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胃がひっくり返って飛び出るかと思った。
びっくりして扉を見ると、ドアノブに片手を付いたままもう片方の手を膝に置いて、死にそうなくらい肩で息をしている女がギリギリ踏ん張って立っていた。
既視感しかない。加瀬だった。
「ひなたちゃん!」
隣で仙名が立ち上がる。ひなたって、もしかして加瀬の名前? と思う間に仙名はずんずん歩いていって加瀬の小さい肩を両手で掴んでぐらぐらと揺らす。
「ひなたちゃん大丈夫!? 息して息! 深呼吸!」
「ち、ちひろちゃ、やめ、まっ、おえぇぇ」
ちょっとした大事になった。
「ひなたちゃんは私の親戚なの」
そう言って仙名はコーヒーを一口飲んだ。
あの後、あとから来た島田さんに水を持ってきてもらったり新しいコーヒーを運んでもらったりして、漸く四人は腰を落ち着けた。目の前に座った加瀬が小さく会釈する。
「急いでき、来たんですけど、うちここからとお、遠くて。お、お待たせしました。千尋ちゃんがお願いし、したいって人、秋成さんだったんですね」
「え、なに。秋成くん、ひなたちゃんと面識あるの?」
仙名と加瀬が繋がっていたことに驚いたが、向こうも俺と加瀬が顔見知りなことに驚いたようだった。そりゃそうだ。かいつまんで説明する。白崎の、のくだりで仙名は渋い顔をした。
「白崎くん、そんなことになってたんだ……」
白崎の死亡は詳しく伝えられていないはずだ。その最期を見たのは俺だけなんだから。
俺は改めて近江に向き直った。
「近江さん、これって、霊現象っていうやつになるんですかね」
正直信じられないが、自分の身に起きたことは他に説明できそうにない。つきまとう黒い人影。無意識に石を食べる行動。仙名も俺の部屋で黒い足を見たと言った。もしかして、白崎もあいつに追いかけられていたんじゃないか。それで石を食べさせられて、口があんなになるまで……。
頭の中ではあの黒いやつが嬉しそうに口を動かしている。
近江は組んだ脚を揺らした。
「聞いた分じゃ、そうなるな」
「そういうのも解決できるんですよね」
食い気味に聞く。何でも屋と聞いていたが、なんとなくこういう現象にも対処してくれるんじゃないか。半ば確信に近く尋ねる。彼は腕を組んでソファに背を預けた。
「前にも言った。相談料は三十万だ。それ以下はない」
投げられた言葉に、何故か俺ではなく近江の隣に座っている加瀬がぎゅっと力を入れて口を閉じた。それに釣られるように俺も膝の上で手を握れば、隣で仙名が「あのねぇ」と声を上げた。
「その最低な金額やめたら? 人が困ってんのに」
心底不快というように彼女が眉を顰める。仙名と近江は思ったより仲が悪いのかもしれない。なのに、わざわざ俺を連れてきてくれたのか。頼む相手は加瀬の方だったとしても。
「これはビジネスだ。慈善事業じゃねぇ。文句があるなら帰れって言ってんだよ」
「なにそれ。人の親戚使いまわして。だいたい――」
「分かりました、払います」
仙名の言葉に被せるように言うと、思ったより響いて一瞬周りがしんと静まった。カップを持とうとした仙名の指が震えてガチャリと不快な音を立てる。
近江が「へぇ」と笑った。片方の口の端を器用に上げて、馬鹿にしたような笑いだ。
「知り合いのときは払えずに、自分のことになると躊躇いなく出すのか」
何も言えなかった。その通りだと思ったから。頭の中で、白崎が冷めた表情で俺を見ている。
「まぁいい。今日中に片付ける。明後日までに、ここに振り込んどけ」
近江がポケットからスッと紙を滑らせる。この前の名刺ほどのサイズだが、内容は名前ではなく口座が記されているだけだった。
顔を上げれば、壁掛け時計が八時半を示している。外はいつの間にか真っ暗だった。
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