第3話 遠足は終わり、怪物汐の巣に獲物がかかったらしい

 お手洗いからは倉田永空くらたとらが先に出てきて、俺の事を思いっきり睨みつけて女子グループの元へ戻って行った。汐が何を言ったのか分からないが俺まで目をつけられたんじゃないだろうな。


 汐の頬は恐らく倉田永空くらたとらに叩かれたんだろう。明らかに腫れている。顔はバレるから腹にという感じじゃないのは感情的な一撃だったか。

 水で濡らしたハンカチを頬に当てていることから結構痛いのだろう。そもそも距離感と立ち位置をもう少し考えればこうはなるまい。ひいている俺と汐が目が合うと「いい反応だったよ」と俺をよりドン引きさせた。


 恐らく、倉田永空くらたとら本人も自らに何かが起きている事に気づいているんだろう。だがしかし、汐はデリカシーという物がない。その結果割と可愛い顔をしているのに、汐はそんな頬を腫らす事になった。


 今回の接触は失敗に終わったんだろうと俺は思うが、汐の方はそうじゃないんだろう。何故ならいい反応だったと言った。それは殴られた事も含めての汐の感想に他ならない。

 昼食の時間も終わり、お土産でも見て時間を潰す頃合いだ。案の定、汐も他の生徒達と同じく家族宛に何かしらのお土産でも買って帰るのだろう。と思ったら、よっぽど美味しかったのか、汐は再び牛乳を購入して飲んでいた。そして視線の先には倉田グループ。


 お土産選びは二の次と言った感じで適当にクッキーやらを買い物籠に入れる汐に俺は呆れる。倉田グループは汐に見られている事に気づいたのか、売店から去っていく。「おい、汐。流石にしつこいとヤバいって。なぁ?」と俺の忠告を聞き流す。


「さて、帰りのオヤツは何を残していたかな? ヤンヤンつけ棒だったっけ?」

 

 知らないし、あんな食いにくいオヤツを買ってくるのは小学生くらいなものだろうよ。汐は一瞬倉田永空くらたとらの事を忘れてオヤツに現を抜かしていた。

 が、我に返ったかのうに呟く。

 

「猫は先祖返りしようとしているのだろうか?」

 

 猫の先祖は猫だろうよ。こいつは一体何を言っているんだ? 俺を見つめてクフフと笑う。口元を隠す萌え袖がなんとも腹立たしい。

 

「まぁーあれだよ鳴上くん、倉田くんの方から私にその内話しかけてくるようになるよ。今はけんでも構わない」

 

 十五時、五分前。ポツポツと生徒達が帰りのバスの集まってくる「トイレ済ませとけよ」と言う先生の言葉に男子グループは再びバスを降りて連れ立ってお手洗いに向かっていく。汐は既に“帰り“のオヤツ袋を取り出していた。

 汐は今回のバスの座席は行きとは真逆の一番後ろの席を陣取った。大体パリピグループの男子が座るその席の一番左端に座り「鳴上君、麦チョコ食うかい?」と俺に差し出してくるが、いらないとジェスチャーし、同じく後部座席に座る男子生徒が汐をチラチラと見ている。

 それにしても汐ってこんなに駄菓子が好きだったか? 麦チョコの次はかわりん棒かよ。


 流石に太るぞ……

 

「全員いるな? 学校に向けて出発するからもうトイレは行けないぞ」

 

 とか担任が言っているが、「お土産なに買った? えー、美樹ソフトクリーム買ってきたの? いいなー」とか、全く話を聞いていない。担任も聞いていない事を分かった上で形式上そう言ったんだろう。


 そしてバスは動き出した。


 行きの道のりを変えるバスの中「さて」と汐はバスの座席を見渡す。背に汐の視線を感じているであろう倉田永空くらたとらは気が気じゃないだろうな。

 

「紅月さん、牧場で焼肉食べてなかった?」

 

 パリピ男子グループの一人が汐にそう尋ねてきた。「焼肉じゃない。ジンギスカンだよ」と汐は訂正して返した。きっと汐と会話をする為のきっかけだったろうに、パリピ男子でもそう突き放されたら会話も続かないだろうよ。

 いた堪れなくなったのか、勇敢にも汐に話かけた生徒はスマホを凝視し「この動画面白いから見てみろよ」と先程の会話を無かった事にした。汐は汐で彼の事は気にも止めずにバスの車内を見渡している。

 

「遠足は帰るまでが遠足だとはよく言った物だよね。行きとはまた違った笑顔が溢れてるね。きっと牧場で経験した事が楽しかったとか、食べた物がおいしかったとかそういう思い出話に花を咲かしているんだろうね?」

 

 当たり前の事を予測したかのように汐はそう語る。だけど俺は汐の言葉を当たり前じゃんとは言えなかった。一体、汐は今このバスの車内がその瞳にどう映っているのか俺には検討すらつかない。

 ゆっくりと、されど確実に汐の幻想認識症候群は進行している。俺はまだ汐には人間に見えているんだろうか?

 

「多分、お前の言う通りだよ」

 

 それ以外の言葉が出てこない。ココアシガレットを咥える汐、遠足が終わったクラスメイト達を見渡し頷いている。

 

「学校も遠足を開催するかいがあったね」


 どう反応していいのか困るな。何かキラキラした物でも汐には見えてるんだろう。「タバコって美味しいのかな?」と二本目のココアシガレットを咥える。世の中タバコも酒もできる事なら嗜まない方がいいと言われているが汐は気になるらしい。バリバリとココアシガレットを噛み砕いて食べる汐の独り言に俺はまたしてもコメントに困った。


 スマホで写真撮影をしている女子達。お菓子をシェアして食べているサッカー部の男子グループ。中には疲れたのか、完全に熟睡している生徒もいた。確かにバスの揺れは眠くなる。俺は子供の頃は物凄い乗り物酔いでバスが苦手だった。いつしか乗り物酔いも克服したわけだが、そういえば汐が乗り物酔いしている姿を俺は見た事がない。いよいよ汐の持ってきた大量のオヤツも底が見えてきた。


 最後のオヤツは何が飛び出すのかと思ったら、まさかのねるねるねるねを取り出しやがった。水はどうするんだよと思ったらペットボトルの水を用意している。周到な奴だな。しかしバスの中でねるねるねるねを作る奴ってどうなんだ。

 作り方を読まずに1の粉、2の粉と混ぜ合わせて、汐はヤバい色をしたそれを口に運んだ。


「実にケミカルな味だね」

 

 自分で食べたくて買ったんじゃないのか?「うん、不思議」とか言いながらパクパクと食べている。先程までと違い神妙な顔をしているな。

 バスの外はよく見る風景、要するに学校に近づいているということだ。この汐が駄菓子を食い散らかして、倉田永空くらたとらと一悶着を起こした遠足がようやく終わるという事でもある。

 眠っている生徒を起こす担任、そしてマイクを持つと生徒達を見てバスガイドのようにバスが到着した後の事を説明し始めた。

 

「バスから降りたら各自家に帰宅。忘れ物するなよ!」

 

 学校の脇にマイクロバスは停車すると、一人ずつ荷物を持ってバスを降りていく。一番後ろの汐は「じゃあ行こうか」と言って最後にバスを降りた。仲の良いグループは待ち合わせて帰宅するが、俺と汐にはそういう間柄の友人はいないのでこのまま一緒に帰るんだろうな。と思ったのだが……

 

「紅月さん、ちょっといいかな?」

 

 汐に話しかけてきたのは倉田永空くらたとらのグループの女子の一人。名前は確か、谷本真弓たにもとまゆみだったか? グループのリーダー格でモデルみたいなスタイル、女子人気も高い。芸能関係の仕事をしてるとかしないとか?

 

「おぉ、こんな別嬪さんが私に話しかけてくるとは思わなかったよ」

 

 とかなんとか、演技ぶった返し、「別嬪って……紅月さんも可愛いじゃん」とお世辞なのか事実なのか分からない事を谷本真弓は返した。

 俺の方を一切見ないのは俺が取るに足らない人間だからだろうか?

 邪魔なら邪魔だと言ってくれればいいのだが、そう言われないので俺も一緒にいていいんだろうな? 


 多分ね? 


 いいよな?

 

「紅月さんってさ、トラの……その、の友達なんだよね?」

 

 そうなの? 汐っていつから倉田永空くらたとらと友達になったんだ? 俺の知っている限り俺以外と汐が誰かと話している姿なんて見た事がないぞ。谷本真弓の勘違いじゃないのか?

 

「そうだね。倉田くんとは昔からそれなりに友達だったね」

「そうなの?」


 俺の横槍が悪かったのか? 谷本真弓は俺を無視。これは俺はこの場から離れた方がいいんだろうか? 谷本真弓は「最近さ」と倉田永空くらたとらについて話し出した。「ちょっとした事でピリピリしてて」と倉田永空くらたとらの変化を語る。

 

「あはは! 私にそれを尋ねに来たって事は谷本くんは鋭いね?」

「え? やっぱ紅月さんからしてもトラおかしく映っていたの? やっぱりだよね?」

 

 汐は俺を見るとやれやれジェスチャーポーズ。汐が幻想認識症候群FRSであると言う事は知らなかったようだ。

 

「まぁね。谷本くんは何処かおかしく感じたんだい?」

「時々、変な方見てぼーっとしてるんだよね」

 

 確かに倉田永空くらたとらは幻想認識症候群の兆候が出ていると見てまちがないない。

 

「成る程成る程! そして時折怒りっぽくなったりしていたりするかい?」

 

 汐の言葉に谷本真弓は驚いた顔をする。

 

「やっぱ分かるんだー! 紅月さんに相談して良かったよー」

 

 汐の表情が明るく、と言うより恍惚の表情をしている。この顔はしめしめと言った感じだろう。

 

「いやいや、で谷本君はどうしたいんだい?」

 

 汐は一瞬にして谷本真弓と打ち解けあって仲良くなった。


「トラってじゃん? でももうウチらの友達だから今までみたいに」

 

 アレってなんだよ? 倉田永空くらたとらは少し痛い子なのか? 汐を見ると、何か分かっているかのように頷いている。何か女子じゃないと知らない的な事か?

 

「そうだね。今までみたいに楽しくいたいよね? 谷本君、少し手伝ってくれないかい?」

 

 これは汐の考えていたシナリオ通りに進んでいるのだろうか? 谷本真弓とライン交換をしている汐。


 次なるアクションを仕掛ける準備が整ったか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る