第6話 俺が私で私が俺だった件、意味が分からないけど俺も分からない
ゆっくりと、あの日の事を俺は思い出していた。
世界では標準となったにも関わらず日本では可決されるのに時間がかかった基本的人権の尊重に性別選択の権利が含まれた最初の年だったと思う。父と母のやかましい喧嘩をする声だったと思う。母は俺に性別の選択をできる限り長く考えられるように強く言って、父はそれを止めていた。
確か十歳の頃で、その頃から二次成長を抑制する薬の投与が始まっていた。それも父には黙って、子供の俺は母の言う通りに薬の投与を受け入れた。
幼馴染が汐でよく遊んでいた事。そして、汐がずば抜けてぶっ飛んでいた事で父は俺の身体の成長の変化があまりない事に気が付かなかった。仕事一筋の人だったという事もあって、母が俺を女の子にしようと勘違いをしてしまった時、激昂した「お前は子供を一体なんだと思っているんだ!」と、それから父と母の喧嘩は絶えなくなった。
母の行動は当時ではどちらかといえば一般的だった。「分かっていないのは貴方よ!
父と母が別居する事になり、離婚したのはすぐだった。これは父の気持ちも分からなくはない。親が自分の判断で子供の性別を決めようとする者が一部問題視されていたからだ。古い人間の父は「性別を選択するという事がそもそも意味が分からない」と否定的だったのも悲劇の一因だったんだろう。
そして俺は母に引き取られた、中学時代にしばらく投薬はやめていたけど、同じように二次成長を抑制する薬を投与している生徒も多くいた為別段目立つ事もなかった。むしろ、汐の方が悪目立ちしていた事もあり、俺は汐の幼馴染キャラでしかなかった。「母さん、俺、じゃなくて私女の子になる」「……それでいいのね?」「うん、私、別に父さんも母さんの事もさ」「
そして高校生のお祝いを兼ねて、父と二人で出かける機会が合った。女子としての俺を受け入れてくれて楽しい1日だった。だけど父の家から帰る間際。久しぶりの再会にテンションを上げて普段お酒を飲まない父が酔って眠ってしまった時「
十六歳、女子としての人生を歩む事を決意した私の心情にヒビが入ったのだ。そして俺が生まれた。
「そっか、俺か、俺がFRSか」
そうか、俺。いや、私は私の中にある俺の部分を切り離したのだ。結果としてそれがFRSを発症させる要因になったらしい。切り離された私は拒絶された自分ではなく汐の元へ「私のところに鳴上くんがやってきた」という事らしい。
「汐は全部分かっていたのか?」
「うん。だって男の子の君とも長い付き合いだったからね」
「紅月さん、そいつをどうにかして!」
自分にこんなにも嫌われるというのはなんだか来るものがあるな。それも女の自分に男の自分が嫌われている。どうしろというのだ。
「あぁ、私はどうにかする為にここに来たのさ」
そう言う汐は英雄ではなくマッドサイエンティストに見えるのは何故だろう。
男の俺にはつゆ程も響かない汐の台詞。されど、女の私の方にはどうやら響いたらしい。先程までは警戒している野良犬のように威嚇していたのに、今や縋るべき相手として汐の事を認識しているようにも思える。同じ人間の筈なんだが、俺と私の反応は明らかに違う。性別が違う時点で俺たちはもはや別の人間なのかもしれない。
俺の場合は人間と言うより、私の中にあった男の残滓みたいな物だが「どうやって?」と嫌な予感がしつつも俺は汐に尋ねた。症状を抑えるも止めるも俺の消失は確定だ。
俺にあらがう術はない「そう焦らないで」と言葉通り他人事として答える汐。俺は俺の存在が消えるという一大事なんだが、確かに焦っても仕方がない。「倉田くん、そもそも本当に消したいのかい?」と汐は意味深な事を尋ねた。これがホラーな展開なら俺が私を乗っ取るみたいな展開に期待したいが、俺は実は汐の周りをウロウロしている浮遊霊みたいな存在でしかない「当たり前だよ!」とめちゃくちゃ俺の事を切り離そうとする
実際、そこまでの言われようなら仕方なくもないな。「まぁ、なんだ。父と仲良くな」と双子の妹にでも言うように俺はそう言った。
猫の観察ってのは遠回しに俺の事を言っていたのかもしれない。汐は切り離された俺をいかようにして対処するのか? そして、私の方をどうやって救うのか、変人紅月汐の手腕を最後に楽しませてもらおうか。
覚悟は決めた。俺はそもそも存在しない男として高校生になった
しかし、汐はいつまで経っても何かをしようとはしない。というか、もしかしてできないのか?
「まぁ私が二人を自力でどうにかはする事は不可能だよ」
よく考えればそりゃそうだ。汐は俺たちと見えている世界が違うだけで、俺を認識できるだけだ。「可能性の鳴上くんと現実の倉田くんを統合する。二重人格の治療のようにね」と簡単に汐は言ってのけた。「それってどうやるの? 紅月さん?」と私の方が尋ねる。すると、汐はうんうんと頷き笑った。
「倉田くん、鳴上くんを受け入れたまえよ」
それができないからこういう事になったんだろう? やはり、汐はデリカシー的な物が圧倒的に足りない。しかし、汐はもちろん話を続けた。
「この鳴上くんは理想の君だ」
「違う! 私は自分で望んで女子として生きていく事を選んだもん! だから今更そんな事言わないでよ!」
まぁ、俺だから分かる事もある。男に生まれた俺は汐や、知り合いのお姉さんと関わって女の子もいいなと思った。俺は確かに進んで女の子になった自分がいた。だけど、女の子は女の子で色々と大変で、男の子を選べば良かったなと思った事もあった。こればかりは仕方がない。
「汐、あんまりいじめてやるなよ」
どこまで行っても人間は自分には甘いんだよ。自分とはいえ、女の子が泣いているのを黙って見ている程俺も人間が終わっていない。
私は俺を見て「ごめん、ごめんなさい」と謝った。俺を切り離した事か? それとも「なんのごめんだよ」と笑って返した。
「全部、私が悪いのに」
私が悪いって事だったら俺も悪いって事なんだろうな。性別選択の自由ってのは選択した後の責任を負えって事だもんな。
「お前も俺じゃん」
まぁ、私に嫌われたまま消えるよかいい感じじゃん。
俺の事を見る私の表情が恐怖ではなく、別の驚愕の感情に変わる。多分、私は切り離した俺を受け入れてくれたんだろう。そしてその結果、私のRFSの症状は抑えられ、切り離された俺は消えるんだろう。
いや、元に戻るんだろうな? 知らんけど。
「汐、俺の話し相手になってくれてありがとうな」
「いやいや、私の方こそ楽しい時間だったよ」
嗚呼、この言い方汐らしいな。
「それにしても俺も汐と私にしか認識されてないの気づかなかったのな」
「そのおかげで君と話していた間の私は、壁に向かって話している随分頭のおかしな生徒に映ったろうね」
安心しろ。
お前は壁に向かって話してなくてもおかしな生徒だ。
意識が俺の方も朦朧としてきた。私こと、
さて、これで俺は思い残すことが無い。それでも俺を生み出してしまった事、俺のせいにして切り離した事。多分、私は未だに引きずるだろうから、最後に俺は助言をしてみる事にした。
「俺は女の子で良かったよ」
私こと、
「どうして?」
「だってさ。俺、くっそ可愛いじゃん! マジで!」
こうして俺は俺の生まれてきた役目を終えた。
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