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 近江さんが煙管を喰み、ふっと息を吐く。すると煙管の先端からぶわっと煙が立ち上る。しかしそれは普通に煙管を吸った程度では出ない煙の量で、私はそれを見るといつも胴の長い蛇を連想してしまう。

 煙管の先端からずるりと這い出た煙が重力に従って床に流れ落ちる。長い蛇が寝蔵から出てきたみたいに床に着いた煙は、そのまま何かを探すように室内を這い回る。まるで生きているみたいに動くそれは、たちまち狭い部屋の中を煙で満たしてしまった。近江さんはその場から動かずに、ただ煙管を吸っている。

 ぐるりと部屋中を領域にしてしまった煙は私の体も秋成さんの体も知らん顔で通り過ぎ、それから漸く獲物を見つけた。私の上に乗っている白崎さんだ。煙はまるで巻き付くみたいに女ごと白崎さんの体をぐるぐると捕らえ、その体を持ち上げる。突然霊体である自分に干渉してきた煙に、白崎さんはその表情を驚きのものに変えた。女がノイズの混じった声で「ギャッ」と呻いた。やっと抑えつけるものがなくなって、私は今のうちに体勢を整える。

「けほっ……。秋成さん、大丈夫ですか」

 秋成さんに近寄る。私を、正確に言えば私の上に乗っていた白崎さんを見ていた彼は、今は宙に浮かされた白崎さんを目で追っている。やっぱり見えているんだ。

 その目がこちらを見ることなく、彼は口を開いた。

「加瀬……あれはなんだ? なんで白崎が……それより、あの煙は……」

 言葉を探して、適切なものが浮かばなくてまた口を閉じる。

「大丈夫です。あの煙は近江さんの力なので」

「力って……」

 呆然としたままの視線の先では、ぐるぐると体を巻きつけられて身動きの取れない白崎さんと女の姿がある。煙管の煙はどう見ても煙でしかないが、霊体である彼らは抜け出そうとしても抜け出せないでいた。藻掻くたびに余計に絞まっていく縄のようなものだ。

「『煙吾えんげ』っていう力なんですけど、近江さんの家が縛られているというか……。とにかく、ああやって捕まった霊はもうどうすることもできません。消滅するだけですから。その分、力を使うのに条件があるんですけど」

 例えば、煙吾を使うときは極力四角い空間でなければならないとか。私もあまり詳しくは教えてもらっていない。随分長いこと近江さんと一緒に――半ば強制的に仕事をしているが、その辺の詳しいことは本人は言いたがらない。

 私が知っているのは、あの煙管の力が煙吾っていうもので、四角い空間じゃないと使えなくて、近江さんの家に関係しているということだ。更に言えば、霊が見えない近江さんがそれを正しく使うには、私みたいに霊が視える人の助けが必要ということだ。

 よく考えると難儀だな。そう思っていると、秋成さんがバッとこちらを振り返った。

「消滅? 消滅って? 白崎は?」

 暗闇の中、秋成さんの目に非難の色が混じったように見えて私は言い淀む。

 でもこれは仕方のないことだ。事前に説明していなかったとしても、秋成さんが近江さんに助けを求めた時点で決まっていたことだ。私は口を開いた。

「秋成さん、白崎さんはもう生きてないんです。それなのにまだこっちの世界に繋ぎ止められている。それは駄目なことなんです。本当なら浄化とか浄霊とか、もっとやり方があると思うんですけど……近江さんのあれは、霊を殺すものだから」

 だから駄目なんです。できるだけゆっくり分かるように言うと、秋成さんの目にぎゅっと力が入ったように見えた。

 すると声が聞こえる。

『あきなり……』

 白崎さんの声だ。

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