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 通話口から聞こえてきた声に、俺は自然と居住まいを正す。機械越しではっきりとは分からないが、自分より年上に思えたそれに広げていた脚を閉じた。

「すみません、こちら近江さんのお電話で間違いないでしょうか」

『……近江で間違いありませんが、本人ではありません。代理のものです』

 相手は少し逡巡したように間を開けた。丁寧な話し方をする人だった。

「そうですか。近江という方に聞きたいことがあるんですけど、変わってもらうことは……」

『申し訳ありません、直接は。それより、ご依頼でしょうか?』

「ごいらい?」

 予想外の言葉に思わず鸚鵡返しをしてしまう。依頼。何かの業者だったかと少し焦る。白崎はどこに電話しようとしていたのか。なんと返せばいいか分からなくなって口だけが開いてしまう。通話口では『ご存じありませんでしたか?』と窺うような声色が漏れた。

「いや、あの……知り合いがこの番号をメモしていて……いや、そいつはもういないんですけど……」

 俺の目の前で死んで、とはとても言えなかった。またあいつの姿を思い出しそうになってぶるぶると首を振る。通話口の相手は、そうですかと現実味のない言葉を返した。その少し低い声に、はーっと息を吐く。

『うちは、そうですね。平たく言えば何でも屋のようなものです。人探しや調査、もう少し踏み込んだことまで、ご依頼であれば何でも請け負います』

「なんでも」

『ええ。聞く分に、何かお困りの様子ですが』

 困り事。そう大層なものではないが、白崎がこのメモを残していったのは気になっていた。

 急に無断欠勤して、連絡がつかなくて、探したら――。

 あいつはあの時、しきりに謝っていた。ごめん、でも仕方ないんだって。俺はあいつに謝られるようなことは何もない。なのに、許しを乞うように何度も。その理由が少しでも分かるなら、今この胸の中にあるモヤモヤしたものも晴れるのではないか。そんな気がしていただけだ。

 先程の『もう少し踏み込んだこと』の内容は気になったが、小さく深呼吸する。

「……知り合いが死んだ理由とかも、調べることはできますか」

『可能です』

 即答だった。

『ただ、内容からして通話のままではと思うので、一度こちらに来てもらう必要はあります。その時は近江が対応します』

 場所を聞けば都内の駅から徒歩数分らしい。ここからさほど離れていない。どうせ会社は数日休むつもりでいた。俺は迷う前に頷いていた。

『では、明日の午前十時に駅前でお待ちください。迎えに参りますので。……申し遅れました、私は島田と申します』

 思い出したように島田と名乗った男に、そういえばこちらも名乗っていなかったことに気づき慌てて名乗った。

 それから一言二言交わし、通話を終える。窓の向こうは雲が多くなってきたのか、空はどんよりと曇っていた。

 昨日までたいして接点の持ってこなかった同期に、どうしてここまで自分が動こうとしているのか分からない。分からないが、ずっとあいつの言葉が引っ掛かっていた。

 足元には脱ぎ捨ててぐしゃぐしゃになったスーツが落ちている。その姿があの日崩れ落ちた白崎のようで、俺はそれに手を伸ばして丁寧に畳んだ。



 その日の夜、白崎の夢を見た。

 夢の中でのあいつは綺麗な顔をしていて、俺の知っている白崎だった。

 白崎はいつかの新人研修の時のように座り込んでいて。そのすぐ傍まで近づくと綺麗な顔を上げて、きゅっと口角を上げて言った。


「秋成も、一緒だな」

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