトリシアは考えを逸らそうと、ルミナに質問を投げかける。


「ところで……ルミナさんって、おいくつなんですか」


わたくしですか? 十七歳になります」


 年齢を聞いた途端、マギーが悔しそうな声を漏らす。


「私の一つ下でこのプロポーション……ぐぬぬ……」


 ルミナが、少し困ったように苦笑いする。


「大丈夫だよ、お姉ちゃんにはお姉ちゃんの体型があるんだから。他の人と比べて一喜一憂する必要なんてないと思うよ」


 悔しがる姉の姿を見かねてか、メグが励ますように声をかける。


「うう……ありがとねメグ……」


「あら、姉妹で仲良しなんですのね。素晴らしいことですわ」


 その様子を見たルミナは、微笑みながらそう言った。


「まあ、お姉ちゃんが情緒不安定だから、妹のあたしは色々大変なんだけどね」


 メグが肩をすくめてそう言うと、マギーが反論する。


「ちょっとメグ、誰が情緒不安定ですって!?」


「だって、本当のことじゃん」


「ムキー! 姉に向かってよくも、上から目線の態度を!」


「だってあたし、『しっかり者の妹』で通してるもん。お姉ちゃんがしっかりしてないから」


「ぐぬぬ……ちょっとは妹らしくしたらどうなの、メグ!」


「どちらかと言ったら、お姉ちゃんが姉らしくないのがいけないんでしょ」


 一触即発の状況に、見かねたパトリシアが慌てて仲裁に入る。


「ちょ……マギーさん、メグちゃん、落ち着いて……」


 ルミナも、二人をなだめようとする。


「そうですわよ、お二人とも。先ほどまで仲良し姉妹でしたのに……」


 そこでふと、パトリシアが疑問を口にする。


「そういえばルミナさんには……兄弟とか、いるんですか?」


 すると彼女は、こう答えた。


「おりませんわ。一人っ子ですのよ」


「そうなんですね……私もです」


「まあ、わたくしたち『一人っ子仲間』ですわね」


 そう言って微笑み合うパトリシアとルミナであった。


 そこに、メグが口を挟む。


「ということは……ルミナさん、けっこう大変じゃない?」


「大変……と言いますと?」


 首をかしげるルミナに、メグは続ける。


「ルミナさんのおうち……ええと確か、エレンスバーグ公爵家だったよね。一人っ子ということは、ルミナさんが後継ぎってことでしょ?」


「はい、そうなりますわね……」


 メグの質問に、ルミナは頷いて答える。


「じゃあ、跡取りが必要になるんじゃない? ……子供とか」


「……!」


 メグのその言葉を聞いた瞬間、ルミナは何やら考え始めた。


「お父様やお母様からは今まで特に何も……でも確かにわたくしが婿を取って、子供を持つ必要があるかもしれませんわ……」


 これまでの話を静かに聞いていたマギーが、突然話に割り込んでくる。


「なるほど、そこでウォルトン君の出番ってことね……!」


「なっ!? どうして突然ウォルトンが出てくるんですの!?」


 ルミナは、赤面して慌てふためく。その様子を見たマギーが真顔で言う。


「あれ? 違った? てっきり、あなたたちはそういう関係なんだと思ってたんだけど……」


「そんなわけないでしょう! もう……」


「じゃあ、どういう関係なのかしら?」


 するとルミナは少し考えてから、こんな回答をする。


わたくしより一つ年上の……執事兼幼馴染でしてよ。それ以上でも以下でもありませんわ」


 するとマギーは、納得した表情で頷く。


「ふーん、なるほどねえ……」


「何ですの?」


「生意気な妹はいても……幼馴染の男の子なんて私にはいないから、二人が羨ましいわ」


 マギーは、ルミナだけでなくパトリシアにもチラリと視線を向けて言った。


「あら、パトリシアさんにも幼馴染の殿方がいますの?」


「はい……います」


「ふむふむ……どんな方なんですの?」


 ルミナにそう聞かれたパトリシアは、しばらくの沈黙の後……いくら手を伸ばそうとも決して届かない、遠い存在に思いをせるかのような表情で答える。


「今もきっと、どこかで……私の勇者としての活躍と、無事を願ってくれている……私の、大切な人なんです。…………そうだよね? クリス……」


 パトリシアはそう言うと、首に下げたルビーのペンダントをぎゅっと握り……そして、心に募る寂しさを紛らわすかのように天を仰ぐ。うれいを帯びたその目には、うっすらと涙が浮かんでいたのであった。

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