異世界世界平和〜美しく残酷な世界の話〜
焔葉千尋
第2話 出逢い
あの日以降、カローナは以前のような快活さはなくなり、一目見ればすぐにわかる程やつれていった。ふっくらだった頬はこけ落ち、濁った目をこちらに向け、貼り付けたような笑み。無理をしている事も、彼女がこんな風になった原因も、分かりきっているのにどうする事も出来ない自分がもどかしくて、惨めで唇を噛みしめることしかできなかった。
「あ"あ"ぁぁっー!!!痛い!イタイ!!気持ち悪い!!お願い!お願いします!やめてくださいっ!助けて!助けて!!!ヒルルカ!!!!」
夜になって訪れるのは耳を劈く絶叫。カローナはあの日の記憶に怯え、喉が枯れるほどに叫んでは暴れる。
「大丈夫だよ、アイツはいないから」
「私が傍にいるよ」
その度に呼びかけるも彼女の翡翠の瞳に私は映らない。助けを求める彼女に私の声は届かない。狂い叫ぶ彼女を見てはぐるぐると思考が巡る。
カローナが必死に助けを求めていた時に私は何をしていた?
何か出来る事があったのではないか?
直接的に傷つけてはないとしても、彼女に起きていた事を知らなかった私には何も出来ないと分かっていても、彼女が苦しんでいた時に私は呑気にご飯を食べていた。慣れきっていたんだ。どうせ殺されはしない、ただ痛いだけだと。そんな自分に怒り、軽蔑せずにはいられなかった。
そして、今の私にもこの現状を変えられる方法も、彼女を救う力も無い。
自分の無力さを、目を逸らして見ていなかった現実を鮮明に、これでもかと突きつけてくる。後悔ばかりが押し寄せる。私は馬鹿だ、私は無力だ、今考えている事だって失敗するかもしれない。失敗すればカローナと私は死ぬかもしれない。
それでも私は………足掻き続けたい、そう思った。どんなに醜くても、例えこの選択の末が地獄だとしても、このままでは終えたくない。何より、カローナをこんな所にいさせたく無い。忌まわしい記憶を乗り越えて幸せになって欲しい。月光が照らす部屋で語ったあの夢を叶えたい。叶えて彼女と一緒に海に行きたい。彼女の願いは、彼女の笑顔は、彼女の存在は、諦めていた私にとっての希望なのだ。
彼女を優しく抱き締め、彼女の肩に頭を置く。出会った時から変わらない太陽のような温かい香り。カローナの肩から顔を上げると、叫びながら拒絶する彼女の顔を両手でそっと包み込み、ほろほろと零れ落ちる涙を指で掬う。見つめ合った私は語りかける。
「………一緒に逃げよう、カローナ」
喉から絞り出した声は掠り声で、頬に涙が伝っていく。歪んでいく視界の中で、焦点が合わなかった彼女の目に私の姿が映った。
「ごめん……ごめんねヒルルカ」
正気を取り戻した彼女は謝り続ける。次々とうわ言のように呟く“ごめんね”があまりにも弱々しくてツキりと胸が痛む。
「ヒルルカ…もう一つお願いして良い?」
「なに?」
抱き合っていた形から二人並ぶように座る。カローナは鉄格子の外の雲ひとつ無い空に浮かぶ満月を視ている。
「ワタシが住んでる所ね、今も大人たちが戦ってるの。パパとママも友達も…ヒルルカも幸せに暮らせる国に…ううん、世界にして欲しいの」
「なんとも難しい注文してくれるね」
「はは…出来る?」
カローナの口から出た言葉は凡そ不可能に近い事だった。国どころか世界平和を一人のしかもただの人魚に託すなんて些か無茶な話である。荒唐無稽な話だと切り捨てればそれまでだ。だけど、私の答えはとっくに決まっている。
差し出したカローナの小指に私の小指を絡め強く握る。自信に満ちた笑顔で応える。
「してみるさ」
◆
「逃げるのか」
「え…」
ある朝の事だった。逃げる経路やここから出る方法を考えていると、私たちと同じ奴隷である猫の獣人の男の子に話しかけられた。男の子は耳をイカのように立て、膨らんだ尻尾を床に叩きつけている。カローナ以外と関わりが薄かった私は唐突に話しかけられ少し驚いた。
「聞いてたの?」
「猫は耳がいいんだよ。あんな大声で泣いてたんだ、そりゃ起きるし眠れねぇだろ」
「そっか…ごめんね」
「いいよ別に、それに事を思えば責めるに責められねぇよ」
彼も事の経緯を察しているのだろう、眉間に皺を寄せている。チラリと私を見る。その瞳には確固たる意志を纏った鋭さがあった。
「それより、危ないから辞めとけ」
「…」
「脱走が失敗して折檻を受けた奴もいるし、時には逃げ出したきり戻って来なかった奴もいる。長くいたお前が知らないわけが無いだろう」
彼の言っている事は至極まともだ。逃げられなかった子が折檻を受けたその後、話すことも出来ないほどに怯える姿を何度も見てきた。その度に私は馬鹿だなと思った。ありもしない未来に希望を見出して、痛いなんて分かり切っている険しい道でも通ろうとしているのだから。その結果が殺処分か精神崩壊なんて愚か者がすることだと思っていた。だけどカローナと出会い、たくさん話をして、笑って泣いて、その気持ちも理解るようになった。思い出してしまった辛いからと奥底に葬っていたはずの愛おしい記憶、そして『これから』を欲しいと願い、今ではかつて馬鹿にしていた一縷の望みに縋ってしまっているのだ。なんという笑い草、底抜けの間抜け、滑稽でたまらないだろう?しかし、それが今の私にとっては酷く心地良いと感じるんだ。
俯いていた顔を上げ、男の子と目を合わせる。
「だけど私は…出るよここを」
そう断言すると、男の子は目をぱちくりさせる。その後深いため息をついた。言っても無駄ということに気づいたのか、重い口を開いた。
「アイツは魔法を使える数少ない人間でもある。それに、そもそも俺等はここでムスリム以外に出会った事が無い、つまりそれは敵の数が不透明だという事だ」
「魔法?…まあ、うん。でも逃げることが第一優先だからそこは大丈夫」
「?まぁ…不安だが、アンタたちが無事に逃げれる事を祈ってるよ」
「あなたは逃げないの?えっと…」
「クルシュだよヒルルカさん?よく知らない奴と話せるな」
「何となく?」
「…変わったなアンタ。ちなみにさっきの質問を答えるなら俺は今はいい」
「……あなた性格悪いね」
「これも処世術ってやつ、まあ逃げれる手立てが見つかれば教えてくれよ。気が乗れば協力してやる」
そう言った彼はニヤリと笑い、ムッとした私は彼を叩く。軽い言葉の応酬、凄くしょうもなくて、下らない、だけど笑ってしまう自分がいる。久方ぶりのことだろうか。話した事がない、ましてや名前すら知らなかった人と今話している。カローナと出会う以前の私のままであったらこの日が来る事も無かったのだろう。クルシュと話しながらそう考えていた私は微笑んでいたようだ。
「なんだその顔、気持ちワリィ」
「うるさい」
◆
朝の雲雀、光射す部屋、一日が死に“今日”が来る。奴隷である私たちに拒否権などある訳もなく、一人は必ず拷問にも等しい実験をされる。扉の一枚、コツコツとこの部屋へと近づく度に大きくなる革靴の音が恐怖心を引き立てる。3回のノックの後、キィと蝶番の音を響かせ鉄製の扉が開かれる。
「おはようございます皆様、ムスリム様に代わりお向かいに参りました。グレイと申します」
グレイと名乗る男は中性な顔立ちに色っぽい声、加えてかなりの高身長で、ひと目見た時は継ぎ接ぎのような印象を抱いた。胸まで伸びる艷やかな銀髪に白雪のような肌のどれも美しいが、何よりも目を惹くのは故郷の海を想起させる冷たい深海の色。初めて見たと思う程整ってはいるが、精巧な人形のようで不気味な雰囲気を感じる。グレイと名乗る男はニコニコと捉えどころのない笑みで続けた。
「
自己紹介を終えた男は大仰にお辞儀すると男は懐から宝石のような色とりどりの小さい玉ころを取り出した。周りにいる奴隷である子供たちは警戒しながらも男の手にある溢れんばかりの玉ころを手に取っていく。包み紙から剥がし口に運ぶ子供たち。どうやらその玉ころは食べ物らしい、主食が魚だった私にとっては物珍しかったが、最初の印象もあり、食べようという気にはならなかった。奴隷になって拷問の様な仕打ちを受けてもなお純粋無垢な子供達が眩しくて思わず目を逸らす。隣りにいるカローナとクルシュを見ると玉ころは持っていなかった。
「いらないの?玉ころ」
「ワタシはいらないかな」
「俺も。あとアレはキャンディーな無知にも程があるぜ」
カローナは首を横に振り、クルシュは腕を組んでぶつくさ言っている。そんなクルシュを無視して視線を子供たちに戻すと、瞳を煌めかせながら男の下に寄っていく。そんな子供たちに男は柔らかな態度で接する。暫くその様子を眺めていると男と目が合った。男は子供たちから離れると、一定の速さでこちらに向かって来る。
「あなた…そう、あなたですよヒルルカさん。あなたを呼ばれるように言われたのです」
差し出された手を取らずにいるもさして効果はなく、男は参りましょうと言い、身体を扉の方に向ける。私もそれに従い部屋から出た。
二人、冷たい廊下を歩く。後ろには手を添わされている。ムスリムから言われて来たと言うくらいだ、逃走防止のためなのだろう。注意深く男を観察する。真っ直ぐな姿勢に腹立たしい程の秀美な容姿。
「質問をしても?」
「もちろん、お好きなだけどうぞ」
私が問いかけると、男は立ち止まって振り返る。クスクスと薄ら笑いを浮かべ、真意が見えない嘘で覆い隠したようなその態度は、余計男の怪しさを醸し出すしている。
「何故急にキャンディーを?ムスリムにでも言われました?」
「いいえ?でもほら…
「あなたとムスリムは私たちとは別の関係なんですね」
「それはもう…ペットですから、ある程度の自由は許せれていますし、仕事を任されることもありますね」
「へぇ…」
「任されている仕事にひとつ、貴方たち奴隷の監視するというものがあるんです」
「…そうですか」
勢いが増していく脈動に焦る思考、冷や汗が背中を伝う、私は平然と受け答えができているだろうか。
「ふふ…子供の夜泣きを止めさせるのは大変ですよね」
「そうですね」
「時にヒルルカさん、私のような優しい心を持っている人間には、子供の夜泣きに改善を尽くしてる人の事を放って置くなんて酷な事、到底出来そうにないんです」
「…何が言いたいんだよ」
強張る表情、口調が取り繕うことも出来ずに粗暴な言い方になるが、男は気にする事なく、口元に手を置いて考える素振りを見せる。
「回りくどかったですね…言い方を変えましょう」
肩にソッと手を置かれ、生きた人間の体温とは思えない冷たさに体中が震える。耳元に顔を寄せた男は囁きかける。
「力を貸しますよ、逃げるのでしょう」
男の笑みは先ほどまでの貼り付けたものではない。歪に吊り上がるそれは、誘惑に満ちた狂気的な笑みだった。
異世界世界平和〜美しく残酷な世界の話〜 焔葉千尋 @jokers-game
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異世界世界平和〜美しく残酷な世界の話〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます