仕方ないこと

1

秋成あきなり、ちょっと」

 朝のミーティングも終わり、各々が自らの仕事に手を付けだしてから一時間ほど。窓際の席を陣取る部長から名指しで手招きされた。

 それだけで面倒ごとだなと勘づいたが、ばっちり目も合っていて無視はできない。そもそも無視できる相手ではない。俺は悟られないように鼻から大きく溜息を吹き出して席を立った。

「なんでしょうか」

 部長の席の前に立つと、目の前の窓から暖かい日差しが体に当たる。ようやく夏が終わって秋が始まり、ちょうどいい気候に移り変わったところだ。目の前にいるのが片手に受話器持って眉間に皺寄せている昭和に取り残された頑固爺の部長でなければ、俺は真っ先に鞄持って早退しているところだ。

 部長は何度か受話器とメモを往復し、やがて受話器を置いて俺に目を向ける。

「お前、白崎しらさきと同期だったな。今日あいつ無断欠勤しているんだ。何か知らないか」

 構えていた面倒ごとの話が斜め上を通過し、俺は用意していた言葉を全て放り捨てることになった。無意識に後ろを振り返る。

 書類を持ってフロア内を行きかう者、電話対応をしている者、PCに向かってひたすら打ち込んでいる者。そこまでざっと目に入ったが、一席だけ鞄もない空席があった。白崎の席だ。俺は部長に視線を戻す。

「知らないですね」

「そうか……」

 部長はそういって大きな溜息を吐きながら、その脂ぎった体を椅子に沈みこませた。


 白崎は同じ年に入社した同期の中の一人だ。

 対人関係が苦手なのか、入社時からおどおどした性格だった。ひょろさとこじんまりした体躯も相俟って、同い年なのに年下に見えたりもした。

 他の同期達が辞めていく中、今ではあの時の新人は白崎と俺だけになった。

 立ち回りが上手い方だと自負している俺はまだしも、どうして白崎はまだ在籍しているのか分からなかった。毎日胃でも痛いのかと思うくらい顔色悪く出社するくらいなら退職すればいいのに。そう思っていても本人には何も言わなかったが、俺の案ずるところではない。

 彼とはそれくらいの付き合いだ。なんなら三年も一緒のフロアで働いていて、連絡先を交換したかどうかでさえ覚えていない。


「困るんだよなぁ、こういうの」

 部長の少し苛立ちを含んだ声に意識を戻される。彼は頬杖をついたまま机の上の書類にトントンと指を鳴らしていた。が、おもむろに顔を上げて俺を見る。面倒ごとの気配その二だ。

「秋成ぃ、お前今日十五時で上がれ。で、白崎ん家見てこい。いたら引っ張ってこい。いなかったら探してこい」

 これ住所な。そういって部長は付箋に書いた白崎の住所を机に滑らせる。俺は息を吸い込んだ。

 確かに残業もせず、しかも定時よりも随分と早い時間に上がれるのは褒美でしかない。けれどその分の溜まった仕事は誰が片付けるんだとか、勝手に作られた早退分の給料はどうなるんだとか、そもそも親しくもない同期って位置付けだけの奴のためにどうして俺がそこまでしなければいけないんだとか。思考が早送りのように駆け巡ったが――

「……わかりました」

 答えはそれ以外に求められていない。ぐっと詰まりそうになる喉からやっとのことでそれだけ絞り出し、俺は席に戻った。

 その場で『ふざけんなよクソジジイ!』と叫ばなかった自分を褒めてやりたかった。

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