第2話  時間に追われるビジネスマン

「すみません、急いでスーツを作ってほしいんです!」


店の扉を勢いよく開けて飛び込んできたのは、背の高いスーツ姿の男性。額にうっすらと汗を浮かべ、片手には常にスマートフォンを握りしめている。テーラー数子は、突然の訪問者に一瞬目を丸くしたものの、すぐに顔をしかめて言った。


「おいおい、扉が壊れちまうよ。ここはジャガイモの即売所じゃないんだから、もうちょっと落ち着いて来な」


「すみません、でも本当に急いでるんです! あと3日で大事なプレゼンがあって、どうしても新しいスーツが必要なんです!」


数子は腕を組んで男を見上げ、少し鼻で笑った。


「3日だって? スーツはカップラーメンじゃないんだよ。そんなに急ぎなら、既製品でも買ったらどうだい?」


男は、眉間に皺を寄せながら深々と頭を下げた。


「頼むから、お願いします! プレゼンの成功が、僕の会社人生を左右するんです! 何でもしますから!」


「何でもする、ねぇ…だったら少しは落ち着いて座りなよ。その慌てふためいた姿じゃ、誰が見ても不合格だよ」


数子の言葉に、男は一瞬ハッとして大きく息をついた。そして、ようやく椅子に腰を下ろし、スマートフォンを机の上に置いた。


「わかりました。でも、どうしても時間がないんです。短時間でできる範囲で、最高のスーツを作ってほしいんです!」


「やれやれ、無茶言うねぇ。まあ、面白そうだから引き受けるけど、仕上がりには文句言わないこと。いいね?」


男は力強く頷いた。数子は早速、寸法を測り始めたが、その間も男は頻繁にスマホをチェックし、落ち着かない様子だった。


「アンタ、せっかちすぎるね。これじゃ、スーツができる前に心臓が止まりそうだよ」


「すみません、仕事が常に忙しくて…でも、このスーツがあれば絶対に成功できるはずなんです!」


数子は鼻で笑いながら、寸法を取り終えた。


「まあ、成功するかどうかはアンタ次第だけどね。スーツで人生が変わるなら、みんなもっと着飾るだろうよ」


数子は急ぎ足でミシンに向かい、普段よりもスピードを上げて作業を開始した。彼女の手は年齢を感じさせない素早さで、布を裁ち、針を進めていく。


「これじゃあ、競馬のレース並みにスリリングだよ。でも、まあたまにはこういうのも悪くないかね」


数子がそう独り言を呟いている間、男は時計を何度も確認し、ハラハラした様子で数子の作業を見守っていた。


数時間後、数子はようやくスーツの仕立てを終え、男に差し出した。


「さあ、できたよ。試着してみな」


男は急いでスーツを受け取り、更衣室に飛び込んだ。数分後、姿を現した男は、ピッタリと体にフィットした新しいスーツに身を包み、少し感動したような表情を浮かべた。


「おぉ、これは…本当にすごい! 自分でも驚くくらいピッタリだ! これなら絶対にプレゼンに勝てる!」


数子は、腕を組みながら微笑んだ。


「ふん、そう思うならそれでいいさ。でも、プレゼンで大事なのはスーツじゃなくて、アンタの中身だよ。忘れるな」


男は、頷きながら数子に深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございました! このスーツを着て、全力でプレゼンに挑みます!」


「その意気だよ。で、スーツを着て最初にすることは?」


「もちろん、プレゼンの準備を——」


「違うね。まずはそのスーツに合うネクタイを選びな。アンタのセンスじゃ、そのネクタイはこのスーツに合わないよ」


数子は、男の胸元を指差し、引き出しからネクタイをいくつか取り出して見せた。男は少し困惑した表情を浮かべながらも、数子の勧めに従ってネクタイを選び直した。


「これでいいかい?」


「うん、それで完璧だ。あとは落ち着いて話せば、アンタの言葉はちゃんと伝わるよ」


男は感謝の言葉を繰り返しながら、スーツを着て堂々と店を出て行った。数子はその後ろ姿を見送りながら、ふっと息をついた。


「スーツで人の人生が変わるかどうかなんて分からないけど、せめて、アンタの背中をちょっとだけ押してやれたかな」


そう呟き、数子はミシンの前に戻った。


「さぁ、次はどんなお客が来るのやら。今度も、面白い注文があるといいけどねぇ」


そして、店の扉は静かに閉じ、再び静寂が訪れた。数子は一人、穏やかな微笑みを浮かべながら、次の注文を待つのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る