11・黒狼

「ま、魔物!?」


 突然現れた黒い狼に気付き、ミアは俺の服の裾をぎゅっと握る。


黒狼こくろうか」


 エステルがぼそっと呟く。


 正式名称はブラック・ムーン・ウルフ。

 狼種の魔物の中で最強で、その強さはブレイドボアよりも勝る。


 俺たちを見下ろす黒狼は、強烈な威圧感を放ち、慣れていない者ならミアのように恐怖で体がすくんでしまうだろう。

 肌をピリピリと刺すような緊張感が、場を支配していた。


「わざわざ黒狼から出向いてくれて、光栄だ」


 しかし俺はビビらず、黒狼に語りかける。


『ふんっ。このような緻密な魔法を展開出来るというのに、驕らぬ小僧であるな。これほどまでに美味な食事を用意されれば、出向かなければ失礼というものを』

「そうだ! 隊長はすごいんだぞ!」

「エステルは黙ってて……」


 興奮気味のエステルを俺は抑える。


 黒狼が言う『美味な食事』というのは幻影の霧ではなく、俺たち自身のことであろう。

 他のウルフはともかく、黒狼には幻影の霧が効かないからな。


 だが、黒狼も霧の香りを察知することは出来る。


「アシュリーさんの狙いは、ウルフを一箇所に集めるのではなく、その……こくろう? さんを誘き寄せることだったんですか?」

「まあ、そういうことだな。ウルフを一体一体やっちゃ、キリがないという話はしただろ? だから親玉に出てきてもらおうと思っただけだ」


 黒狼は強いだけではなく、近辺のウルフを従える支配者の一面を持つ。

 俺の幻影の霧はいわば、黒狼に対する挑発だった。

 普通に呼び出しては、出てこないと思ったしな。


 そのことはあちらさんも気付いていたと思うが、誇り高き種である黒狼は挑発を無視出来ない。

 俺の企みに乗っかり、こうして姿を現したということである。


『このような回りくどい真似をして、どうして我を呼び出した? 我と戦うつもりか?』


 黒狼の殺気が膨れ上がる。

 ミアの口から「ひっ……」と小さな悲鳴が零れた。

 エステルも剣を握る力を強いものとする。


 しかし。


「俺はお前と戦うつもりはない」

『ほお?』

「お前と交渉したい。だから出てきてもらった」


 そう告げると、黒狼は「はっ!」笑い、こう口を動かした。


『交渉だと? 面白いことを言う! 我を前にして恐怖で震える者はいたが、対等に話し合う人間など初めて見た!』

「まあ……こっちも事情があってね。お前に持ちかける取引はただ一つ。俺たち人間と同盟を組んでほしい」

『なに?』


 黒狼の眉間がぴくりと動く。


「お前ら魔物も、食べるものに困っているんだろ?」

『…………』


 黒狼からの返事はない。

 俺は自分の考えが当たっていることを確信し、こう話を続ける。


「クロテアの土地ってのは、根本的になにかを育てるのには向いていない。森の中で、木の実やキノコを見つけるのも困難なはずだ。必然的に人間との奪い合いになるしな」


 クロテア村はまだいい。

 俺が作物がすくすく育つように改善したからだ。


 だが、村の外は?

 俺だって、そこまで手が回らない。


 黒狼はシモベであるウルフも食わせないといけない。結果的に必要になる食料も多くなってくる。

 クロテアでそれらを確保するのは困難だろう。


 ヤツらも同じ悩みを抱えていたのだ。


「だから最近、作物を収穫しだしたクロテア村に、ウルフがよく侵入してきてた。ヤツらは食べ物を求めて、やむを得ず人間に近付いた」

『ならば、どうだというのだ? 我らを憎むか?』

「ふっ。魔物だって、生きるのに必死なことは理解している。俺らだって身の危険を感じたら、魔物を殺すしな。憎む気持ちは……多少あるかもしれないが、それも自然の摂理だ」


 それに最近村に入り込んできたウルフたちは、人間たちを積極的に襲うことはなかった。

 これも黒狼の指示なのだろう。人間を傷つければ、全面戦争になる。それだけは避けなければならない……と。


「だから俺はお前らと共存したい」

『共存?』

「ああ。俺らはウルフ以外にも、人を襲う魔物に困っている。今日もブレイドボアに出会した。俺とエステルがいれば討伐は可能だが、人手が足りない。

 だからお前らに魔物の討伐を協力してほしい。その見返りに、俺たちは定期的に食料をお前らに差し出そう。どうだ?」


 人間の中で魔物と戦える者を増やすのが一番いいかもしれないが、それには時間がかかる。

 見捨てられた領地であるクロテアに、移住してくる者も、エステルみたいな人種を除いては皆無だろう。


 だから俺は本来、人類の敵であるはずの魔物を利用することにした。


『確かに……我らにとっても、利のある話だ』


 と黒狼は首肯する。


『食料に困っているというのも、否定出来ないしな』

「だったら……」

『しかし人間と協力するだと? 我が嫌だと言ったら、どうする?』

「その時は交渉決裂だ。俺は俺たちの生活を守るためにも、ここでお前を討つ」


 そう言うと、先ほどまで一旦なりを潜めていた黒狼の殺気が高まる。

 目が血走り、今にも襲いかかってきそうだ。


 しかし。



『ふっ……貴様の言葉、どうやら本気であるようだな』



 爆発しかけていた緊張感が、一瞬で緩和される。


『敵の実力くらいは分かる。我も勝てぬ相手に挑むほど、愚かではない』

「賢明な判断をしてくれて、助かる。戦いは嫌いだからな」

『賢明……というのは貴様に与える言葉だ。仲間であるウルフたちを貴様に殺されていれば、我も下に示しをつけるために、戦わなければならならなかった』


 そうなのだ。

 これが田んぼを荒らすウルフたちを、俺がわざと見逃していた理由。

 ウルフたちを殺していたら、黒狼はたとえ自分が負けると分かっていても、死に物狂いで俺と戦っていただろうから。


『よかろう』


 黒狼は瞳を穏やかなものにし。


『貴様の提案に乗ってやる。同盟だ。我らが村に近付く魔物を倒す。代わりに貴様らは、我らに食料を差し出せ』


 そう告げると、ようやくミアもこの場に流れる空気に慣れてきたのか、パッと表情を明るくした。


「アシュリーさん! やりましたね!」

「まさか黒狼との交渉を成立させるとは……隊長は数手先の未来をいつも見通しているのだな」


 エステルも驚いているようである。


「見通す……って、そんな大袈裟な話じゃない。交渉が成立するかどうかは、半々だと思っていたしな。戦いになる可能性も十分考えられた」


 しかし俺たちは賭けに勝った。


 魔物退治の人手が足りなくて困っていたところを、黒狼たちで賄うことが出来る。

 エステルも来てくれたことだし、村を囲う防壁については、ゆっくりと進めていけばいいだろう。


『まさか、我が人間と手を取り合う日がくるとは思っていなかった。人間の中にも、小僧のようなヤツがいるとは。大したものだ』

「お褒めいただき、ありがとう……って言いたいところだが、あまり期待はするなよ? 期待をかけられるのは、もう懲り懲りなんだ」


 宮廷魔導士の出世街道に乗りながらも、人間の悪意に晒され、異動になってしまった。

 今はこの生活もそう悪くないとは思っているが、人に期待だけはかけられたくなかった。

 トラウマになっているのかもしれない。


「じゃあ、これから頼む。お互い、ほどよくやっていこう。あっ、残業はなるべくなしな」

『ざん、ぎょう……?』


 俺の言ったことに、黒狼は首をひねった。


 心強い協力者が増えた。


 だが、これで問題が片付いたわけではない。


「あとは住民たちが黒狼やウルフを受け入れてくれるか、どうか……だな」


 味方といえ、なにせ住民を長年苦しませてきた魔物なのだ。

 無条件に魔物を怖がり、中には憎んでいる者もいるだろう。

 そんな人たちが黒狼たちへの抵抗をなくしてもらえなければ、真の解決とはいえない。



 ──しかし俺の懸念は、意外な形で解決するのであった。

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