8.仕事初日とご挨拶
『イセカイ運輸』の社員として、記念すべき出社一日目。
俺は緊張していた。確かに、ひとり社長室で社長が来るのを待っている現状に緊張を覚えているということもある。でもどちらかと言えば、これまで長く実現できなかった「入社」や「出社」というものをいざやっているというこの……。
「よっ!」
「ぅわっ!」
突然、俺の固くなった肩に、ぽんと手を置かれて体が跳ねる。
「……って、山田さんじゃないですか。驚かせないでくださいよ」
「いやいや、まさかそこまでびっくりしてくれるとは思わなかったわ。むしろ俺の方がびっくりしたまである」
山田龍生さん。俺の職場の先輩になった方であり、俺が『イセカイ運輸』に入ることになったきっかけというか、原因になった人だ。
「でもそんなに緊張することもないだろ」
「こういうの初めてで……」
「学校でクラス替えした最初の登校日でやる、クラス全員自己紹介みたいなもんだろ」
「山田さんにとってどうかは分かりませんが、一般的にはそれは緊張するやつの代名詞です」
「そうなの?」
「はい」
逆にこの山田さんが緊張するのってどんな時なんだろう。
「おう、弋くん。おはよう」
山田さんのおかげでちょっと緊張が解れたところで、この会社の社長、司波
「おはようございます」
「また随分と緊張してるな」
「そうですかね……いや、そうですね。やっと社会人になったんだなって思うと、どうしても緊張してしまいます」
「お、こんな非・社会的な会社に入ったのに社会人とは、面白いことを言うねえ!なあ龍生」
「え?あ、はは!そうですね!」
……ああ、山田さんも緊張することあったな。特に珍しくもなかったみたい。
「つっても、別に会社全体に弋くんお披露目会するわけでもないし、今日は会社と自分の業務を知ってもらうってところかな。ああ、社内の人間には新人が入ることだけは伝えてるけど、顔は知らないからできるだけ龍生と一緒にいるように。それで、部署の配属は聞いてるな?」
「はい。『
「そうだ。何をするかは聞いたか?」
「……いえ、特に」
まさか山田さん、社長に伝えるように言われてたのでは?なんて答えてから考えたけど、そういうわけではなかったらしい。
「おう。なら今日は、先輩に案内してもらえ。龍生。そしたら先に社内を見せて、それから
「初日からですか?」
「探索部の仕事を知れって言うなら、それが一番だろ」
アーウェズト?
「……わかりました。だいたい社内見学は一時間くらいで終わると思うので、その後すぐ十時頃から出てきます」
「おう。じゃあ弋くんは、今日は龍生の指示に従って動くように。特に、アーウェズトの中では勝手するなよ。場合によっちゃ、社命までかかってくるからな」
「……あの、アーウェズトってなんですか?」
「ああ、言ってなかったか?」
社長は徐ろに、机の引き出しからホチキスで止められた冊子を一冊、俺に渡した。
「……『異世界『アーウェズト』について』」
冊子には、カラー印刷されたどこか見たことがあるような景色を背景に、そんな言葉が書かれていた。
「そ。アーウェズトっていうのは、ウチが体験してもらってる異世界の名前だ。厳密には、そこでお世話になってる国の名前だな。現地の言葉で……なんつったっけな。おい、龍生」
「確か、エズト神の国、みたいな意味だって言ってましたよ。――弋くんに説明しとくと、エズト神っていうのがアーウェズト王国で信仰されてる唯一神ね。アーウェズトには神殿もあるし、どっかで足でも運んでみような」
「それがいい。
◇
「……で、ここが倉庫その七だな。長らく中は見てないから何が入ってるかは忘れた。ま、どうせ大したもんじゃなかっただろ!」
山田さんに連れられ、ちょうど一時間ほど。各部屋や施設を案内してもらいながら、いらっしゃった職員にも挨拶をしながら社内を一周し、再び『トラック保管庫その二』の前に戻ってきた。
「というわけで、会社ん中の説明は以上!なんとなくわかったと思うけど、会社入口から近くには普通のトラック業者としての部署が、遠くの、つまり裏口側に異世界関係の部署があるってわけ。もちろんそっちの存在は公にはしてないけどね」
そう。『イセカイ運輸』という会社、実はちゃんと運輸会社の体は保っている。ちゃんと全国各地へ荷物の搬送とか、そういった業務も受けている。運輸会社としては若干業績が伸び悩みだとか山田さんは言ってたけど、たぶん名前の怪しさとか影響無くはないと思った。でも仕方ないよね、会社名はこの会社だけのアイデンティティだもの。
「で、見てみて何かわからないことあった?」
「とりあえずは大丈夫です。部署だとか覚えるのが大変そうですけど」
「あとで社内部署の配置図あげるね。もちろん持ち出し厳禁の社外秘だよ!」
「ありがとうございます」
秘密の多い会社だなあ。橋田(口が軽いで有名な高校の後輩)とかが社員になったら、あっという間に問題行動、解雇までは見えた。
「さて、時間もちょうどいいね。じゃあ行くとしますか!」
どこに、なんてことは言わずもがな。社内の案内を聞いている最中も、俺もさすがに内心ではワクワクが止められないでいた。
「山田さん、なにか準備とかはありますか?持ち物とか」
「持ち物っていうか、体はこのままだからアーウェズトに持ち込みはできないな」
そうでした。すっかり旅行気分でいた。
「ただ、この辺は不思議なとこなんだが、最初に転移した時だけは、その時に着てるもののまま転移できるんだよ。二回目以降はその前に現実世界に戻った時の服装、装備になるけどね。つまり今の弋くんなら、転移した先ではスーツ姿ってわけだな」
「着替えた方がいいですかね」
「お客さんたちには、動きやすい服って言ってるな。……あ、それに転移したらいつも地面に寝っ転がってるから、スーツだと汚れちゃうな。適当な貸し出し用の服を用意するから、あとで着替えて。あ、あと今日はアーウェズトのちょっとお偉いさんみたいな人にも挨拶しようと思ってるから、転移先ではちゃんと汚れは落とすようにね」
「え。今日が社会人一日目なんで、偉い人っていうとマナーとか自信ないんですが……」
「なんとかなる!というか、異世界にこっちのマナーは通用しないから気にする必要もない!」
ええ……。社長、アーウェズトでの振る舞いには社命がかかってるとか言ってませんでしたっけ?ついさっきまでのウキウキ気分がどこかにいってしまった。
「ほら、社会人は時間に追われる生き物だからな!時間がもったいないから早速行くぞ!」
山田さんの先導で、先に着替えを済ませてから『トラック保管庫その二』に入る。文字通りトラックの保管庫なわけだけど、会社の入口側、奥側にある二つのうち、ここは奥側の保管庫だ。要は、異世界に行くためのトラックが保管されている。
「――さっき説明した通り、ここにはトラックが何台か保管されてる。そして、
連れてったって。まさにこれが「そんなこと俺は頼んでない!」ってやつか。せっかくなら今度は安全に観光とかしたいな。
「さて、今回の目的地はアーウェズトって世界というか国だけど、どのトラックだったかわかるか?一応さっき来た時に紹介はしたんだが……」
「……これですかね」
「正解!よく覚えてたな!完璧!」
「……車両に『アーウェズト』って書いた紙が貼ってあるので」
「………………」
「………………」
「……よし!じゃあ行くとしよう!」
無かったことになった。まさか答えが目の前にあるなんね。俺もびっくり。
「転移の方法は前にも話したな?こっちが車両にぶつかる、ただそれだけだ。わかると思うけど、床にクッションが敷いてあるのは倒れた後の怪我防止のためね」
「あの、気になってたんですけど、意識が異世界に行ってる間って体は現実世界に残されるじゃないですか。無防備だし、色々と危なくないですか?」
「お、いいところに気が付いたな!その通り。だから体は、その間は別室に移動される」
「どうやってですか?」
「こうやってだな。……高田くーん!」
山田さんが部屋の奥に向かって声をかけると、その先にあったドアが開く。入ってきたのは、社内案内中に別室で見た男の職員だった。確か、やたらと広い保健室にいた。
「こちら、体の移動担当兼、保健関係業務もやってる高田くんだ。これからお世話になることも多いぞ」
「どうも、高田です。山田さんの発言を訂正しとくと、所属としては保健担当で、体の移動係は兼務みたいな感じです。なのでメインの業務は保健関係ですね。異世界に行くと慣れないうちは帰ってきた時に具合悪くなる方も多いので、気をつけてくださいね。そうなったら気軽に保健室に来てください」
高田さんは笑顔で説明してくれた。案内の時は顔だけ見た程度だったけど、この会社にもこんな優しい雰囲気の方もいるんだなあ。
「弋です。これからよろしくお願いします」
「ちなみに保健室には、渋崎さんって女性もいるぞ。女性の体を男が運ぶと問題になるから、女性のお客さんは彼女に任せているってわけね。会った時には挨拶でもしとくようにね!」
「はい」
「じゃあ高田くん、これからアーウェズトに二人で行ってくるから、よろしく頼むね。たぶん長くなると思う」
「わかりました。お気をつけて」
「弋くん、じゃあ俺と一緒に転移できるようにしてね。できるだけ同時にぶつかるように!もしミスったら、高田さんに言って。あと、そんなに強く当たる必要も無いからね。準備はいい?」
「大丈夫です」
ほんとは不安もあったけど、山田さんが一緒ということがなんとなく安心材料になった。
「よし!じゃあ行くぞー……」
そう言って走り出す山田さんに、同時にぶつかれるようにと急いで俺も足を動かす。そして――ちょっと衝突直前で減速したけど、たぶんほとんど同時にトラックに体当たりすることに成功したと思う。
正直、衝撃はそんなに無かったように思ったけど、すっと意識が遠のく。視界が傾いていくのをうっすら感じながら、
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