16
ピンポーン、という間の抜けた音に、ゆるゆると膝に埋めていた顔を上げる。
ソファには座らず、テーブルとソファの間に座り込んでいた俺は、その音で漸く朝になっていたのだと知った。閉めた記憶のないカーテンからは僅かに日差しが入り込んでいる。
あれから寝ようとすると、瞼の裏に夢の中のあいつが近づいてくる気配がして眠れなかった。夢の中のことなのだから幻覚に近いと分かってはいるはずだが、強烈な気配と腐敗臭、それにもごもごと動く――おそらく口のようなそれに怖気がして一睡もできなかった。無防備に横たわることも嫌で、結局こうして座って朝を迎えている。
ピンポーンと、もう一度鳴ったチャイムに顔を向ける。玄関の向こうで人の気配がしたことに息を詰める。リビングのこちら側は窓から入ってくる僅かな光でまだ明るい。けれど、廊下の先にある玄関までは光が届かず朝といえど暗さに満ちている。
正直動きたくなかった。座ったまま朝を迎えたことによる体の軋みに疲弊。何よりも、今チャイムを鳴らしているのはちゃんとした『人』なのか? そう思うと夢のあいつがもごもごと笑った気がして、ごくりと喉が鳴る。
と、玄関の向こうで声が上がった。
「秋成さん、いらっしゃいませんか。以前病室でお会いした畑瀬ですが」
その声と名前に深い彫りの顔立ちを思い出した俺は、重くなった腰をのろのろと持ち上げた。
「いや、すみませんね、お休みのところ。……体調は大丈夫ですか?」
前回同様悪びれた様子もない言葉は、一瞬畑瀬が目を瞠りこちらを窺う言葉に変わった。
玄関先で迎えた彼は俺の顔を見て何度か瞬きを繰り返し、伸びたままの顎髭を擦る。寝ていない俺の表情は随分と酷く見えたらしい。もう一度体調を気遣うような言葉を貰う。
「すみません、寝てなくて。……それで、刑事さんが何の用でしょうか」
用件なんか聞かなくても大方分かるが、一応訊ねた俺に畑瀬はポリポリと頭を掻いた。困ったような表情は病室で見たあの鋭い刑事の顔ではなく、どこか近所のおじさんを想像させる。
「例の、同期の方の話を聞きたかったんですが。体調が悪そうなので改めて伺いますかなあ」
そうしてくれるとありがたい。むしろ今後も来なくていい。そう内心思っていると、畑瀬が思い出したようにそういえばと言葉を続けた。
「ドアノブに袋が引っ掛かっていましてね。失礼ながら中身は拝見させていただきましたが、お見舞いの品のようですよ」
「見舞い?」
今度はこちらがキョトンとする番だった。何のことか分からず首を傾げると、失礼と断りを入れて畑瀬が玄関扉の外側に手を伸ばす。がさりと音がして、彼の手がよく見るスーパーのビニール袋を引き寄せた。
「随分とたくさん入れてくれてますな。食べごろかもしれません」
畑瀬が少し嬉しそうに笑う。
自慢することではないが、俺の身辺に見舞いに来てくれるようなやつはいない。会社内でも人間関係に不満はないが自宅を知らせるような親しい人は作らず、県外に住んでいる親には倒れたことすら言っていない。もちろん、隣近所の住民とも交流はない。
いったいなんだと思い、ほらと畑瀬が広げた袋の中を覗き込む。
彼が『食べごろ』と評した中身は、ゴロゴロとした石がいくつも入っていた。
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