力のこと

1

 失敗したなと気づいたのは、玄関を入って目の前にある近江さんのデカい背中を見てからだった。

(視界悪い)

 もちろん室内が暗い、それもただ夜の暗さだけではない闇に飲まれたようなそれのせいでもあるけど、物理的に視界が悪い。身長差のことを考えて、私が近江さんの前を歩くべきだった。そもそも近江さんには幽霊が見えないんだから、先に行っても何かあった場合私が気づくまで対処できない。

 試しにちょっと体をずらして前方を確認してみたが、廊下が狭いためあまり見えない。先頭を歩く秋成さんのシルエットがちらちらと確認できたくらいだ。

 今度からもうちょっと考えてもらわないと。そう思っていると、近江さんの歩みが止まってぶつかりそうになる。どうしたんだろう。近江さんの体の隙間から覗き込むと、秋成さんも止まっているみたいに見えた。何かあったんだろうか。

「ど、どうしました?」

 声をかけてみると、やや間があった後、秋成さんの小さな声が聞こえた。なんでもない、という声は少し震えているように聞こえた。

 大丈夫かな。今更になって秋成さんを最初に入らせるんじゃなかったとも思う。近江さんに言われて私も彼の背中を押すようにしてしまったけど、彼はこの中で一番狙われている人だ。囮にしたわけではないが、結果的にそう見えてしまっていて申し訳なくなる。

 これも後から謝ろう。そう考えていると、キィと小さな音がした。扉を開けた音だ。秋成さんが開けたのだろう。そうして暫くしたが、辺りはしんと静まったままだ。近江さんもそこから動く様子も見せないし、物理的に視界が悪くて私からはどうなっているのか見えない。何か嫌な感じがした。

「お、近江さん。今どうなってるん、ですか? ちょっと見えなくて」

 試しに近江さんの背中を叩いてみる。彼はそれでやっと私が前を見れていないことに気づいたみたいに振り返って、ちょっと体をずらした。

 そこから覗き込むと、開け放った扉が目に入る。ただ、一番前を歩いていたはずの秋成さんの姿がない。

「加瀬、

 近江さんにそう言われてハッとした。彼の体の横をすり抜け、リビングに入る。リビングと呼べるような広さでもない、狭くて乱雑に物が散らばっているそこに、ふらふらと歩く秋成さんがいた。

 秋成さんは酔ったみたいに体を揺らし、部屋の真ん中で半ば崩れ落ちるように座り込んだ。体のどこかを机で打ったらしく、鈍い音がした。

 慌ててその体に駆け寄る。後ろでは入ってきた近江さんがぞんざいに扉を閉めていた。四角い部屋が出来上がる。

「秋成さん」

 俯いてしまった顔を覗き込むと焦点の合わない虚ろな目が床を見ていて、だらしなく開けた口からは涎が垂れていた。瞬きをしない目からは涙が溢れている。

「秋成さん!」

 先程より強めに呼び掛けた。床に着いた秋成さんの手がピクリと動いたのが見えた。虚ろな目に少し光が戻ってくる。けれどその秋成さんの手の前に、こちらに指先を向けている別の手が視界に入る。顔を上げた。

 秋成さんと同じくらいの若い男性が、目を見開いて秋成さんを見ている。

「近江さん、ここに」

 机を挟んで横に立った近江さんに、男性から視線を外さずに促す。

 くたびれたスーツを着た男性は青白い顔で秋成さんをじっと見ていた。その顔の半分から下はぐちゃぐちゃに潰れて原型を留めず、時折何か肉片のようなものが千切れて落ちる。

「もしかして、あなたが――」

 白崎良介さんですかという言葉と、ぐちゃぐちゃの彼がこちらを見たのと、私が何か強い力で横に吹っ飛んだのは、たぶん同時だった。

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