8
気を失っていただけの自分は簡単な検査の末、その日のうちに退院した。病院の外を出ると日は高く、日付を確認するとあの日から一日経っていた。
ポケットに入れていたスマホは通知の一つもない。今日はまだ平日だ。会社から何の音沙汰もないそれに一瞬ひやりとしたが、よく考えれば警察も絡んでいたのだ。先程の畑瀬という刑事が会社に連絡したのかもしれない。
病院の外は知らない風景だったが、スマホの地図アプリを表示させると今いる場所は白崎を見つけたあの区画内だった。画面の端に川を表す水色が映っている。
それをなるべく視界に入れないように、俺は最寄りの駅に向かって歩き出した。
自宅に辿り着いた俺は、真っ先に会社に電話した。それから体調不良を理由に、しばらく休む旨を伝える。電話口の部長は渋るような態度を見せたが、さすがに自分の部署から人一人死んでいる状況だ、落ち着いたら早めに戻るようにと言って通話を切った。俺はソファにずるりと体を沈み込ませた。
これまで身近な人の死に触れたのはせいぜい碌に交流のない親戚の年寄りとかで、それももう棺桶に入って姿も見ないようなものだった。あんな間近で、知り合いの死に行く姿なんか知らない。チカチカと揺れる視界に目を瞑り、瞼の上に手を乗せる。皮膚が熱を持っているような気もしたが、単に自分の手が冷たいだけかもしれない。
そうしてしばらく横になっていたが、ふと気づいて重い体を起こす。
「着替え……」
身に着けているのは昨日の仕事帰りのまま、ヨレたスーツだ。ところどころ砂が付着し、いつもよりしわくちゃになっている。このままだと汚れもそうだが、気持ち的にも落ち着かない。
「捨てる……のは、さすがに勿体ないか。クリーニングに……ん?」
気分的にはあの光景が思い起こされて捨てたいところだが、新しく購入するのも痛い出費になる。綺麗になれば多少マシかと脱いでポケットなどを探っていたときだ。指にかさりと何かが触れる。
「これ、白崎の……」
取り出したのは一枚の紙切れ。その書かれている内容に記憶が掘り起こされる。
昨日、白崎のアパートに行ったときに机に置いてあったメモ書きだ。『近江 電話』と書かれたその下に携帯番号が記されている。
そういえば何か手掛かりになるかもと無意識に取っていたものだった。
「近江、近江ねぇ……」
繰り返してみるが、ピンとこない。少なくとも自分の知っている人物ではなさそうだった。白崎の交友関係は知らないが、会社の人間でもなさそうだ。
脱いだままのスーツをそのまま床に放り出し、ほぼ下着のままソファにどかりと腰を下ろす。ベランダに繋がる窓からは外が見えたが、薄いカーテンをしているため外からは目視できまい。そもそもここはマンションの四階だ。
しばらく手の中で紙切れをピラピラとひっくり返したり触ったりしていたが、太陽が一瞬雲に隠れて室内に影が出来たタイミングで俺はスマホを取り出した。
羅列する番号を打ち込み、耳に当てる。コール音が三回目を超えたあたりで繋がった。
『はい』
聞こえてきたのは少し低めの男性の声だった。
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