3, 修行の始まり

「ほら、さっさと起きなさい!」

辺りがまだ暗い早朝、気持ちよく眠っていたシャルはいきなりチェナに叩き起こされた。布団から引きずり出され、眠気眼の間に乱雑に布団を畳まれる。

「ちょっ…もうちょっと手心ってものを…」

「甘ったれたこと言ってるんじゃないわよ!穏やかな時間は昨日まで!ここに来た以上これからは修行の日々よ!」

手心などとは正反対の、問答無用といった態度のチェナにされるがままシャルは家から叩き出された。

「修行、だって…?」

「そうよ」

そう言いながら自分も家から出てきたチェナは、既に旅の間に来ていた朱色の服に着替えていた。

「シャルが灰の風と戦うことを選んだ以上、おちおちしている時間はこれっぽちもない。奴らと渡り合える力を一刻でも早く身に着ける必要があるわ。あんたも、私もね。さぁ、ついてきて」

足早に歩き出したチェナの後ろをシャルは慌てて追いかける。チェナとユウの家は里の中でも高い場所に位置しておりすぐ後ろの山を背にして建っていた。二人はその背後の山に続く細い道を進んで行く。山に入って直ぐ、甘い香りが強くシャルの鼻を通り抜けた。薄暗い中良く目を凝らすと、幹が太い木々の周りには竹で作られた器が括り付けられており、その少し上にある樹皮の傷からゆっくり、ゆっくりと透明の樹液が染み出るように器に滴り落ちているのが分かった。あれがトゥラグの木なのだろう。

そんな山道を進んで数分、二人は森の中にぽっかりと出来た広い空間に出た。恐らくかつてここに立っていた木が倒れて出来た空間なのだろう、日の光を遮る枝と草が無いお陰でそこは他の場所に比べて下草が繁茂していた。そこに着いて直ぐ、二人は空間の中心辺りで刀を素振りする一人の男がいることに気付いた。

「セシムさん?」

二人に気付いたセシムは

「おや、二人とも早いな」

と足元に刀を置きこちらに歩いて来た。

「すまないな、朝はこうやって刀を振るうのが習慣でね。人の目に届かない場所を探してここに来たのだが、邪魔だったかな?」

少し申し訳なさそうにしながらセシムは額の汗を拭う。その汗の量と、火照った全身を見る限り二人がここに来るずっと前から彼はこうして体を動かしていたようだ。

「いえ。ただ、私達もここに用事があって来たので」

「用事、というのは」

「修行です」

「ほう…」

その言葉を聞き、セシムは目を細める。

「その修行というのは、もしや地導使い独自のものなのかな?」

「はい、そうです」

「そうか…。もし君が良かったら私にもその修行を付けてくれては貰えないだろうか?」

思いもよらないその言葉にチェナは「え?」と聞き返す。

「実は私が地導を得てからわが師は地導使いとしての武術を教えてくれることを約束してくれていたのだが、最近は重臣としての役目が多忙を極めているようで中々その時間が取れずにいてな。だからこうして師の里に訪れた以上それを教わる機会が無いかと思っていたのだが…」

セシムのその言葉を聞き、チェナは直ぐに無邪気な笑顔を見せた。

「勿論です!お師匠様にはとても及びませんが、私で良ければ幾らでもお教えします!」

「そうか。ありがとう」

そしてセシムは当然かのようにシャルの横に並ぶ。

「よろしく頼むよ、シャル君」

自分がすやすや眠っている間にも彼は体を鍛えていただけでなく、自分よりも年が下の者にも全く躊躇う事無く教えを受けることを望む。彼が武人として如何に優れているかをここでも理解したシャルは寝ぼけている場合では無いと、気を引き締める。

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

二人の準備が整ったことを確かめたチェナは

「それじゃ、始めますね」

と告げる。

「まずシャル。前に伝えた、自分で地導を纏う方法。あれはまだ出来るかしら?」

「うん」

シャルは片手をぐっと伸ばし、そこに意識を集中させる。すると直ぐにその腕全体が温かくなり、それに伴ったゆらぎがまた彼の腕を包む。

「うん、問題ないみたいね。セシムさん、貴方もシャルがやったように出来ますか?」

「あぁ」

セシムもシャルと同じように腕を突き出し、そこに意識を向ける。その数秒後、シャルよりも少ないが確かにセシムの腕にも地導が纏わり始めた。

(やっぱり、シャルの纏う揺らぎは強い。それに体から地導を引き出す感覚は明らかにセシムさんよりもシャルのほうが身についている…)

二人を見てそう思ったチェナだったがそれを彼らに伝えることなく、彼女は次の段階に進む。

「二人ともありがとう。これから教えることは地導の纏い方やそれを応用した体の動き。ただ、それらの初動には必ず今やった動作が来ることを念頭にしておいて下さい」

そしてチェナは二人と同じように片腕を突き出す。

「先ず教えるのは『流纏』(るてん)と呼ばれる地導の使い方…」

チェナの突き出された腕に地導が現れる。その後にチェナは意識を集中させるかのようにぎゅっと強く目をつむる。その瞬間、彼女の纏う地導が急にとても薄くなる。と思った次の瞬間には腕の周囲が歪んで見える程の強い揺らぎが彼女の腕を包む。そしてその直ぐ後には再び弱い揺らぎに変化する…。寄せる波のように、彼女は自身に纏う地導の強弱を自在に操っていたのだ。その緩急を二人はじっと見つめていた。

「これが『流纏』。体に地導を纏わせ続けつつ、その強さを好きに変えることが出来る方法よ。まずはこれを二人に身に着けてもらうわ。それじゃ、二人とももう一度地導を出して」

その指示の下、シャルとセシムは再度腕に地導を纏う。

「流纏を身に着ける一番の近道は、呼吸を意識すること。体に空気を入れる時に強く意識を集中させ、反対にその吸い込んだ空気を吐き出す瞬間にその意識をゆっくりと解く。それを繰り返すことで地導の強弱を操ることが出来るようになるわ」

シャルは言われた通りに地導を纏ったまま深呼吸をして甘い香りが漂う森の空気を肺一杯に吸い込む。それと同時に腕にも更に意識を向けるが…

(う~ん…)

その手応えの無さにシャルは心の中で唸る。呼吸と共に意識を変化させても彼が纏う地導はその強さを増すことは無かった。

「シャルは呼吸に集中し過ぎね。でも、いいわ。そのまま息を吐きつつ腕の力をそっと抜いてみて」

「分かった」

シャルは息を長く吐きつつそれに伴って腕に向けた意識をゆっくりと慎重に散らす。すると腕の火照りが徐々に薄れ、同時に自身が纏う地導も薄らいでいく。

「そう、その調子…」

「ごほっ!げほっ…!」

しかしチェナの指摘通り、呼吸に集中し過ぎていたシャルは息を吐き切っても尚無理に肺を絞ったせいで息苦しくなり、思わずむせてしまった。その瞬間、彼の地導もすっと消える。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫…」

咳を交えながら苦しそうにそう答えるシャル。

「それじゃあセシムさん、貴方もお願いします」

シャルの呼吸が整うよりも先に、チェナはセシムに対しても同じことをするように求める。

「分かった」

セシムは目を強く瞑り、突き出した腕の拳を硬く握りながら深く長い呼吸を繰り返す。しかしそれを幾ら続けても彼の纏う地導は強くなることも、弱くなることも無かった。それでも尚彼は表情を変えずに呼吸を続ける。

「えっと、セシムさん。申し訳ないのですが…一度止めて頂いてもよろしいですか…?」

その真剣な表情に水を差すことに躊躇いが生じたのか、チェナはセシムに恐る恐るそう訊ねた。それを聞いたセシムは直ちに目を開き、無言で纏う地導を消す。

「すまない。どうも私も要領を得ないようだ」

少し悔しそうに腕を降ろすセシム。それを横で見ていたシャルは密かに胸を撫で下ろした。如何に帝の腕と言えど、未知の力を直ぐに扱うことは容易ではないようだ。その意味では自分も彼も同じ地平に立つ人間であるのだ、と。

「セシムさんは逆に地導を纏った箇所に意識を向け過ぎですね。呼吸と地導、その両方に均等に意識を向けないと、流纏は出来ません。こればかりは慣れと練習あるのみです。それじゃ、もう一度」

数十分後、そこには再び苦しそうに息を漏らすシャルと、難しい顔で自分の腕をじっと見つめるセシムがいた。

「はぁ…駄目だ。出来ない…」

「……」

チェナの助言を受けてもなお、両名上手くはいかないようだ。

「…一度休憩しましょう」

その様子を見かねたチェナは二人に休息を促す。

「ごめんなさい、始める前にこの流纏がどういう風に役に立つか、先に二人に教えておくべきだったわ。その方が鍛錬にも身が入るだろうし」

そう言ったチェナはその場に座る二人から少し離れると、広場を囲う木から二本の枝を折り、それを手に二人のもとに戻って来た。チェナが持ってきた枝は、一本は細い末端の枝で、もう一本は幹の付近から伸びていた、太い枝であった。チェナはその内の細いほうをシャルに投げて寄こす。

「さて、シャル。ここに二本の枝があるわよね?この枝をこうやってしならせて…」

そう言いながらチェナは自身の持つ太い枝にぐっと力を入れて押し曲げる。シャルもそれを真似て渡された枝を曲げる。細い分、彼の持つ枝は簡単にしならせることが出来た。

「…そう。それじゃ、シャルに質問。この状態にある二つの枝のしなりを解いた時、より強い力で跳ね返るのはどっちの枝?」

「そんなの太い方に決まっているじゃないか」

当たり前だろう、と言った感じでシャルは答える。

「そう、その通りね。太い枝のほうが丈夫で硬く、曲げる力が必要な分、それが元に戻るときの力はより強くなる…」

チェナは枝を曲げていた手をぱっと放す。その瞬間に枝は勢いよく跳ね戻り、その衝撃で先端に残っていた葉がバサッという音を立てる。

「そして、これと同じことを私達の身体で再現する。それが流纏を身に着ける意味よ」

「…それってどういう意味?」

シャルには彼女が言わんとしていることが全く理解出来なかった。チェナはそんなことお構いなしに自身の右足をひょいと上げ、自身の踵付近を指で指し示した。

「私達の踵の上、ここには人間が持っている中で最も太い腱がある。これが伸び縮みをすることで私達は歩いたり、走ったり、跳んだりといった動作を可能にしているわ。そしてその動作はこの腱が生み出す力が大きい程力強くなるの」

そう言いながらチェナは両足の腱に地導を弱く纏わせる。次にチェナはその場にゆっくりとしゃがみ込みつつ、流纏を用いて腱に纏う地導を次第に強くしてゆく。

「今、私の腱は地導の力によって普段よりもずっと硬く、それでいて人体としての柔らかさとしなやかさも保った、言うならばさっきの曲げられた太い枝と同じ状態。そして溜め込まれた力を解放することで…」

チェナはそこから勢いよく飛び上がり、見事な後ろ宙返りを披露して見せる。だが二人が目を見開いたのはその滑らかな動作では無く、凄まじい跳躍力の高さであった。弧を描いて飛び上がったチェナは全身をシャルの目線の高さまで瞬時に浮き上がらせ、尚且つ大の男が大股で五~六歩程は進めるであろう距離を一瞬で稼いで後ろに飛び退いたのだ。

その人間離れした動きを、シャルとセシムは呆気に取られて見ていた。

「…これが『俊駆』(しゅんく)と呼ばれる動きよ」

着地後にほっ、と小さく息を吐いた後、二人から離れたままチェナは語り始める。

「腱を硬くし、地を蹴る力を飛躍的に高めることで地導使いは真人間では決してたどり着けない脚力を発揮することが出来る。そしてシャル、あんたさっき地導使いの戦いで重要なのは瞬発力だと言ったわよね?」

「うん…」

そう返答した途端チェナは片足を下げて深く踏み込み、両足の腱にもう一度地導を纏う。そして次の瞬間、チェナは地面を強く蹴り凄まじい速度で一気にシャルの懐に飛び込んで来た。

「うわっ!」

思わず後ろにのけぞるシャル。対しチェナは彼の懐に潜り込んだ後、彼の目の前に拳を勢いよく突き出した。

「この俊駆はその瞬発を極限にまで引き出してくれるわ。これが使えるようになれば今私がやったみたいに相手の間合いの外まで瞬時に逃げることも、逆に相手が反応するよりも早く間合いを詰めて速度と体重を乗せた一撃を叩き込むことも出来る。相手が弓矢を始めとした飛び道具を持っていたとしても、この速度で地を駆ける人間にそれを当てられる者はそういないわ」

チェナはそこで一度拳を解きすっとシャルから数歩離れる。

「この俊駆を習得するには流纏を完璧にした上で、腱を徐々に硬くする感覚を身に着け、そしてその硬い腱を引き伸ばすことが出来るだけの強靭な筋肉をも獲得しなければならないわ。とても一筋縄でいくものではないけど、もう分かっているように、灰の風は殺しの達人。死合いの経験が無いシャルは地導使いとしての利点を最大限に用いなければどうやったって奴らには敵わない。だから私達には時間が無いって言っているの。分かった?」

俊駆の高速移動を目の当たりにし、地導が如何に人智を超えた力であるかを再認識したシャルは無言で首を縦に振る。それを見たチェナは満足げに

「それは良かったわ」

とシャルに微笑む。

「しかし、そのような高速の移動が出来るというのなら単純に相手との間合い詰め以外にも活用が効くのではないか?」

それをシャルの横で見ていたセシムが、俊駆の可能性に言及する。

「おっしゃる通りです。俊駆はただ素早く移動するだけの技ではない。折角の機会です、それについても今ここでお見せしましょう」

そう言うとチェナは足をほぐすかのようにその場で何回か軽く飛び跳ねると、自分達がいる、木に囲まれた空間を見回す。三人が立つ空き地はそこだけ日光が良く差すお陰で下草以外にも若い木が何本か生え始めていた。そしてチェナはそのうちの一本に目を付ける。

「…あれくらいなら私でも出来るかな」

その木を見ながら少し自信なさげにそう呟いたチェナは二人を一瞥すると

「見ていて下さいね」

と短く告げる。二人が固唾を飲んで見守る中、チェナは目を付けた木をじっと見据え呼吸を整える。

「はっ…!」

短く鋭い息を吐いた後、チェナはその若木に向かって俊駆を使って突進する。木と彼女の距離があと三、四歩程に近づいた瞬間、チェナは俊駆の速度を保ったまま自身の胸位の高さの位置まで飛び上がった。それと同時に彼女は空中で両足を持ち上げつつその両足をしゃがむように折り畳み、そして跳び蹴りの要領で勢いよく若木の幹を蹴りつける―


メキメキメキッ!という音が辺りに響き渡る。チェナの蹴りを受けた若木は彼女の一撃を受け止め押し返すのではなく、蹴りを受けた部分から真っ二つにへし折れ、倒された。折られた先の枝葉がバサッ、と地面に落ちると同時にチェナも体を着地させる。しかし蹴りに体の勢いを全て使った関係で、空中で体勢を整える力も無く、彼女は尻からどしんと不格好に地面に降りた。

『…!!』

その刹那の光景に、シャルは勿論セシムでさえもただ絶句していた。無理もない、チェナが折った若木の幹は細いとはいえそれでも男のふくらはぎ程の太さがあった。チェナは鋸による切り口さえもついてないその太さの幹をただ一瞬の蹴りの力だけで叩き折ったのだ。

「いたた…」

そんな二人をよそに、チェナは自分の尻を擦りながらのそっと立ち上がる。

「えっと、今見せた蹴りが地導使いの大技、その名も『穿禽』よ」

「せん…もう…?」

やっと口を開いたシャルがその技の名を復唱する。

「そう。俊駆を使って対象に接近し、そして俊駆を使った猛禽のような跳び蹴りを見舞う。高速での接近によって速度と重さが乗った蹴りに人の限界を超えた腱の力を合わせることでその威力は極限にまで高まる。正確に叩き込める技量があれば人間の背骨程度なら簡単にへし折れるし、鎧を着込んだ者に対しても致命傷を与えられるわ。跳びながら蹴る関係で急所の集中する上半身に攻撃できるのも強力よ」

「す、すごい…!」

俊駆ですら既に常軌を逸したものであったのに、更にその上を行く技を見せられ、シャルは驚きと共に目を輝かせていた。男子たるもの、見事な体技や剣技に魅せられるのは至極当然のことだ。

「まぁ、でも」

身体に付いた細かい土を払いながらチェナは続ける。

「正直に言ってこの穿禽を使える機会はそう多くない。俊駆を使うとはいえ体を浮かせなければいけない分一撃が届くのは遅いし、万一にでも外してしまえば蹴りに全力をかけることが災いして多大な隙を晒すことになる。そもそも普通の人間に対するにはこの威力は過剰だわ。自分よりも何倍も大きい大敵に対するなら有効かもしれないけどそれはもう人ではないだろうし」

粗方土を除いたチェナは改めて二人に向き直る。

「とにかく、今の二人には最初の流纏を習得するところから。朝食の時間になるまでひとまず練習あるのみです!」


温かい陽の光が差し込む中、シャルはチェナに見守られながら森の空き地の中で胡坐をかき、流纏の練習をしていた。その近くには数日前にチェナにへし折られ、既に葉が萎れて茶色くなっている若木の幹が転がっている。

「すぅ…はぁ…」

ゆっくりとした呼吸を自然に続けながら、シャルは地導を纏う両腕に意識を集中する。

(呼吸と一緒に、でも呼吸に意識を向け過ぎないように…)

心の中でチェナに言われたことを唱え、シャルは深呼吸と共に腕にぐっと力を入れる。すると纏う揺らぎが明らかに強くなり、腕の周りの景色が歪み始めた。

(まだだ…次…)

今度は溜め込んだ息を吐き出し、それに合わせて溜めた力を抜く。すると肺から空気が抜けてゆくのとほぼ同じ速さで揺らぎが薄れ始め、やがてとても弱弱しいものになる。

「……出来ているわ。完璧よ」

チェナのその言葉を受け、ここまで続けてきた中で初めて、しかし確かに掴んだその感覚を、シャルは地導を纏ったまま噛み締めていた。

(これが流纏…まるで湯が蛇みたいに体を這っているかのような、でも全く悪い気はしない、何だか不思議な感覚だ)

「先ずは一山超えたわね、お疲れ様。次に移る前に少し休憩しましょ。もう地導を解いてもいいわよ」

シャルは腕の地導を消し、ぴんと伸ばしていた背筋の力を抜く。

「はぁ、やっと出来た…」

シャルは安堵感からそのまま背後に倒れ込み、大の字で草の上で寝転がる。

「まぁ、あんたにしちゃ苦戦してたわね」

「うん」

「どうやら『地導の使者』さんにも苦手なことがあるみたいね?」

チェナがシャルを皮肉っぽく揶揄う。ただそれは決して嫌味なものではなく、チェナがシャルを等身大の友人として接している証であった。それを分かっているシャルも

「うるせいやい」

と口を尖らせるだけだ。

そうして暫く二人で談笑していると

「やぁ、二人共」

という掛け声と共に両手に古い木刀を二本持ったセシムがこちらに歩いて来た。

「セシムさん。僕も流纏、出来るようになりましたよ!」

貴方に追いつきましたよと言わんばかりにシャルが開口一番それを告げる。

「そうか。流石だな」

「へへへ…」

思わずはにかむシャル。共に学ぶ仲とはいえ、帝の腕に褒められるというのは彼にとって今まで得ることの出来ないことだった。

「セシムさん。その木刀…」

一方のチェナはセシムが握るそれらを指す。

「あぁ。ユウさんに頼んで、君達の家の奥にあったものを引っ張り出してきてもらった。…不味かったかな?」

「あ、いえ、そんなことはありません。ただ何でわざわざそんなものを、と思って」

「なに、私もこのままただ教えを受けるだけでは悪いと思ってね」

セシムはくすんだ木刀の一本をシャルに渡す。

「シャル君、灰の風に立ち向かう同志として、私からも君に武術を教えよう。さぁ、これを受け取りなさい」

低い声で同志と呼ばれ、シャルの身体に喜びと、それ以上の緊張が駆け巡る。

「はい…!よろしくお願いします!」

渡された木刀をシャルはぐっと握る。その古い木刀は特に柄の部分に使い込まれた形跡があり、ところどころに黒い染みが滲んでいた。シャルが木刀を手に取ったことを確かめたセシムは数歩後ろに下がり、自身の持つ木刀を構えながらシャルと向かい合う。

「とはいっても、一から手取り足取り教えている時間は無い。少々手厳しくいくぞ、覚悟はいいか?」

「喰らいつきます」

「良い答えだ」

力強くそう返したシャルに、セシムは微笑を浮かべる。

「私が教えることは極単純だ。シャル君、君はその木刀で私に斬りかかってきなさい。そして一撃でも私に当てることが出来れば、それで私の教えは終わりだ」

「…分かりました」

相手は東ノ国の皇帝、その直属の精鋭だ。一撃を入れると言ってもとても簡単に進むものではないことはシャルにも分かっていた。

(まともに挑んでも絶対に敵わない。けど、こんな機会そう滅多にない。ここは全力でいかないと…!)

覚悟を決めたシャルはぐっとセシムを見据え、木刀を構えると、一直線にセシムに向かって行った。一方のセシムはその場から一歩も動かない。

(このまま…!)

セシムが動かないことを良いことに、シャルはそのままの勢いでセシムに突きを当てようとする。


カンッ、という短い音が響く。

「え…?」

シャルが気が付いた時には、彼の手から木刀は弾き跳ばれていた。そして無防備になった彼の額にセシムの木刀の切っ先が軽く押し当てられる。

「シャル君、確かに私は一撃を入られればそれで良いと言った。だが、私が反撃を加えないとは一言も言っていないぞ?まさか、ただ一方的に刀を振らせてもらえると、そう思っていたのか?」

「ぐっ…!まだです…!」

図星を突かれたシャルは慌てて弾き飛ばされた木刀を拾い、再びセシムと対峙する。


数十分後、そこにはボロボロになったシャルが地面に転がっていた。セシムの教えはその言葉通り、とても厳しいものだった。シャルは彼に一撃を加えるどころか、彼の間合いにすら入れてもらえず、最初のように刀を奪われたり、振り抜きざまに胴や腕、頭を打たれたりして一方的に叩きのめされていた。

「はぁ…はぁ…」

肩で息をするシャル。体力ももう限界寸前だった。その様子を、チャナが後ろのほうで頬杖を退屈そうに眺めている。

「一方的過ぎてつまんないわよ、シャル」

「見世物で…やってるんじゃ…ないんだけど…」

息も絶え絶えになりながら、やっとの思いでシャルは立ち上がる。剣の技術も何もなく、ただ勢い任せに立ち向かうしかないシャルがセシムに敵う道理など無いことはシャル自身が一番良く分かっていたことだったが、それでも彼の心は既に折れかかっていた。

「ご苦労だ、シャル君。これ以上はもういい」

何食わぬ顔でそう告げてきたセシムに対しシャルは

「はい…ありがとうございました…」

と力なく告げる。

「そう気を落とすな。今までケハノで剣や殺し合いなどと無縁に生きてきた君が私に喰らいつけるなどと思ってはいない。だが成長には己の現状を知ることが何より。今の模擬戦はその為のものだ」

「…自分が遠く及ばないことが良く分かりました」

「そうだろう。その自覚があれば十分だ」

セシムはシャルの代わりに彼が使っていた木刀を拾うと、今度はそれをチェナに渡した。

「チェナ君、今度は君が私の相手になってくれ」

「え、私がですか?」

突然の願い出に、チェナは目をぱちくりさせる。

「そうだ。君ほどの実力者なら流石の私でも苦戦は免れないだろう。それに真剣勝負以外で帝の腕とやり合える機会など、そう無いぞ?」

その一言で、チェナの闘争心に火が灯る。

「臨むところです」

「本気で来い」

互いに刀を構える二人。そしていざ模擬戦を始める前、セシムはシャルにこう告げた。

「シャル君。『学ぶ』、ということは『真似ぶ』ということだ。何かを習得しようとする時、先ずは自分よりも実力のある者の動きや所作を自分で見て、聞いて、そして真似ることから全ては始まる。君は私とチェナの戦いを良く見ておきなさい。そして少しでも盗めるものがあればそれを切り出し、自分のものとする努力をするんだ。分かったね?」

「はい…!」

彼の教えの本質を理解したシャルは真剣な表情で向かい合う二人を見つめる。そして素早くセシムに斬りかかっていったチェナと、それを素早く迎撃するセシムの二本の刀がぶつかる音が辺りに響いた―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る