3, 破られた掟と「償いの者達」

ユウに連れられ、一同は集落の最奥にある建物を訪れた。集落の中で最も大きいであろうそれには唯一扉が存在し、更に粗雑ではあるが風化して崩れた場所が修復されており、辛うじて人が住んでも問題の無さそうな建築物であった。外にスイたちを留め、シャル達は軋む扉を開け、その中に入る。埃っぽい室内はかつて集会所か何かに用いられていたことを伺わせる長細い間取りになっており、最奥にはその広い間取りに相応しい大きな暖炉と、その前には反対に広い間取りに不釣り合いな一人用の机と椅子がぽつんと置かれていた。机の上には筆と紙、薄汚れた皿が雑に置かれている。

「叔父さん、だらしないわ…」

机の上のそれを見て、チェナが口を尖らせる。

「すまないね…。この見た目然り、ずっと一人で暮らしていると奇麗にしようとする気概すら起きなくなってしまうもので…」

「一人で暮らしている?」

「そうだ。前に言ったように私は訳あってここで暮らしているんだ。…さぁ、待たせたね。ついに来たよ、全てを話す時が」

そしてユウは部屋の隅から箒を持ち出してくると周囲の埃を丁寧に払い

「皆が座れる分の腰掛はないものでね。座布団も無いが、良ければここに座ってくれ」

と皆に腰を下ろすように促す。

「私もよろしいですか?」

そう訊ねるセシムに

「勿論です。あなたにも地導使いとして今から話すことを知っておいてもらいたい」

と答える。皆が座ったことを確かめたユウは再び部屋の隅から一つの巻物を持ち出してきて、皆の前に広げて見せる。

「さて、シャル君。先ずはこれを君に読んでもらいたい。ここに書かれていることは里で受け継がれてきている、重要な掟だ」

「掟…」

その巻物にはこんなことが書かれていた。


・地導の力とは何か?地導の力は女神の力なり。

・では地導に選ばれし者は何者か?地導に選ばれし者は母なる女神の子なり。

・では母なる女神が己の子に望むことは何か?人々を清浄に導き、女神が作りしこの大地や山々を永久に守ることなり。

・では母なる女神が己の子に望まぬことは何か?自らの力に溺れ、導くべき者を虐げることなり。

・では最後に、己の子として最も忌避すべきことは何か?子同士で争い、殺し合うことなり。これを行えば女神は悲しみ、やがてその悲しみを怒りに変え、そしてその怒りを深紅の罰に変え、この大地と山々を飲み込んでしまうだろう。


「地導に選ばれた人間は女神の子として見なされ、それと同時にここに書かれている掟に縛られることになる。そして、注目して欲しいのは最後の掟」

「地導使い同士で殺し合えば、女神が罰を与える…」

最後に刻まれたそれをシャルは凝視する。他の掟が抽象的な内容の中、「殺し合う」という物騒で、かつ具体的な文言が記されていることもあり最後の掟だけは他のそれと比較してかなり浮いていた。

「その通り。そしてね、私やチェナが何度か言及している『地導の使者』という人、その者は決して破ってはいけない最後の掟に反した地導使いなんだ」

「…!!」



「その人の名は、ハルと言ったそうだ」

暗い部屋の中で、ユウは語り始める。

「今からもう九十年程前、ちょうど東ノ国が建国されてから十年が経った時、ハルは地導の里、つまり今私達がいるこの場所に生まれた。優しく、朗らかな性格の他は至って平凡な少年であったそうだが、彼の運命を変えたのは彼が十二の時に臨んだ試しの儀だった。君が知っての通り、故は分からないがハルは全身から煮えたぎる七色の泉に落ちた。もし女神に選ばれなければそのまま全身を茹で上げられ、死に至っていただろう。しかし皆の心配とはよそにハルは無傷で泉から這い出て来て、既にその体には周囲の景色を歪める程の強い地導が纏わりついていたという。そして、彼が地導に選ばれてから皆が彼を見る目は大きく変わった。泉に落ちたハルには強い地導の他、女神に選ばれる才を持つ者を見分ける力が備わっていてね…」

「それもチェナに教えて貰いました。才能を持つ人間に触れるとその触れた場所が温かくなるとか」

「その通りだ。最初はそれを疑っていた大人達も毎年の試しの儀の度にハルが選ばれる子供を悉く言い当てるせいでその力が本物であると信じ始めた。そしてそれが助けにもなったのだろう、これまでは控えめな性分であったハルは一転して積極性を増し、政や勉学、武術といった様々なものを進んで吸収していった。それに加え、元来の優しい性格も相まってハルは自分の主張を持ちつつも、相手の考えもしっかりと尊重出来る、賢く聡明な青年に育っていったそうだ。そんな彼を見た者達は次第に彼を『地導の使者』と呼ぶようになったという」

「でも、そんな人が何故掟を?」

「それはね、彼を変えるもう一つの出来事があったんだ」

そこでユウは一呼吸を置く。

「当時の東ノ国は知っての通り、西ノ国により虐げられ、そこに住む民達の暮らしは酷いものだった。そしてハルが十八を迎えた時、彼は初めて東ノ国を訪れ、そしてその惨状を見て、愕然したんだ。都とされる都市ですら、瘦せ細った浮浪者のような住民で溢れかえり、絶望に満ちた顔をしている。更に時折西ノ国から派遣されてきたと思われる役人の怒号と鞭を討つ音が聞こえる。そんなものを見て、若く、聡明で、故に正義に溢れるハルが何もしない訳が無かった。ハルは急いで里に帰り、当時の長老に東ノ国を救う為に里を出たいことを伝えた。ハルの事をとても気に入っていた長老はこれを快諾し、そしてハルは何のあても助けも無い状態で里を飛び出し、東ノ国の為に奮闘したそうだ。それから五年という月日が経ち…」

ユウの話を、シャルは食い入るように聞いていた。元よりムイの語りを自分から聞きにいっていたこともあり、このような話は彼にとって興味の対象でしか無かった。

「ある夏の日、ハルは突然里に帰って来た。その時のハルは全身を黒く日焼けし、あちこちに傷を作り、栄養失調気味で今にも死にそうな状態だった。そしてそんなハルを懸命に支える一人の美しい女性が彼の隣に立っていたという。その女性を一目見て里の者達は皆驚愕したそうだ。何故ならその人はハルの妻を自称した上にその身に地導を宿し、おまけにその瞳は誰も見たことも聞いたことも無い、藍色をしていたからだ」

「藍色の、瞳?」

「そう。一方のハルは里に着くや否や倒れ、瀕死の状態から里の人々やその妻の必死の看病を受けて奇跡的な回復を遂げたという。そして目を覚ましたハルは、自分がまだ生きていることを確かめると、ニコッと笑い開口一番、『これでいい。これで東ノ国は救われるはずだ』と口走ったそうだ」

「ハルは五年の間、一体何をしていたんですか?」

「…分からない。ハルは自分の口からそれを話すことは決して無かったという。だが、ハルのその発言以降、東ノ国は本当に食糧難を克服し始めた。そしてその要因は他でも無い火豆の発見と、その栽培だ」

「つまり、ハルが火豆を見つけ、それを東ノ国にもたらした…?」

「恐らくは、そうだ。そして彼の妻。名は残念ながら残っていないのだが、ハルは火豆を発見したその地で、きっと彼女にも出会ったのだろう。いずれにせよ、ハルは有言実行、その手で本当に東ノ国を救ったんだろう」

シャルの全身に鳥肌が立つ。火豆は不思議な小舟に載せられた状態で突如として東ノ国の海岸に流れ着いた。それ以上のことは何一つ分かっておらず、それを確かめる為の調査もとっくに打ち切られている。しかしその火豆をもたらしたであろう人物が、かつて自分が今いる場所に存在していた。その事実は彼を興奮させるには十分過ぎた。そしてそれはセシムも同様なようだ。

「…驚きました。その話が真なら、ハルという若者がいなければ今の東ノ国は存在していないことになる…」

「それで、その後はどうなったんですか!?」

「まあ落ち着くんだ。…悲劇の物語はここからだ」

ユウの表情が、そこで陰る。

「ハルが帰って来てからの数年間、ハルは妻と里で仲睦まじく暮らしていたという。その女性も地導使いであることと瞳の色が異なることを除いては至って普通の人で、特に怪しい言動もしないため次第に里の人達も彼女を受け入れたそうだ。そうしているうちに、その人はハルの子を身籠った。だが、ハルとその人の子が生まれたその年、とある情報がハルの耳に入った。西ノ国が東ノ国を侵攻しようとしている、と」

「え…」

「それ以降、ハル達の様子は変わってしまった。彼の妻は出産直後から体調が優れない日々が続き、しまいには生まれたばかりの我が子を抱く力もなく寝たきりの状態になってしまった。そしてハルはそんな妻と生まれた子、救ったはずの東ノ国に再び危機が訪れようとしているという事実の板挟みで葛藤するような言動が多くなり、次第にやつれていっていった。そしてある日…寝たきりだった彼の妻が忽然として里から姿を消した。残されたハルに里の者達は彼女の行方を問いただしたが、ハルは我が子を優しく抱きながら涙を流し、『すまない、許してくれ』と呟くだけだった」

「奥さんは一体どこに?」

「分からない。分からないんだ。彼女は自分の生まれや家族のこと、どこでどうやってハルと出会ったかどうかといったことを一切話すことは無かったという。ただ、ハルの妻が姿を消してから変わったことが一つだけある。突然西ノ国の米が不作続きになった、ということだ…少し冷えて来たな。チェナ、悪いが暖炉に火を入れてきてもらえないか?」

「分かったわ」

チェナは立ち上がり、最奥の暖炉にすたすたと歩いてゆく。

「すまない、話を続けようか。妻がいなくなった後、ハルは男手一つで一生懸命に我が子を育てた。幸か不幸か、米の大規模な不作が続くようになってから東ノ国侵攻の話は聞かなくなり、彼も子育てに専念することが出来た。彼の妻が失踪してから三年の間、だけは」

暖炉のほうからチェナが薪をくべる音が響き始める。

「ハルの子が三つになった時、彼の耳に再度、西ノ国の侵攻の話が届けられた。当時の西ノ国皇帝は東ノ国侵攻に異常な程に執着していたのは君も知っているだろう?」

「はい」

「恐らく当時の皇帝は自国が食糧危機という東ノ国と同じ困難に直面し、それを解決出来ないことに強い苛立ちと危機感を持っていたのだろう。しかしその感情は刻一刻と悪くなっていく状況のせいでもつれにもつれ、そして最終的に戦争という最も非合理的な決断をしてしまった。まぁ、これはあくまで私の推測だがね」

薪をくべ終わったのか、今度はチェナが火打石を打つ音が大部屋に響きだす。

「再度侵攻の話を聞いたハルは、子を連れて最も親しかった友人の家に向かった。そして思い詰めた顔でその友人に我が子を預け、自分は直ぐに家を飛び出していったそうだ。彼のその顔から、何かを察したその友人は急いで長老にハルのことを話した」

火打ちの音が消え、暖炉から仄かな明かりが漏れ始める。

「長老は急いで里を飛び出していったハルを追いかけ、そして彼に追いついた。ハルが何をしようとしているか直ぐに理解した長老は必死に彼を止めようとした。しかし彼はそれを聞き入れようとはしなかった。家族というかけがえのないものを手にしても、ハルの東ノ国を愛する気持ちは失われてはいなかった。だが、その愛は悲しいことにかつての、相手の意見も尊重出来る美しい青年の姿を悉く消し去ってしまっていた。そして一向に話が進まないことに苛立ちを覚えた長老は、決してしてはならない脅迫をしてしまう。このまま留まらなければハルの子の命は無いと彼に伝えたんだ」

「そんな…」

「可愛さ余って憎さ百倍、といったところだろう。長老はハルの聡明さや、彼の能力のお陰で女神に選ばれずに手を爛れさせる子供がいなくなったこともあって本当にハルを大切に思っていた。だから、彼に人殺しという穢れた真似をどうしてもさせたくなかったんだろう。でも、その脅迫をしてしまった瞬間、全てが狂いだした。子を人質に取られたことに憤ったハルはその勢いのまま長老に駆け寄り、そして、長老をその手にかけた。あろうことか女神の住まう地とされているハイラの山の中でね」

パチパチ、と火が弾け始める。

「当時の里の決まりでは長老は女神に選ばれた者、つまり地導使いだけがなれるものとされていて、当然ハルが殺したその長老も地導使いであった。ここで初めて、決して犯してはいけない最後の掟が破られたんだ」

「……」

「ハルは直ぐに自分が犯した愚行に気付いた。だが、もう彼は進むしかなかった。己で定めた、その穢れた道に。彼が西ノ国の皇帝を殺した、という明確な記述は残されてはいない。二代目皇帝の死は未だに多くの謎が残されているからね。しかし、恐らくはハルが実行したのだろう。皇帝殺しを」

そこでシャルは思わず語り手のユウから目を逸らしてしまう。

「…辛いかい?」

シャルにユウが優しく声をかける。しかしその声は毅然としていたもので、そこで語りを中断しようとする意図は一切無かった。

「大丈夫です。続けて下さい…」

「分かった。長老の亡骸を目にし、ハルが彼を殺したことに気付いた里の者達は恐れおののいた。最後の掟を破れば女神からの罰が与えられる。里の者達は初めてその事実を前にして混乱と動揺の中、一つの結論に至った。皆で里を捨てた上で一部が山に残り、ハルの罪を懺悔すれば、もしかしたら罰を止められるかもしれない、と。一部の者はハルの行いに憤ったが、多くの者は掟を破ったハルの気持ちを慮り、進んで山に残ることを望んだ。それだけハルの人格は優れ、皆から慕われていたんだ。結局、その志願者達の中から地導使いだけが山に残ることになった。女神の子供として選ばれた人間が懺悔すればその効果も高まると思ったんだろうね。そして、山を降りる者達は草ノ大陸のハイラの両腕、今の里がある場所に拠点を移し、山に残った者達は地導を二度と使わず、また山を降りた者達と二度と交流しないことを誓った上で、新たな拠点を築き始めた」

「まさか…その拠点って」

「そう。察しの通り、君の生まれ故郷であるケハノ村だ。ケハノ村は、表向きは山を越える者達の湯場を提供する憩いの場。でも、その本当の目的は『償いの者達』に作られたいわば懺悔の場所だ。今の君の村にも、きっとその名残が残っているはずだよ」


「なにかの罪人みたいだ」

「何かの罪人みてぇじゃねぇか」


あの日石碑を見てショウと笑い合っていた場面がシャルの脳内にありありと蘇る。全てが繋がった。あの石碑にあのようなことが彫られていたことも、毎朝行っていた石碑に対する祈りも、地導使いがケハノ村を訪れてはいけないのも、全てが一直線になった。

「でも、彼らのその努力も結局は女神の罰を完全に止めることは出来なかった。君も知っての通り、ケハノ村の開発が始まってから一年後、ハイラの山で起きた火山活動によりケハノ村の人間の多くが亡くなった」

「火山活動が、女神の罰…?」

「『炎槌』、と私達はそう呼んでいる」

メラメラと盛んに燃え出した暖炉の火を確かめたユウは続ける。

「掟には『怒りを深紅の罰に変え、この大地と山々を飲み込んでしまうだろう』とある。ハイラから噴き出す灼熱の溶岩。それが女神の罰の正体だ。だが、もし彼らの存在が無ければきっと掟の通り、山から噴き出す溶岩が大地と山々を飲み込み、全てを燃やし尽くしていたのだろう。君の先祖達はその身を犠牲にして、ハルが起こした罰を抑えたんだ」

知らぬ間に手が震えていることに彼は気付く。それは明かされた故郷の衝撃の過去を飲み込み切れていない証左であった。

「その罰から逃れることの出来た者達は皆悟った。『これで女神の怒りは収まった』、と。そして再び女神の罰を再び起こさぬよう、彼らは里を捨てた時の誓いを守り続けた。即ち地導を完全に捨てるために自分達の子供にその存在を一切教えることなく、交易の一端を支える湯場を管理する者達だと徹底的に教え込んだ。そうして出来上がったのが、今のケハノ村だ」

「その後、ハルと彼の子はどうなったんですか…」

乾いた声でシャルは訊ねる。

「ハルのその後の行方についても、一切分かっていないんだ。彼が里を去ってからの軌跡を記したものは何一つ現存していない。彼の子に関しても同様で、里が分断した時、子供は全て山を降りたらしいから彼の子供も同様に山を離れたとは思うが…」

そこでシャルはまだ繋がっていない一つの要素があることに気が付いた。そうだ、群青の軽業師。

「あの、ユウさん。あなたは『群青の軽業師』という存在を知っていますか?」

「あぁ。行商達がまことしやかに話すあれだね。噂程度には聞いたことがあるよ。でも、それが一体?」

「チェナから聞いていたかもしれないですけど、実は僕はその群青の軽業師だと思われる人によって泉に落とされたんです」

「えっ、そうなのかい…?」

シャルから放たれたその真実に、ユウは目をぱちくりさせる。

「そうなんです。僕はその人に触れられた時、そこだけが不自然に温かくなりました。その直後に僕は泉に落ちて、そして」

「そして地導を得た、と。それは、知らなかったな…。チェナ、どうして話してくれなかったんだい?」

にっこり笑いながらユウはチェナを見る。ユウのその笑顔はどうやら誰かを咎める際に出るものらしい。不自然な程の笑顔を向けられたチャナは慌てた顔で目線を逸らす。

「えっと、それは…。なんというか、ちょっと現実離れしすぎた話だから、叔父さんに信じては貰えないかな~、と」

「その判断は残念ながら間違いだね。仮に私が信じなかったとしても、彼の話してくれたことはしっかりありのまま伝えるべきだ。チェナのその判断はシャルの信頼を損ねかねない、違うかな?」

「はい、ごめんなさい…」

ユウに詰められ、チェナは直ぐに頭を下げる。こんなチェナの姿を見るのは初めてだ。

「さて、話を戻そう。それじゃあ、君を地導に誘ったその人が、ハルなのだと考えているんだね?」

「それに近しい人物なのではないかと思います」

「う~ん…。何とも言えないなぁ、君の話だけじゃ情報が無さすぎるし。それに君の疑問を否定するようで悪いが、この話の本質はハルの行方じゃない」

ユウは笑顔を消し、シャルを見る。

「シャル君。私は今この話をあくまで悲劇として君に伝えた。しかし、物事というのは単純に一つの物差しで測ることは出来ない。ハルの行為は確かに里から見れば決して許せないものだが、彼の行為を東ノ国から見れば、どう思う?」

「ハルは二度も国を救った、言わば英雄のような存在?」

「その通り。いずれにせよハル、いや、かつての地導の使者はこの大地に存在する二つの国の在り方を大きく変えた。そしてその地導の使者と同じ特徴を持つ、かつて地導を捨てた償いの民達の血を引く青年が今ここに居て、おまけにその両国を揺るがしかねない危機が迫っている…」

シャルはユウの言わんとしている事に気付き、生唾を飲み込む。

「これが必然だとするのなら、もしかしたら再び歴史が大きく動こうとしていて、その鍵となるかもしれない存在が君かもしれないんだ。地導の使者。その一挙手一投足は、ともすれば良くも悪くも不安定になり始めたこの世界を変えてしまう程の大きな歩みになり得るのかもしれない。君は、その可能性を、その重荷を背負った上で、それでも前に進めるかい?」

ユウの言葉の本質をシャルはしっかりと理解していた。かつてハルが起こした悲劇、それを再び招きかねない存在が自分であるかもしれないことをユウは危惧しているのだ。あの夜チェナがシャルにひどく怯えていたのも、それと同じ理由だろう。


君はきっと自分自身がとても恐ろしい存在に思えてしまうだろう。


数日前、ユウが言っていたことが現実になる。シャルはユウにそう問われ、急に自分が得体のしれない何かに思えて来た。ハルだって、望んで掟を破った訳でない。自分の守りたいものの為に奮闘し、しかしそれが周り回って彼を誤った道に進ませてしまったのだ。そんな過ちを、かつての地導の使者と同じ轍を、自分は踏んでしまうかもしれない。そしてその代償は炎槌という名のこの大地とそこに生きる者達を巻き込んだ恐ろしい罰だ。その罰を自分は引き起こしてしまうかもしれない。そうなればいったい自分は―

「止めて、叔父さん」

不意にチェナに手を握られ、シャルは無意識に頬を赤く染める。

「この前も言ったはずよ。シャルはハルじゃない。例えシャルがかつての地導の使者と同じ存在だったとしても、シャルが女神の罰を招く存在だと判断するのは早急が過ぎるわ。それにシャルの言う通り、ハルは今の東ノ国を作った英雄そのもの。シャルが地導の使者だとするなら、ハルがかつてそうしたみたいな正の変化を起こせる可能性がきっと彼にもある」

「チェナ…」

「何より、シャルには私がいる。シャルが間違った方向に行こうとするなら、必ず私が引き戻してみせる。炎槌なんて決して起こさせはしないわ。だから、お願い。叔父さんもシャルを信じて。どうか、彼の望む道を進ませてあげて」

自分の手を強く握りながらそう訴えるチェナを、シャルはじっと見つめる。ユウに救い出され、互いに腹を割って話したあの日以降、チェナはより一層キオに寄り添おうとしてくれていた。

「それに…」

だがそんなチェナは突然いたずらっぽく微笑むと、ぱっとシャルの手を放し、その手を素早く彼の額に近づけると中指を丸めてその額を強く弾いた。

「痛ったぁ!」

その痛みにシャルは思わず弾かれたところを両手で抑える。

「今のシャルに人を殺すどころか火種を打ち倒すなんて大それたこと、出来る訳ないわ。叔父さんもそれは分かるでしょう?」

「な、なんだとぅ…」

チェナに小馬鹿にされ、シャルはつい彼女に食って掛かろうと身構える。しかし、その隙にシャルはその額にもう一度痛い指弾きをお見舞いされてしまう。

「痛った…!」

再び大袈裟に額を抑えるシャル。その始終を見ていたユウは何故か鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたがやがていつもの穏やかな笑みを浮かべる。

「…そうか。チェナがそこまで言うのなら、これ以上私から言う事は何もない。キオ君、私の姪は少々お転婆が過ぎるからな。君が彼女の御守りになってくれたら、私も嬉しいよ」

「ちょ、叔父さん、それはどういう…!?」

「だって、今みたいな言葉で訴えかけた直後に突然一撃を入れるなんて、普通は考えられないだろ?彼の気を紛らわせるにも、他に方法があるだろうに」

「お、叔父さん…!そういうのは口に出さないものでしょう…!?」

「ふふっ」

そんなやり取りの中、それまでほぼ無言でユウの話を聞いていたシモンが唐突に口を開く。

「すまない。水を差すようで悪いが、ここに書かれた掟に従うのなら我々は一体どうやって火種を止めればいいのだ?」

その言葉に一同、沈黙する。

「…そうでしたね。そのことにも、触れておかなくては」

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