7.おしゃれカフェで

「じゃあこの、生ハムと卵のガレットを一つ。あと、アイスティーをお願いします。あ、ガムシロって二つ貰えますか?ありがとうございます!弋さんは?」

「……アイスコーヒーをください」

「あ、じゃあ、すみません。ガムシロはやっぱり一つでいいです」

「かしこまりました。ドリンクは先にお持ちしますか?」

「じゃあ料理と一緒にお願いします」

「かしこまりました」

 小さく礼をして、店員は離れていった。

 さて。俺が何をしているかというと、目の前に座る彼女に半ばというよりもほぼ強引に連れられ、あの会社の近くにある、おしゃれカフェに来ている。彼女曰くこちらのお店、ネットの評価がかなりいいお店らしい。

「弋さんは、もうお昼食べたんですか?」

「いえ。さっきちょうど用事が済んだところだったので、これからのつもりでした」

「えっ。じゃあ何か他にも頼んでくださいよ。メニューありますから」

「いやいや、そんな初対面の人にご馳走になるのも申し訳ないですし」

「初対面じゃないですよー!あの時のお礼なんですから、せめてご馳走くらいさせてください。私がそうしたいんですから」

「そうですか。じゃあ……」

 そう。ここへ来たのは、彼女が俺にあの時のお礼をと誘ってくれたから。お礼なんかいいから断ってしまいたい気持ちもあったけど、断るのってそれはそれで難しいよね。わかる。

 少しためらいを感じつつメニューを覗く。うーん。名前を見てもよくわからない料理も点々とある。これ適当に頼むと変なの来たりしない?だったら店員さんに聞いてみるか。

 俺は店員さんを呼ぶために顔を上げたけど、見当たらない。どうやら既に注文をとったから裏にでも入ってしまったみたいだ。

「あ、店員さんなら私が呼びますよ。すみませーん、注文お願いしまーす」

「え」

 注文はちょっとまだ決めてないんですが?あと、そうだなあ。三十分もらえれば決められる自信があるんだけど。

「お待たせしました」

 ああ、あっという間にさっきまで尻尾も見えなかったはずの店員さんがお越しに!こういう手際の良さがお店の評価の良さに繋がってるんだろうとか思ってみる。しかし今だけは、もっとゆっくりしてても良かったんだよとかも思ってみる。帰ったら口コミサイトで接客点に満点評価をしておこう。

「弋さん、何にします?」

「……じゃあ、更科さらしなさんと同じものにします。なんてやつでしたっけ」

「生ハムと卵のガレットですね。えっと、先に注文してたガレットを追加でもう一つお願いします」

「かしこまりました」

 店員さんは再び戻って行った。結局メニューの知らないやつは知らないままか。次にここに来たら聞こうかな……次があればだけど。というわけで、ガレットって何?

「じゃあもう一度、ちゃんと自己紹介くらいはしておきますか」

 謎を解くべくと、まだ俺が視線を泳がせていたメニューをぱたりと閉じた彼女が口を開く。

「私、更科寧々香ねねかといいます。改めて、あの時はありがとうございました。たまにああいう人に話しかけられることはあったので、いつもみたいに無視してたんですけど、あの日は腕を掴まれてびっくりして。いざって時は自分でなんとかできるって思ってたんですけど、ダメでしたね。あはは」

 たまにあるのか。確かに更科さんは、控えめに言ってもキレイな方だと思う。黒く長い髪に……なんて言うんだっけ?赤のインナーカラー?そんな感じにオシャレがされている。爪の先のネイルまで丁寧に仕上げられてるし、服装こそ至ってシンプルだけど、モデルのような雰囲気を醸している。

「俺が言うことでもないですけど、誰でも急にあんなことされたら何もできないと思いますよ。俺だって同じような状況に遭えば、たぶん更科さんと同じようになります。今回はたまたま動けただけですよ。あ、自己紹介を忘れてました。名前は弋灯哉です」

「これはこれは、ご丁寧にどうも。でも実際、あの時は弋さんが助けてくれたじゃないですか」

「助けたって、たまたまあの男が逃げてくれたからよかったですけど、もし逆上でもされてたら俺が逃げる側になってたかもしれませんよ」

「そうなっても弋さん、『俺を置いて先に行け!』みたいに私を逃がしてくれたんじゃないですか?」

「どうですかね。あんまり買い被られても俺が困りますよ。本当にたまたま、あの時は身体が動いただけですから」

「ふふ。どうですかね」

 実際のところ、本当にそんな場面になってみないと、自分がどう考えてどう動いてどうなるかなんてわからない。たまたま、そう考えてこう動いてああなった、なんてものの積み重ねが今になっているだけ。それは今回に限らず、普段から。ま、偉そうに語れるほど俺は人生経験がないけど。社会経験なんてちっともないし。

「そういえば弋さんも、、やってたんですか?」

「アレ?何のことですか」

「ほらあの、建物の前に立ってたから、行ってきてたんじゃないかって。……ぶつかったりとか」

「……ああ、そういうことですか」

 なるほど。更科さんは、だったか。偶然。

「ということは、やっぱり行ってたんですね?」

 更科さんの言ってるのは、つまりは「異世界」に行ってたんじゃないの?ってことのようだ。

「いや、それがに行ってたわけじゃないんです」

「……ん?でも、なんのことかはわかってるんですよね?」

 この、お互いに核心を突かないような、牽制し合ったような話し方には理由がある。

 あの会社、『イセカイ運輸』は会社として問題がある。法的にも、それ以外でも。だから会社の職員や、そして『イセカイ運輸』のトラックで異世界に行くお客さん全員――総じて、『転移者』と呼ぶそうだ――も、まあお客さんはもしかすれば正確な意味ではないにせよ、そのことは理解している。

 だから俺も山田さんに会った日、別れる時に言われた。「このことは他の人に言っちゃダメだし、伝わってもダメ。もし破った時には――」……さて、なんて言ってたかな。

 とにかく、例えばここみたいに他の人に聞かれる場所では、絶対にその事を話してはいけない。そしてどこであっても、聞かれてはいけない。とはいっても、真の意味で伝わらなければ一応は問題ないらしい。何せちょこっと聞こえたくらいじゃ、何のことかなんて分からない話だから。少なくともさっきの更科さんの言い方なら、知らない人にはまず伝わらないから問題ないということだ。

「確かに俺は、あの会社のことは知ってます。というか、今日無事にあそこの社員になったみたいです」

「あ、社員さんでしたか。今日から就職したってことですか?」

「そういうことになります」

「あれ?てことはもしかして、今は勤務中だったりします?」

「いえ、今日は面接、といっても形だけでしたけど、それがあって今はその帰りですね」

「それなら良かったです。てことは、これは就職祝いも兼ねてってことになりますかね。おめでとうございます!」

「あ、ありがとうございます」

「でも、よくあんなところを選びましたね。あ、すみません。別に会社を悪くいうつもりはなくて、そもそも存在を知られてないじゃないですか。それに、あそこ社員の募集とかしてたんだなって」

「俺の場合はちょっと訳ありなので、どうでしょう」

「訳ありっていうのは?」

「……ご想像にお任せしますが、たまたま会社に関わることになって、入らざるを得なかったって感じですかね」

「ああ、なんとなくわかりもしないけど、わかった気がします。……確認ですけど、弋さんっての方じゃないですよね?」

って、ぶつかって行ける世界の住民とかですか?」

「いえいえ、そっちじゃなくて……」

「すみません、冗談です。でもどっちも違うから安心してください。生まれも育ちもこの辺の普通の家ですし、この服の下に、肌に龍や能面の絵が描かれてたりもしませんよ。そもそも、他の方も別に普通の人たちかもしれないですし」

「そうですよねー。ああ、いえ!もしそうでも、特別どう思うとかはないんですよ?でもほら、あそこにいる人たちって見た目とか……個性的ですよね?ちょっとだけ」

「他の社員……といっても数人に会っただけですけど、その上で俺もだいたい同じ感想ですかね。……でも、確証は無いですが、別に普通の人っぽかったですけどね」

「そうですか。ちょっとだけ安心しました」

 ……顧客からこのイメージ持たれてるの、割と良くないだろ。さらにあながち間違ってないのも良くない。

「そういえば、更科さんはご用事の最中でした?時間とか大丈夫です?」

「用事といえば用事がありましたが、このお礼の方が重要なので気にしないでください。そもそも、今日は弋さんの勤め先に用があったんです」

「うちの会社にですか?ええと、それはご利用ありがとうございます」

「ふふ、苦しゅうないわ!」

 姫様がおる。

「よく利用してるんですか?」

「そうですね。私、普段はバイトとかしながら生活してるんです。だから働くのにも時間がちょっとバラバラなので、その空き時間によく行ってます。最初はいいストレス発散になるなーなんて思ってやってたんですけど、今じゃ時間を見つけては、しょっちゅう行ってます!」

「それはなんというか、俺としても嬉しいですね」

 にしてもバイト生活か。俺は就活中は短期バイトよくやってたなあ。懐かしい。

 ……余計なこととは思いつつ、気になる気持ちが強かったので聞いてみた。怒られたらその時だな。

「……ちなみに、俺が聞くのもなんですが、更科さんって就活中なんですか?」

「私ですか?いえ、特にそういうわけじゃなくてですね……」

 そこまで言うと、更科さんは徐ろに小さな鞄からスマホを取り出す。何を見せてくれるのかと思ったら、俺に動画配信アプリを開いて見せた。

「私、こういうことやってるんです」

 そこには、更科さん自身のであろう動画チャンネルが表示されていた。更科さんが画面を動かしていく。

「これって、歌ってみた動画……ですか?」

「はい。『NENEネネ』って名前でやってるんで、よかったら聴いてみてください!まだ知名度とかはサッパリですけど」

「へえ。帰ったらぜひ、聴かせていただきます。でも、自分で自分を表現しようって言うのがすごいですね」

「あはは、なんだか恥ずかしいですね……!」

 お世辞とかじゃなく、本当にすごいと思う。少なくとも俺には到底真似できない。歌が上手い下手とかじゃなくて、更科さんは自分の強みをちゃんと理解して、それを他人に伝わるように工夫してるんだと思う。簡単な事じゃないと思うし、俺の苦手なことだ。

「――お待たせしました」

 そこに、店員さんが料理を運んできた。ドリンクと共に現れたのが、噂のガレットとやらだ。

「うん、美味しそう!」

「なるほど、これが……」

 なんとも言い難い、見たことの無い形をしている。なんかこう、薄いピザ?それよりクレープって感じか?

「弋さん、ガムシロ使いませんよね?」

 突然、更科さんがそんなことを聞く。

「え?使います」

「え?」

 え?ってこともないだろう。そう思ったら、既に更科さんが俺のコーヒーの為のガムシロを手にしていた。え?

「……すみません。弋さん、コーヒーはブラック派かと勝手に思ってました」

「ちなみにどの辺から?」

「……雰囲気?」

「……あー」

 なんとなく、わからないでもない。しかし残念、俺はどちらかというと甘党である。

「そしたら、えっと……すみませーん……!」

 更科さんはちょっと小声に店員さんを呼ぶと、ガムシロを追加でもう一個頼んでいた。そういえば、俺の注文聞いてガムシロの数減らしてたな。俺ってそんなに「コーヒーはブラック派顔」してる?

 ニコニコした店員さんからガムシロを追加入手した更科さんは、既にあったもう一つも一緒にカップに注ぐ。だいたいどんな紅茶でも同じような味になりそうな、そんな風に出来上がった飲み物を更科さんは美味しそうに飲む。

 そんな彼女の姿を内心微笑ましく思いながら、自分のコーヒーを一口……。

「……っ」

「えっ、大丈夫ですか!?熱かったです?」

「……いえ、ガムシロを入れ忘れて苦かっただけです。というかコーヒーです、これ」

 更科さんのも同じグラスのアイスティーだなと思いながら、俺はガムシロを一つだけ注いだ。

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