第20話 テーラー数子、最後の挑戦

「やあ、数子さん。久しぶりだね。元気だったかい?」


店のドアが開き、ひとりの老人が現れた。彼は、かつてこの店でスーツを仕立ててもらった常連客であり、長年にわたって数子の腕を信頼し続けてきた。背筋は少し曲がっているが、目は鋭く、まだまだ現役で活躍している風格を漂わせている。


数子は彼の姿を見るなり、手を止めて微笑んだ。


「おやおや、アンタかい? 最近顔を見なかったから、もう二度と来ないかと思ってたよ。年は取っても、あんたのその鋭い目は変わらないねぇ」


老人は静かに笑いながら頷いた。


「ま、歳は取ったが、まだまだやることがたくさんあってね。でも、そろそろ引退の時が近いと思ってさ、最後に数子さんに特別なスーツを作ってもらいたいと思ったんだ」


数子は少し驚いた表情を見せた。


「引退だって? アンタみたいな頑固な奴が、そんなことを考えるようになったとはねぇ。で、どんなスーツが欲しいんだい? 最後のスーツってことなら、相当気合いを入れなきゃならないね」


老人は少し考え込んでから、静かに語り始めた。


「うん、これが最後のスーツだと思っている。だから、シンプルで、でも僕の人生が詰まったような、そんなスーツにしてほしいんだ。色はブラックかダークグレーで、無駄な装飾は一切なし。内側には、これまで歩んできた道のりを思い出せるような、小さな刺繍を入れてもらえたら嬉しい」


数子は彼の言葉を聞き、しばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。


「なるほどねぇ。アンタの人生そのものをスーツにするってわけか。それは簡単じゃないけど、やり甲斐のある注文だね。分かったよ、アンタの最後のスーツ、私が責任持って作ってやるよ」


老人は感謝の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。


「ありがとう、数子さん。君に頼んで本当に良かった。これまで、たくさんのスーツを作ってもらったが、どれも僕の人生に寄り添ってくれた。今回も、きっと素晴らしいスーツが出来上がるだろう」


数子は微笑み、彼の肩を軽く叩いた。


「まかせときな。アンタの人生の集大成を、私がしっかりと形にしてみせるよ。でも、文句はなしだよ。いいね?」


「もちろん、文句なんて言うつもりはないさ。僕の人生を数子さんに託すんだから」


数子はさっそく作業に取りかかった。彼女は、彼のリクエスト通り、深いブラックのウール生地を選び、シンプルで洗練されたデザインに仕立て上げた。彼の体にぴったりとフィットするよう、肩幅やシルエットに細心の注意を払い、余計な装飾は一切せず、堂々とした佇まいを強調する。そして、ジャケットの裏地には、彼がこれまでに成し遂げたプロジェクトや、大切にしてきた信念の象徴を、小さなアイコンとして丁寧に刺繍で施した。


「これじゃまるで、アンタの人生そのものだね。誰にも見えないところに、アンタの歩んできた道を刻み込んでみたよ」


数子は細かいディテールにも気を配り、彼の過去、現在、そして未来を全てこの一着に込めるように仕上げていった。数日後、老人が再び店を訪れると、数子は誇らしげにスーツを手渡した。


「さあ、これがアンタのための特別なスーツだ。試してみな、きっと気に入るよ」


老人は静かにスーツを受け取り、更衣室に向かった。しばらくして、彼が姿を現すと、その堂々とした姿に数子も思わず見とれてしまった。ブラックのスーツは彼の体にぴったりとフィットし、シンプルでありながらも深い存在感を放っている。ジャケットの内側には、彼の人生の歩みが刺繍として美しく刻まれており、それを見つめる彼の目には深い感慨が浮かんでいた。


「これだ…! これこそ、僕が求めていた最後のスーツだ。数子さん、本当にありがとう」


数子は満足そうに頷いた。


「そうさ、アンタのその長い人生をスーツに込めたんだよ。誰にも見えないところに、アンタの生き様を刻み込んだ。これを着て、最後まで堂々と生きていきな」


老人は感謝の言葉を何度も述べ、深々と頭を下げた。


「君の腕に感謝してるよ、数子さん。このスーツが、僕の最後の相棒になってくれると確信している」


「それでいいさ。スーツはただの布切れじゃない。着る人の魂を支える大事な相棒さ。アンタがこのスーツを着て、最後まで自分らしく生きていけることを願ってるよ」


老人は力強い握手をして、晴れやかな表情で店を後にした。数子は彼の後ろ姿を見送りながら、ふっと息をついた。


「まったく、アンタみたいな頑固者が最後のスーツを頼んでくるとはねぇ。でも、そのスーツがアンタの人生の締めくくりにふさわしいものになったなら、私も嬉しいよ」


数日後、数子の店に一通の手紙が届いた。差出人は、先日スーツを仕立てた老人だった。数子は静かに封を開け、手紙を読み始めた。


「親愛なる数子さんへ


先日は、素晴らしいスーツを仕立ててくれて本当にありがとう。このスーツを着て、私は最後のプロジェクトに挑むことができた。結果は、私が望んでいた通りの成功を収めることができたよ。


今、私は静かにこの手紙を書いている。これが君に送る最後の言葉になるかもしれない。このスーツを着るたびに、君が込めてくれた思いと共に、自分の人生を振り返ることができた。


君にお願いしたいことが一つだけある。私がこの世を去ったら、このスーツを最後に身につけさせてほしい。このスーツと共に旅立つことで、君の思いと共に、私の人生を締めくくりたいんだ。


本当に、ありがとう。


敬具

[老人の名前]」


数子は静かに手紙を読み終え、深く息をついた。


「まったく、最後までアンタらしいねぇ。私が作ったスーツと一緒に旅立ちたいだなんて、光栄だよ」


数子はミシンに向かい、しばらく黙って座っていた。彼女の店には、これまで訪れた多くの客たちとの思い出が溢れている。人々の夢や希望、悲しみや喜びを、一針一針に込めて作り上げてきたスーツたち。その一着一着が、彼らの人生に寄り添い、支えてきたことを思い返していた。


「さて、そろそろ私も引退の準備をしなきゃいけないね。でも、もう少しだけ、みんなの夢を形にしてみようか」


彼女の店には、今日も新しい物語が生まれようとしている。数子と個性的な客たちの笑いと感動のスーツ作りは、今日で幕を閉じるが、彼女の作り上げたスーツたちは、これからもそれぞれの物語を紡いでいくだろう。

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テーラー数子と、摩訶不思議なお客様! 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92

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