9

 左手の壁際に書類などが乱雑に積まれた小さな本棚。右手の壁寄りに敷きっぱなしのヨレた布団。その間に小さく肩身を寄せている炬燵机の前に、白崎が座っている。

 彼は部屋が狭いせいか、敷きっぱなしの布団に半分尻を埋める形で座り込み、机に向かって何かをしている。手元を見るとペンが動いていた。どうやら何か書き込んでいるらしい。

「何してるんだ、白崎」

 俺の口から言葉が滑り出た。

 そこで漸く俺がいることに気づいたのか、白崎はパッと顔を上げて俺を見る。そういえば、何かに集中している間は他の作業に気を配れないやつだったな。そう思い出していると、彼がにこっと笑った。

「おかえり、秋成」

「なにやってんの、お前。明るいんだからカーテンくらい開ければいいのに」

 室内はよく照らされていて明るい。なのにそれを遮るようにカーテンがぴったり閉められている。色褪せたそれに近づこうとすると、白崎は「いいのいいの!」と俺を遮った。閉じてた方が落ち着くからと、ちょっと困ったように笑う。そういや、いつも閉じてたな。あれ、いつもってなんだっけ。

「そういえばさぁ!」

 白崎が突然大きい声を出した。ペンを動かしていた手を止め、立ったままの俺を見上げながらにこにこしている。

「秋成に見てほしいものがあるんだ」

 悪戯を思いついた子供のような笑顔だ。早くそれを見せたいと、わくわくした顔でちょいちょいと手招きをする。その表情に俺の口からは、ふっと笑いが零れ出た。まったくこいつは、とかいうあれだ。

 手招きされるがまま、俺は白崎の隣に座り込む。狭いため、必然的に俺も布団の上に腰を下ろした。近くなった距離に、白崎は机の上に置いてあったものをパッと手のひらで隠した。手の隙間から何か白いものが見えている。

「なんだよ、見てほしいんじゃなかったのか」

「そうなんだけど。ほら、いざ直接っていうとちょっと恥ずかしいじゃん」

 彼は照れたように、へへと笑った。手の下に隠したのは紙切れらしい。かさりと音がした。焦らされていると分かって、俺の口からもう一度「なんだよ」と声が漏れ出る。

 白崎は内緒話をするみたいにちょっと身を屈めて口を開いた。

「俺の、秘密の願い事」

「願い事?」

 繰り返した俺に、白崎は大きく頷く。それから机の上に置いていた手を、すっとこちらに近づけた。手の下には隠した紙切れが挟まっている。まるでこれが願い事だという仕草に、俺は白崎を見た。目が合った白崎が僅かに目を細める。

「気になる?」

「そりゃな。というか、見せたかったんだろ?」

「そうだね。じゃあ……」

 特別だよ。そう言ったみたいに更に目を細め、俺の視線を紙に誘導する。顔を伏せた先から、ふふっという笑い声が聞こえた。それが白崎の声だったのか確認する前に、彼の手がゆっくりと紙から持ち上がっていく。

 ゆっくりゆっくり露わになった紙の表面には、ミミズがのたくったような字でこう書かれていた。


『秋成靖弘が死んでくれますように』


 その文字の内容を確かめるように何度も頭の中で読み、それから俺は白崎を見る。

 目と鼻の先にいる彼は、さっきまでの優しい笑顔が嘘のように無表情でこちらを凝視していた。感情をどこかで捨てたみたいな、能面のような顔が俺を見ている。

 白崎、と言おうとしたが声が出ない。それより、動かそうとした口が上手く動かない。

「秋成のせいだよ」

 白崎が俺を凝視しながら、手だけを動かして机の上に置いてあるその紙をくしゃっと掴んだ。それからどこから出てきたのか、手に納まるほどの石を持ち、その石をさっきの紙でくしゃくしゃに包んで躊躇いもせず飲み込んだ。俺が死んでほしいと書かれた紙は、硬い石ごと白崎の体に沈んだ。

「秋成のせいなんだよ、これも」

 白崎が言う。

「でもさ、仕方なかったんだ。だってさ、これはお守りだから。俺を守ってくれるお守りだからさぁ。仕方なかったんだよ秋成。俺がこうなったのもお前のせいだけど、仕方なかったんだよ。なあ秋成。だってさ、彼女がこうしろって言ったからさ」

 能面のような白崎が、壊れた機械のように繰り返す。その手がまた別の石を掴んで、今度は俺に向けられた。

「だから、秋成も一緒だよ」

 ぐいと顎を掴まれ、石を口に詰め込まれる。それはゼリーみたいにつるんと口の中を滑って、当たり前のように喉を通り過ぎた。続けざまに何度も、能面のような白崎に石を飲み込まされる。俺はまだ声が出せない。

 頭の中はやめてくれと叫んでいるのに、体はピクリとも動かず白崎から石を詰め込まれ続けている。体が重い。腹が膨らんでいく。ごつりとした石が皮膚を傷つけ喉が痛い。雛鳥が餌をせがむように開けられた口の端が切れる。何かが頬を伝った。涙だった。

 能面だった白崎が、笑う。

 口の端をきゅーっと上げて、あの時みたいに笑う。

 だから俺も、ああやって死んで――


「秋成さん!」

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