第11話 一歩踏み出して

 もうかなり時間が経ってしまった。十分どころじゃない。二十分ぐらいだろうか。

 さすがに待っているわけはない、と思っても、どこか諦めきれない。


 わたしはとにかく階段を上って、屋上を目指す。


 屋上の前の分厚い扉を前にして、わたしはふう、と息をつく。

 ギギギ……と扉を押すと、屋上に行ける階段が見えた。

 でも、そこに七菜ちゃんの姿はない。


 まあ、当たり前だ。

 時間は特に指定されていなかったけど、二十分も経ってしまえばさすがに帰るだろう。


 何とも言えないような気持ちがせりあがってきて、わたしはドアに背中を預ける。


 無理だった。つまずいちゃった。


 でも、わたしは教えてもらった。

 何度でも立ち上がれること。必ず前に進んでいること。

 ――後悔は絶対に消えないこと。


 まだ、立ち上がれる。


 重い扉を引いて、わたしは教室に一回戻る。

 ぽつんと置かれたわたしの荷物を持って、すぐに昇降口へ向かった。


 声がする。

 昇降口で笑い合う声が。仲良さそうに話す明るい声が。


 ひとりと目が合う。

 懐かしい君と。友達の君と。


 ビリリ、と電流が走ったようだった。

 目が合って、わたしはそこから動けなくなる。

 目線をそらそうとしても、それすらもできなくて。


 数秒が経った。


 気づけば走り出していた。

 相手との距離は、二十メートル、十九、十八……十。


 九、八……五、四。


 三。


 相手が、目を見開いて固まっている。


 二。


 相手の目には、わたしの姿が小さく映って。


 一。




「ごめんね。ごめん。……七菜ちゃん」




 ガバッと抱き着いたわたしに硬直する七菜ちゃん。

 戸惑いつつも、その手は優しく抱きしめ返してくれる。


 驚くほどに温かいその手は、やっぱりどこか懐かしい。


 溢れて止まらない涙をそのままにして、抱き着いた手に力をこめる。

 離れないように。離れていかないように。もう、二度と。


「七菜ちゃん。ごめんね。迷惑だなんて思ったことないよ。お願いだから、離さないでよ……」


 自分でも何を言っているのか、わからない。

 何もかもがぐちゃぐちゃだ。

 でもとにかく伝えたい。今の想いを、全て――


 ごめん、ともう一回言って、わたしは腕をゆるめる。

 七菜ちゃんが下を向いてた顔をあげて、わたしと目を合わせた。


 その目はいつになく真剣で、いつもと少し違う雰囲気を出している。


 七菜ちゃんの右手がわたしの方に伸びてきたと思ったら……。

 目の前にいる七菜ちゃんは困ったように眉を下げてわたしのおでこを軽く弾いた。


「痛っ」


 反射的におでこに手をあてる。

 びっくりして涙が引っ込んでしまった。


「はは、ごめん。痛かったよね」


 七菜ちゃんは、目にうっすらと涙を浮かべながら小さく笑った。

 そして――


「沙織のバカー!」


 え、と口を小さく開けたまま固まる。


「なんで何も言ってくれなかったのっ! あの時何か言ってくれれば何か変わったかもしれないのに! こうやってすれ違うことも、なかったはずなのに……」


 涙を乱暴にぬぐった七菜ちゃんは、わたしに言う。


「ごめん」


 大きく頭を下げて、まずそう言った。

 わたしはポカンとしながら七菜ちゃんを見る。


「あたし、あのとき沙織のことなにも聞いてあげられなかった。沙織が何も言わないのも悪いけど、あたしも悪かった。ごめんね……」


 そんなことない。わたしが何も言わなかったから。引き留めなかったから――

 ……もし、あそこで引き留めていたら、この未来はなかったのかな……。


「離れる方が沙織のためだと思ってた。けどね……」


 ゆっくり頭を上げ、目線が交わる。

 七菜ちゃんの瞳からは、ぽつりぽつりと透明な雫が落ちた。



「ごめん、やっぱり無理だった。沙織がいないと一日が退屈だった」



 七菜ちゃんの口からこぼれるその言葉たちは、思っていたものと全然違かった。

 わたしは止まったはずの涙をまた静かに流しながら、七菜ちゃんの言葉に耳を傾ける。


 もう、繋がることはできないと思ってた。

 もう、前みたいに話せなくなってしまったのだと思ってた。

 もう、わたしのことを友達だと思っていないと思ってた。


 でも、違った。


「沙織は? もうあたしとは友達じゃない……?」


 震えた声でそう尋ねられて、わたしは首を横に振る。


「まだ――」



 一度その手を離してしまったわたしには、もう一度握りなおすことは許されませんか?



「わたしたちは友達だよ。キーホルダーも、まだはずしてないよ」


 はっと、七菜ちゃんが息をのんだ。

 友達の印、あのキーホルダーはまだ残っている。

 にこ、と微笑むと、同じくわたしに笑顔を返してくれる。


「ごめんね、ありがとう……!」


 小さな出来事が壁を作ってしまっただけ。

 でも、自分で壊せた。




 青い青い、夏を知らせる空が広がる。

 ――どちらからともなく手を取り合った二人を、優しく包み込むように。

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