嫌なこと
1
ちょっとおかしいな、という自分の勘はよく当たる方だと思っている。
キーボードを叩く手を一旦止め、左の席に目だけを動かす。PC周りは整頓されていて、いくつか並べられた資料も端を揃えて置かれている。ぴっちりと仕舞われた椅子が昨日完璧に仕事を終えて退勤した風を装っているが、この席の主は数日前に体調不良を理由にしばらく休暇を取っている。
次に斜め前の席に目を向ける。背を向けたPCと積み重なった資料が視界を遮り全容は見えないが、こちらの席も同じく数日前から主は不在だ。ただ、こっちは不在という表現は正しくない。なにせ数日前に死亡が告げられたからだ。
両方の席を見比べ、私は左の席に目を戻した。おかしい、というより、なんかちょっと嫌だなと思ったからだ。その、なんかちょっと嫌だなと思った部分を探そうとしたところ、名前を呼ばれた。
「
横からずいっと出てきた紙の束に顔を上げる。ひょろっとした後輩が期限の近しい資料を持って立っていた。
「ああ、うん。貰うよ」
「ありがとうございます。……秋成先輩、来なくなっちゃいましたね。仕方ないんでしょうけど、大丈夫かなぁ」
私の視線を追ったのか、左隣の主――秋成靖弘の席を見て後輩は溜息混じりにこぼす。後の方が小声になったのは気を使ってだろう。昼下がりの柔らかい日差しが場違いに座席を照らしている。
秋成は先日、斜め前の席にいた白崎という彼の同期が死んだ瞬間に居合わせて体調を崩している。無理もないと思った。人が死ぬ間際に居合わせるなんて、そんな精神が削られることなんてそうそうない。その死んだ白崎も事件か事故か、いまだ警察で捜査中だという。
そのせいか、フロア内はどこか白々しい空気も流れていた。もっとも、秋成を遣わした部長は多少の気まずさを持ちながらも、実質二人も人手が減ったことに苛々しているみたいだが。
私はポケットからスマホを取り出し、画面をスーッとスクロールして、それから手を止めてまたポケットに戻す。
「ちょっとさ、なんかやっぱり嫌なんだよね」
「え、なんです?」
「西くんさ、秋成くんの家の住所知らないよね? 総務に言ったら教えてもらえるかな?」
「えっ、あっ、えっ? いやぁ、どうでしょう?」
急に名前を呼ばれた後輩は、そのひょろっこい体をびくりと揺らす。こちらが座っている分、下から見上げるようにじっと見ると何度か、あーとか、ううんとか言っていた彼は、一応プライバシーとかありますしと濁した。それもそうだ。
「そうだよね。まぁ、いいや。なんとかするし。じゃあ、はいこれ。資料お願いね」
「わっ」
こちらで勝手に自己完結し、手元に置いてあった資料の束を後輩の手に乗せる。先程自分が持ってきた量の倍ほどある紙束に彼はびっくりした顔で何かぶつぶつ言ったが、こちらがもう構っていないのを見ると大人しく持って帰った。仕事ができる後輩は良い。
それを横目に流しつつ、私は座席を立った。
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