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きっかり十五時で上がった――上がらせられた――俺は、そのまま電車に乗って一時間ほどの知らない駅で下車し、渡された付箋に書かれた住所を頼りに見慣れない住宅街を歩いた。すぐそばを河川が通るその土地は微かに濁った水の臭いがしていた。
「これで仮病とかだったらマジで俺その場でキレそう」
スマホに表示させたルート案内と住宅を目で何度も往復させながら、知らず手に力が入る。毎日胃痛我慢してますというような顔で出社してくる白崎のことだ、とうとう嫌になって電話に出ないということもあり得る気がしていた。
ルート案内を終了しました。そんな機械音声に顔を上げれば、築数十年かと思うほどのボロい鉄骨アパートが目に入った。二階建てのそれは徐々に傾いていく太陽を背にして暗い影を落としている。二階に続く剥き出しの階段は鉄が錆びており、ところどころ剥げていて折れそうだった。人が住んでいそうな気配はあまりない。
何度か付箋とアパートの名称を確認して、目的の場所だということ再確認する。この時点で帰りたかった。
「金のない浪人生かよ……」
呆れと、自分でも何に対してか分からない苛立ちのような声色が漏れ出る。
拒否反応を出して重くなった足を無理矢理動かし、廃墟のようなそれに踏み出した。
幸いにも、白崎の部屋は一階だった。あの折れそうな階段を上らなくて済むだけで安心した。
通路を進み、奥の角部屋が白崎の部屋だ。経年劣化で色褪せた扉の横についている呼び鈴を押す。ピンポーンという甲高い音ではなく、ブーッというくぐもった音が響いた。
それから数秒待ってみるも、半ば予想していたように返事はない。中で何かが動くような気配も感じられないような気もした。
「おい、白崎。いないのか」
ドン! と扉を拳で打ち付ける。鈍い音がアパートに響き渡り、若干俺の手が痛くなったがそれでも返事は認められなかった。本当に不在なのか。
出かけたタイミングなのか、もしくは逃げたか。どちらにしろ苛立ちが募る。こっちは部長から『いなければ探せ』と言われているのだ。
何度か扉を叩いたが、静寂のみが返ってきた。それどころか、近所迷惑だろうと思われる騒音を出しているにもかかわらず他の部屋から誰かが顔を出すこともない。本当に誰も住んでいないのかもしれない。
「ふざけんなよ……」
苛立ちと共に、試しにドアノブを回す。するとそれはあまりにもあっさりと回り、ギィという軋み音を伴って口を開けた。
「なんだ……? 鍵開いてんのか?」
あまりにも普通に扉が開いてしまって、一瞬思考が止まる。募っていた苛立ちも山を崩したように低くなり、代わりに言い知れない不安が頭を
そのままゆっくりと扉を開ける。中を覗けば小さな三和土の先に細く短い廊下が伸びていて、すぐにガラス張りの扉が閉まっていた。その向こうがリビングのようだった。
部屋の鍵が開いているのは単に閉め忘れて出かけたか、それとも閉める前に慌てて室内に隠れたか。どちらにしろ確認が必要だった。
「……白崎、入るぞ」
最低限の良識から一応の断りを入れ、俺は室内に体を滑り込ませる。
獲物を待ち構えていた口が歯を鳴らして閉じるように、後ろ手に閉めた扉がガチャンと音を立てて閉じた。
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