第9話 失踪中の男、来たる
「お、おい、ちょっと、俺を誰にも見つからないように、スーツを作ってくれないか?」
店の扉を開けて、そろそろと入ってきた男は、辺りをキョロキョロと見回しながら、誰にも見つかりたくないという様子で、挙動不審だった。帽子を深くかぶり、サングラスをかけたその姿は、まるで逃亡者のようだ。
数子は彼を見て、思わず声をあげた。
「おいおい、ここは秘密結社のアジトじゃないよ。アンタ、何か悪いことでもしたのかい?」
男はびくっと肩を震わせ、小声で答えた。
「ち、違うんだ! 別に悪いことをしたわけじゃないんだ。ただ、ちょっと事情があって…どうしても、誰にも見つからずに行動しなきゃならないんだよ」
数子は呆れたように眉をひそめた。
「ふん、まるでスパイごっこだね。誰にも見つからないスーツなんて、あったら私が欲しいくらいだよ。で、アンタ、本気でそんなものを作ってほしいって言うのかい?」
男は真剣な表情で頷いた。
「そうだ! できれば、まわりに溶け込むような迷彩柄とか…あ、いや、もっと目立たないやつがいい。とにかく、俺の姿を誰にも気づかれないようにしてくれ!」
数子はしばらく彼の顔をじっと見つめ、ふっと笑みを浮かべた。
「まったく、アンタみたいなのがいるから、この店は飽きないよ。わかった、やってみようじゃないか。『誰にも見つからないスーツ』ってやつをね」
男は嬉しそうに顔を輝かせた。
「本当か!? さすが、数子さん! 俺、どうしてもあんたに頼みたかったんだよ!」
「でもね、アンタ。『見つからない』なんてスーツを本当に作れると思ってるのかい?」
「そ、それは…数子さんなら何とかしてくれるって…」
数子は肩をすくめ、棚からいくつかの生地を取り出しながら考え込んだ。
「ま、いいさ。どんな無茶な注文でも、私の腕が試されるってもんだ。でも、文句はなしだよ。どんな結果になってもね」
男は勢いよく頷いた。
「もちろん! 俺、どんなスーツでも大丈夫だ。とにかく、人目を避けられるやつなら何でも!」
数子は腕を組み、しばらく生地を吟味した後、迷彩柄とグレーの生地を手に取った。
「よし、じゃあこれでいこう。都会の中でも自然に溶け込むようなカラーとデザインにする。あとは、アンタの動き方次第だね」
男は不安げに眉を寄せた。
「動き方…?」
「そうさ、どんなに隠れたスーツを着ても、動きが怪しかったらバレバレだよ。少しは堂々としてなきゃ、逆に目立っちゃうよ」
男は少し困惑した表情を浮かべながらも、頷いた。
「わ、わかった…なるべく、自然に振る舞うよ…」
数子は微笑んで頷き、すぐに作業に取りかかった。彼女は迷彩柄をメインにしつつ、グレーのパッチワークを組み合わせ、街中でも違和感なく溶け込むデザインを練り上げていった。スーツ全体には、特殊な加工を施し、光の反射を抑えることで目立たない工夫も施した。
「まるで忍者のスーツみたいだね。でもまあ、アンタにはそれくらいがちょうどいいか」
数子は、細かいディテールにも気を配りながら、特別製のスーツを仕立て上げた。数日後、男が再び店に現れると、数子は満足げにスーツを手渡した。
「さあ、これがアンタの『見つからないスーツ』だ。着てみな、気に入ると思うよ」
男は興奮しながらスーツを受け取り、更衣室に向かった。しばらくして、男がスーツを着て姿を現すと、まるで店の壁や棚と同化するかのように、その姿が自然に溶け込んでいる。数子は思わず目を細めた。
「ほぉ、なかなかいいじゃないか。まるで、どこにいるのか一瞬わからないくらいだね」
男は鏡の前で自分の姿を確認し、感激の表情を浮かべた。
「すごい…! 本当に、これなら誰にも気づかれずに動けそうだ! まるで、俺が透明人間になったみたいだ!」
数子は笑いながら男に近づいた。
「まあ、透明人間は言いすぎだけどね。でも、これでアンタの用事はこなせそうかい?」
男は勢いよく頷いた。
「ああ、これで大丈夫だ! これなら、あいつらにも見つからずに済むはずだ!」
「ふん、あいつらってのは誰か知らないけど、くれぐれも悪いことに使うんじゃないよ。もし捕まったら、私が作ったスーツだってバレると困るからね」
男は苦笑いしながら、頭をかいた。
「もちろん、そんなことはしないよ! 俺はただ、ちょっと仕事でトラブルがあってさ…しばらく姿を隠しておきたいだけなんだ」
数子はため息をつきながら、彼を見上げた。
「まったく、どいつもこいつも大変だねぇ。でもまあ、アンタが無事でいられれば、それでいいよ。とにかく、このスーツを大事に使いな」
男は深々と頭を下げ、感謝の言葉を繰り返しながら店を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、数子はふっと息をついた。
「見つからないスーツ、ねぇ…。本当にそんなものがあったら、世の中もっと平和になっちゃうかもね」
数日後、数子の店に再び男が訪れた。今回は、前回とは違い、少し明るい表情を浮かべている。
「どうしたんだい、また新しいスーツでも欲しくなったのかい?」
数子は彼を見上げて尋ねた。男は首を振り、少し照れたように笑った。
「いや、実は…数子さんのおかげで、何とかトラブルを乗り切れたんだ。あのスーツ、すごく役に立ったよ! 誰にも気づかれずに、無事に問題を解決できた!」
「そりゃ良かった。アンタのその態度も少しは堂々としてるし、問題も解決したみたいだね」
男は頷き、真剣な表情で続けた。
「本当に、数子さんには感謝してる。あのスーツのおかげで、自分に自信が持てたし、ちゃんと自分の問題と向き合うことができたんだ。これからは、もっと正々堂々と生きていくよ」
数子は笑いながら、軽く彼の肩を叩いた。
「それでいいさ。スーツはただの布切れだけど、それを着ることで気持ちが変わるなら、それが一番の価値ってもんだ」
男は感謝の言葉を繰り返し、明るい表情で店を後にした。その後ろ姿を見送りながら、数子は再びミシンの前に座り、微笑んだ。
「さて、次はどんなお客が来るのやら…。今日もまた、面白いスーツ作りができそうだね」
彼女の店には、今日
も新しい物語が生まれようとしている。数子と個性的な客たちの笑いと感動のスーツ作りは、まだまだ続いていく。
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