12
ことり。目の前に置かれたカップから漂う香ばしい香りに救われた気持ちになったのは初めてだ。自分の前に一つ、対面に二つ置かれたそれは幾分もしないうちに部屋の空気を和らげた。
「本日の豆はコロンビアにしていただきました。熱いうちにどうぞ」
「ど、どうも」
お盆を持った島田さんが丁寧に腰を折って退室していく。促されるまま温められたカップに口をつける。いつも飲んでいるコーヒーよりほのかに甘い風味があるような気もするが、緊張で味はほとんど分からない。
これは一階のコーヒーショップで淹れたものだろうか。カウンター越しに会釈しあった男性の顔が浮かぶ。
静かにカップを置いたタイミングで向かって右に座る女性が口を開いた。
「えっと、電話してくれたあき、秋成さんですよね。あ、わ、私は加瀬といいます。近江さんの、て、手伝いをしてて……。で、こっちの、こ、怖いのが近江さん」
何度か
その小柄な女性に『怖いのが』と紹介されて、驚いたことにその表現を黙ったまま受け取った男が革張りのソファをぎしりと鳴らす。筋張った手がジャケットの内側を探り緊張が増したが、出てきたのは紙切れだった。名刺、らしい。
「ああ、こっちの番号知ってるってことは名刺はいらねぇか」
男の声を、初めて聞いた。島田さんより少し高めだがそれでも低めの、張りつめた糸のような空気がそれからは伝わる。怖い、というより、どこか畏怖のようなものを感じた。ただ、黙っていれば俳優と言われても納得するような顔立ちだった。
名刺を滑らせた手が思い出して引っ込めようとしたのを止める。
「あ、いえ! 番号は知り合いのメモに書いてあったのを俺が電話したんで……いただきます」
「……へえ」
何に納得したのか分からないが、すっと細められた目が名刺を戻す。それを手に取ると、中央に『近江 匡嗣』と書かれており、端の方に番号が綴られてあった。俺が昨日かけた番号かは正直覚えていない。他に社名などもない簡素なそれをポケットに仕舞う。
近江がそれで、と切り出した。
「知り合いが死んだ原因が知りたいんだったな」
早速本題に入ったことに俺は自然と背筋を伸ばした。こくりと頷いたのを見て、近江と加瀬が一瞬だけ視線を交わす。
どこかこちらを探るようなそれに、俺は昨日までの出来事を話しだした。
白崎の無断欠勤、主のいないアパート、それから河川敷での出来事……。途中気分が悪くなりそうだったが、自分が覚えている限り細かく説明する。その間、二人は一言も発さなかった。
「――そういうわけで、なんであいつが謝っていたのか知りたいんです」
昨日の今日だからかもしれないが、まだ瞼の奥には白崎の最期の姿が張り付いて消えてくれない。血だらけで謝っていたあいつが、俺に向かって笑ったんだ。
そこまで聞いて、近江がソファに背中を預ける。
「ま、話を聞く限りこっちの案件にはなりそうだ」
請け負ってくれそうな返事に俺の頬が緩む。確かにこんな
少なからずホッとして二の句を告げようとし、けれどそれより早く近江がにやりと口角を上げる。
「じゃあ、相談料三十万円だ」
俺の口から、『え』とも『へ』ともつかない空気が漏れた。
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