第一章 喪失の夜に 1, 夜明けの一悶着
夜明け、突如として頭上から降ってきた小石により夢から覚めたシャル。その意味を悟った彼は眠気眼を擦りながら両親に気づかれぬよう、そっと家を抜け出していった。
「痛っ!」
額に走った鋭い痛みでシャルは目を覚ました。額をさすりつつ眠気眼で布団から起き上がり石造りの冷たく薄暗い部屋を見回すも特に変わった様子はない。気のせいかと思ったが額に触れていた指を擦るとほんのわずかに湿っている。更に指を近づけると鉄臭い匂いが鼻を抜けた。明らかに何かが額に当たり、少量だが出血したのだ。改めて周囲を見回すが額を傷つけたようなものは特に見当たらない。
(何だよ、一体…。)
腑に落ちない様子のシャルだったが夜明けまではまだ時間があるので再び眠りにつこうと思い、シャルは枕に頭を置いた。が、次の瞬間枕元に何かが勢いよく落ちてきた。驚きの余り布団から飛び起きたシャルは思わず天井を見上げる。しかし天井は近くにある明り取りの窓から入る柔らかな月明りに照らされているだけでこちらも特に変わった様子は無い。天井に異常が無いと分かったシャルは恐る恐る枕元に目を移し落ちてきたものを確かめることにした。彼が目にしたもの、それは何の変哲もないただの小石だった。更に布団の周囲をよく見ると枕の近くを中心に同じような石がいくつか転がっており、まるで誰かがシャルを起こすために何度も石を放り込んだかのようだ。
(こんな時間にこんなことをする馬鹿はあいつだけだ…)
そう思ったシャルは布団から這い出ると今度は明り取りの窓を見つめた。シャルの住むケハノ村では山から吹き降ろしてくる冷たい風を防ぐため夏の暑い時期以外は家の窓を全て閉めてから床につくのだが、春先のまだ寒い時期なのにもかかわらず明り取りの窓は大きく開け放たれていた。これでは石が当たらなくともその内吹き込んでくる冷風に嫌でも起こされていただろう。またこの窓は天井近くの高い位置にあるため滅多に開けることはなく、開閉には鉤付きの長い棒を使わなければならないが、そんな窓が開いているということは何者かが小石を部屋に投げ入れるためにわざわざ外から窓を開けたとしか考えられない。この事実からシャルは現在家の外にいる人物が誰であるか確信し、これ以上投石を喰らわぬように外出の支度を始めた。幸い両親はまだ寝ているようで隣の部屋から父親の派手ないびきが聞こえてくる。シャルは寝室から居間にでると両親を起こさぬように忍び足で玄関まで進み、玄関近くにかかった羊皮の外套を身に着けそろりと外に出た。
外に出た瞬間山から吹き降ろす冷たい風が、寝起きでまだ温まっていないシャルの全身を包んだ。日が出ていないハイラの山は極寒だ。今夜は満月のため、月明かりが黒い地面と、同じように黒い石で出来た村の家々を冷たく寂しげに照らしている。風にあおられた瞬間からシャルは、今すぐにでも踵を返して家に逃げ帰り暖かい布団に飛び込みたいと考えたが、安眠を妨げる「馬鹿」が外にいることを考えるとおちおち戻って眠りにつくことも出来なかった。寒さに震えながらも岩と小石の混じった地面を転ばぬように気を付けながら自分の部屋が位置している家の南側に回り込む。そして暗闇に目を凝らすと、確かに窓の下には何者かがおり、まだ部屋の中にシャルがいるものと勘違いしているのか今まさに新たな小石を投げ入れようとしていた。この様子を見たシャルはそいつに向かって、小さく、しかし鋭い声で話しかけた。
「おい、お前。何やってんだ」
声を聞いた人物は驚き、頭を少し垂れておずおずとした様子でこちらに近づいてきた。手には窓を開けた際に使ったであろう鉤付きの棒が握られている。しかしその人物は相手がシャルだと分かった瞬間、急にその態度を改め、砕けた調子で話しかけてきた。
「何だシャルかよ、脅かすんじゃねえぜ。俺はてっきり親父が起きてきたのかと…」
「その親父さんに言いつけてやってもいいんだぞ、ショウ」
「おいおいそれは勘弁してくれよ。今でもこんなことやっているってばれたら今回ばかりはお前を共犯に出来ないじゃねぇか。いたずらがばれんのは構いやしないが俺だけがゲンコツ食らうなんてお断りだぜ」
「気にするのはそこかよ…。全くほんとに呆れた奴だよ、お前は」
「へっへ。相変わらずシャル様は辛辣だねぇ」
ショウと呼ばれた青年は鼻の下を指で擦りながらいたずらっぽく笑った。背丈はキオと同じくらい、ぼさぼさとした黒髪と日に焼けた肌、子供のようなくりくりとした緑の瞳もシャルとよく似ている。二人ともまだあどけなさが残る十八歳の青年であった。
「で、こんな時間にこんな回りくどいやり方で人様を起こして何の用だ?お前のおかげでこっちは額を怪我したんだぜ」
額をさすりながらシャルがぼやく。
「そいつは悪かったな。だがこれ以外にお前を起こす手段が思いつかなくてよ。屋根によじ登って煙突から入る方法は俺が九つの時にやろうとしたがお前の親父にばれてこっぴどく叱られたしどのみちもうこの身体じゃ煙突には入れない。それに明り取りの窓ならこいつさえ使えば外からでも開けられるしな」
そう言ってショウは手に握っていた鍵付き棒を肩に担いでみせた。どうやらわざわざ自分の家から持ってきたらしい。
「いいから質問に答えてくれ…」
「へいへい。実はな、昨日の仕事終わりにちょっと行商の交易路を外れて山の中に入っていったんだよ。そしたらとんでもないものを見つけちまってさ。これは真っ先に親友のお前に見せてやらないとと思ってこんな朝っぱらに呼び出したんだ。本当は昨日直接お前に話したかったんだけど昨日お前仕事が終わってそうそう親父たちと集会所に入っちまったからよ」
「あぁ。今日の昼頃に東ノ国(ルウ・ゼン)から大行商が来るのはお前も知っているだろ。何でも数百人規模の商隊みたいで干し魚や綿、そして火豆を大量に積んでいるからこいつら交易品の交渉や湯浴み場の動かし方の段取りを皆で話し合っていたんだ」
「あぁ勿論知っているさ。数百人ってのは初耳だがな。そんなにでかい商隊がくるのは久しぶりだな。だが俺が見つけたものはそんなものよりもずっとすげぇぜ」
自信満々な顔で話すショウの顔を見てシャルは段々と嫌な予感がしてきた。この顔をした時のショウに付き合って、父親や村の男達に仕置きとして喰らった鉄拳制裁の数は計り知れない。
「まさかお前、わざわざ俺を起こしたのはそれを今から見に行こうって気じゃ…」
「あぁ、そのまさかだ」
シャルは思わず頭を抱えた。火山活動が活発なこの付近では行商が用いる交易路を少しでも外れれば、毒を吹く噴気孔が多数存在する危険な場所で、山を良く知るケハノの村人でも滅多なことが無い限り近づかない。そんな場所で見つけたものなんてどんな代物であれきっとろくなものではない。というか何でこいつは次の日に大仕事が控えていると分かった上でそんな命知らずなまねをしたのだろうか…。
「ダメだ。絶対にダメだ。少なくとも今からは無理だ。第一今日は大仕事があるっていうのにそんな危ないとこには行けないし行かせられない」
シャルは毅然とした態度でショウの申し出を断る。
「おいおい。何だよまた仕事かよ、しらけるぜ。確かに安全な道からはだいぶ逸れているが、少なくとも昨日行った時には噴気孔も殆ど大人しかったし問題は無いぜ。それにもし大人たちにばれたってきっと大したことない。今まで通り痛いのを一発お見舞いされればそれで済む話さ。あんま気張るなよ」
寝起きで機嫌が優れなかったせいもあるのだろう。シャルはショウのこの態度が無性に癪に障り、思わずまくし立てるようにショウを責め立てた。
「お前俺の立場を分かって言っているのか。まだ寝ぼけていて頭に血が回ってないってなら今はっきりと言ってやる。今日は俺にとって本当に大事な日なんだ。今日湯浴み場を上手くやればきっと親父は今以上に俺のことを認めてくれる。もしかしたら行商との交渉もやらせてくれるかもしれない。そうなれば一人前までもうすぐなんだよ!」
「お、おい落ち着けよ。皆起きちまうぜ…」
しかしショウの言葉に耳を傾けることなくシャルは続けた。
「そんな大事な仕事の日にお前に付き合ったせいで怪我でもして大事な仕事を不意にしたってなったら父さんや母さんはどんな顔をするか。ゲンコツで済むならまだましだ。俺はもうお前のお遊びに付き合っていられるような立場じゃないんだよ!それはお前も十分わかっているだろ!」
「……。」
ショウの罰が悪そうな顔を見て、シャルはついきつい物言いをしてしまったことに気づいた。どうしようもないやつだが今の彼にとってショウは肩の力を抜いて話が出来る数少ない友人なのだ。
「ご、ごめん。つい頭に来て…」
「いや、いいんだ。お前の言うとおりだ。もう分別はつけたはずなのにこんなことに誘った俺が悪かった。すまない」
「…」
「…」
互いに気まずい沈黙が流れる。そうこうしている内に東の空が白み始め、周囲が明るくなってきた。もうすぐ夜明けだ。
「…っと。もう夜明けだ。今日は忙しくなんだろ?きっともう皆起き出すぜ。ばれない内に家に戻ろう」
「あ、あぁ」
気まずい雰囲気から逃れるようにショウはこう言うと自分の家に足早に去っていった。シャルはそんな彼の背中を眺めつつ、心の中で今しがた自分がショウに向かって投げた言葉を思い返し深く反省した。
「すまないショウ。お前なりに俺のことを気遣ってくれているのに…」
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