第六章 明かされる歴史  1, 決意の火を再び宿して

「達者でな、シャル。村は任せたぜ」

「ショウこそ頑張れよ。お前ならいずれこの国一の石工職人になれるさ」

村人達が見守る中、村の入り口で二人の若者が互いの将来を案じている。一人は故郷の村長として村を守る為に。もう一人は故郷を離れ、己の才能を磨く為に。いずれも極めて健全で平和的な未来への道であった。

「それじゃあ、行って来るぜ!」

朝日に包まれながら青年は村を背にして山を下ってゆく。その姿を残された青年は清々しくもどこか寂しい顔で見つめていた。

「寂しくなるのぉ、シャルよ」

不意に青年の背後にいた小さな老人が彼に話しかけた。

「えぇ、そうですね。でも、分かっていたことです。いつかあいつがこの村に帰って来た時の為にもこの村を守り、栄えさせていく。それが俺の役目です」

「ほっほ。これは頼もしい言葉じゃ」

「はっは、その通りだ。期待しているぞ、息子!」

老人と同じく青年の後ろで旅立ちを見守っていた大柄の男が大きな声で笑い、そしてその勢いのまま青年の頭をわしゃわしゃと撫でる。

「ちょ、止めてくれよ父さん…!恥ずかしいじゃないか…」

少年は思わずはにかむ。ずっと父と共にこの村で生活していたはずなのに、その感触は何だかとても懐かしい感じだ。

「なに、俺がこうしてお前の頭を撫でるのもこれが最後だ。…負けるなよ、シャル」

「え、それはどういう…」

父の声が急に深刻そうなものに変わり、シャルは急いで父の顔を見ようとする。しかしその直後、日の光が辺りを眩く、そして真白に包み、シャルは父やムイじいさんを含めた村人達の姿が見えなくなる。



「父さん…!」

父を呼びながらシャルは飛び起きた。だがそこに父は勿論、ムイや村人の姿は無く、彼が目を覚ました場所も彼の故郷などでは無かった。

「ここは…」

さyるが目覚めた場所、それは彼が見慣れた黒い岩肌が広がるオリス山脈の山腹であった。ただし今回はチェナに拾われた時とは違い、沈む夕日がもの寂しげに辺りを照らしている。

「起きたかい」

不意に穏やかな声で話しかけられ、声のした方を向く。しかし先程全身を何度も強打していたシャルはその拍子に上半身に強い痛みが走り、思わずうずくまる。

「あぁ、すまなかった。君の傷が一番ひどいことを忘れていたよ。ほら、無理をせずゆっくりと起き上がるんだ。出来るかい?」

声の主は変わらず穏やかな口調でシャルの傍に寄り、そしてゆっくりと彼の横にしゃがみ込んだ。その声に従い、シャルは痛みを抑えるように体にかけられた麻布をどかしつつ上半身を起こす。

「…あなたは?」

シャルの横に控えた声の主は無精ひげを生やし、ぼさぼさの髪をした中年の男だった。身に着ける衣服もあちこちが汚れ、一見すると浮浪者のような風貌であったが、長く伸びた前髪の向こうから覗く瞳はとても優しい光を灯していた。

「私はユウ。君と共に旅をしてきたチャナの叔父だ」

「チェナの…叔父さん…?」

そこでシャルはユウの背後にある二つの気配に気づいた。彼の後ろには火が焚かれており、それを囲うようにセシムとチェナが座っていた。チェナはキオが目を覚ました事に気付くと顔を上げ、一瞬だけ安堵したような表情を見せたが直ぐに顔を曇らせ、再び顔を落として焚火をじっと見つめ始めた。一方セシムはシャルの方をちらりと一瞥しただけで眉間に皺を寄せた顔の前で指を組み、岩のように微動だにせず火を見つけている。

「それでは、あなたが僕達を助けてくれたのですね…」

「そうだ。何はともあれ無事に目を覚まして本当に良かった。君も疲れただろう。少し待っていてくれ、今食事を…」

そう言いかけたユウはしかし、シャルがゆっくりと立ち上がろうとしたのを見て

「無理に動かなくて良い。君はこのまま横になっていなさい」

と優しく語り掛ける。しかしシャルは

「…すみません。少し、一人にしてもらっていいですか?」

と抑揚の無い声で告げると、ぎこちない動作で立ち上がり少し離れた、低い場所にある大きな岩に向かってとぼとぼと歩き始める。それを止めようとユウはシャルに手を伸ばしかけたが、何かを悟ったユウはその手を引っこめ、代わりに

「…あまり離れるんじゃないよ」

と静かに告げる。シャルはありがとうございます、とか細い声で礼を言うと変わらず岩に向かって歩いてゆく。その様子をチェナはじっと見ていた。


数十分後、チェナが食事を持ってシャルが姿を消した岩の傍を訪れると、シャルは子供の様に膝を折り畳んで小さく座り、沈む夕日を見つけながら、右の掌を自分の頭に乗せていた。その奇妙な体勢に小首を傾げつつもチェナは食事をのった皿を傾斜の緩い所を見つけて置き、自分はシャルの直ぐ傍に座る。しかしシャルは顔の一つも動かさず、その体勢も崩さない。

「…叔父さんが冷めちゃうからって、ほら」

チェナは遠慮気味に皿を差し出す。皿には薄く伸ばして焼いたタハの上にラオンと呼ばれる羊肉と火豆の煮物を乗せ、それを細く巻いたものがのせられていた。断られると思って遠慮気味に差し出したチェナだったが、彼女たちに迷惑だと思ったのか、シャルは無言でそれを受け取ると、ゆっくりと口に運んだ。

「叔父さんの得意料理よ。美味しいでしょ?」

火豆と共に煮込んだ羊肉は肉の食感を残しつつもほろほろと柔らかく、香辛料を入れてあるせいか食欲を刺激する程よい辛みがあった。火豆も豆の形を残したまま煮込んである為に食べ応えがあり、それを肉とタハと共に食べることでシャルの空きっ腹はどんどん満たされていった。だが、胃が満たされていく度に、これまで必死に堪えていた感情が反対にどんどんと溢れてきてしまう。

「ぐっ…うぅ…」

知らずの内に零れて来た涙を抑える為に、シャルは残っていた料理を全て強引に口に押し込む。しかしそんなことをしたところで一度外に出た涙をせき止めることは出来なかった。シャルは大きく咀嚼しながらそれを隠すかのようにぐっと下を向いた。顔を下ろしたことで瞳から溢れ出る涙は滝のように彼の足の間に流れ落ちる。

(俺は、また人の前で涙を…!)

大きく喉を鳴らしタハとラオンを無理矢理喉に押し込んだその時、肩に温かい感触を感じ、シャルはビクッと体を震わせる。

「顔を上げて」

これまで聞いたことないようなチェナの優しい声が耳に届き、シャルは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりかけた顔を上げる。しかしチェナはその顔を見ても笑うことなく、何故かどこか懐かしいような表情でキオを見つめていた。

「チェナ、顔が…」

起きたばかりでは遠目にいたせいで気が付かなかったが、チェナの顎には先程タルシュに一撃を入れられたせいで、大きな痣が出来ていただけでなく、その右頬には大きな切り傷が刻まれていた。二回目にゼラが放った矢が掠めたせいだろう。

「さっき叔父さんが言っていたけど、私、あいつらに負けちゃってね。この痣はその時にやられたの。でも、こっちの傷は良く分からない…」

それを聞いた途端シャルの涙をせき止めていたものの全てが壊れる。

「ごめんなさい…!全部、全部俺のせいだ…!」

大粒の涙を流し、シャルはチェナの目も憚らず大声で抱えていたものを吐露し始める。

「こんなことになるなら、俺のせいでチェナが傷つくなら、あんな半端な覚悟なんて見せちゃいけなかったんだ…!」

「半端な覚悟って、宮殿で私に話してくれたこと…?」

情緒が崩壊したシャルに対し、チェナは驚くような素振りは一切見せず、彼の肩に手を乗せ続ける。

「あぁそうさ!結局俺に皆の無念を背負って戦う力なんて無かった…!それなのに強がって皆と別れたせいでこうして泣き喚いている…!俺は、愚図で、情けない、半端者なんだ…!だから、俺は何も出来ずにただ…あぁ…!」

そこでシャルは力尽きるように項垂れ、静かに嗚咽を漏らし始める。シャルは心の中で確信していた。宮殿で父やムイの亡骸を見たあの時、自分はそれを見てチェナと共に進む覚悟が出来ていた、と勘違いしていたことを。本当は親しい人間の死に直面して心の整理が追い付いていないだけであったことを。

「シャル」

肩を震わせるシャルに対し、チェナは静かに語り始める。

「私が気を失っている間に何があったのかは分からないけど、これだけは言わせて。貴方がそんなに負い目を感じる必要は無い。シャルが連れ去られたのは全て私のせい。シャルのせいじゃないわ」

うずくまるシャルの肩の震えが一瞬止まる。

「それに宮殿で話してくれたこと。あれはあの時のシャルが自分の心に真っすぐ従って出した答え。半端なものなんかじゃ決してない」

「そんな訳、ないじゃないか…!」

絞り出すような声と共にシャルは再び嗚咽を漏らし始める。自己嫌悪の底に陥った今の彼に何を言っても、返って彼を傷つけてしまう。そう悟ったチェナは彼の肩から手を放し、何か葛藤するような表情を見せたがやがて意を決し再びシャルに語り掛ける。

「シャル。これを話して今のあなたの為になるかは分からない。でも、こんなになるまで抱えたものを吐き出してくれたんだから、私も何も話さない訳にはいかない。そのままで良いから聞いてちょうだい。私もね、今のシャルみたいに殺してやりたいくらい無力感に打ちひしがれたことがあった。それも、シャルと同じ理由でね」

それを聞いた途端、シャルは思わず顔を上げ、夕日に照らされた彼女の横顔を見る。

「私もね、家族を灰の風に殺されているの」

「…え?」

そう告げたチェナの顔は不自然な程穏やかであった。


「ちょうど私が七つの時だった。あの時は灰の風が最も力を持っていた時で西ノ国の交易は滅茶苦茶になっていた。そのせいで私達の里も物資不足に陥っていて、そんな時に運悪く私の母が病気に罹ってしまったの。元々体が弱い人だったから病気に罹ること自体はそこまで珍しいことじゃなかったんだけど、その時里では薬が無くてまともに治療してあげることも出来なかった。そのせいで母は少しずつ衰弱していって、都で医者に診てもらわなければならないことは明白だった。だから私達は危険を承知の上で西ノ国の都まで母を連れて行ったの。幸い西ノ国の都には何の問題も無く着いたんだけど、物資不足なのは都も変わらなかったみたいで西ノ国でも十分な治療を受けることは叶わなかった。でも、そこで私達は都から東ノ国に向けて大商隊が出ることを知った。それには灰の風対策として騎馬兵が護衛に付くこともあって、私達はこれと一緒に東ノ国に行ってそこで改めて治療を受けることに決めた。病気の母に山越えは酷だけど、西ノ国である程度治療を受けたお陰で何とかなりそうって状況だった。だけど、それは大きな間違いだった」

そこでチェナは先程までの穏やかな表情から一変、険しい表情を見せる。

「シャルも知っているかもしれないけど、後に東西両国合同による風狩りのきっかけになったと言われる程、この商隊は護衛の騎馬兵もろとも灰の風とその傘下の盗賊達に完膚なきまでに壊滅させられた。まだ幼いから山越えは危ないからと私だけは一緒に都に来ていた叔父さんと一緒に都に残ったんだけど、母と一緒だった父と、私の兄は…」

「ま、待ってよ。チェナの家族は地導の里の人間だろ?なら…」

チェナは静かに首を横に振る。

「あの場で地導が使えた、つまり女神に選ばれた人間は兄だけだった。でも私の兄、名前はアルっていうんだけど、兄さんは争い事が大の苦手で花や野菜を育てるのが好きな穏やかな人だった。だから地導に選ばれた後も体を鍛えたり武術を学んだりすることは皆無だったわ。だから…」

チェナはそこで言葉を噤んだ。以前ゴウが彼の友人とその家族と共に商隊に参加したことで人生を破壊されたと言っていたが、よもやチャナも同じ人間だったとは。

「だから、結局私の家族は誰一人帰って来なかった。皆の訃報を聞いてから、どれだけの涙を流したか分からないわ。でもどれだけ泣いても私の心が癒えることは無かった。そうして心を枯らしきった私は、一つの結論にたどり着いたの」

チェナは右拳を握り、それに地導を纏う。タルシュとの戦闘で封印されていたそれは既に復活していたようだ。

「私の手で皆の仇討ちをしてやればいいってね。それ以降私は憑りつかれたように体を鍛え、武術を学び始めたわ。周りの人達も、そうしていればせめて私の心も紛れるのだろうと思ってかそれを無理に止めようとしなかった。実際私自身も体を動かして汗をかいたり、身体を鍛えて少しずつ肉体が強くなっていくのを実感したりしている間は辛いことを忘れられていた。だけど」

そこでチェナは右腕を下ろすと共に纏う地導を消す。

「私が九つの時、灰の風は風狩りによって滅ぼされた。私が手を下すまでもなく、ね。私の心はその時完全に空っぽになってしまった。そこから試しの儀に望むまでの三年間どうやって生きて来たか、正直あまり覚えていないけど、一度自分で命を絶とうとして皆に嫌と言う程叱られたことだけは覚えてるわ」

「……」

淡々と語られる彼女の壮絶な過去にシャルは涙を引っこめ、聞き入ってしまっていた。チェナは自分よりもずっと幼い時に父親だけでなく、家族全員を殺され、その心を埋める為に己を鍛えていたのだ。心の傷の度合いを測り比べる、というのは無意味なことではあるが、幼いチェナが受けた衝撃というのは今のシャルよりもきっと大きかったはずだ。

「そんな私を救ってくれたのは、儀式に望み、女神に選ばれたという事実だったわ。何だか女神様に『あなたはまだこの世に必要な人間よ』って言われた気がしてね。実際、生きていた良かった。お陰であの時叶えられなかった想いを果たせるかもしれない。あの時とは違って今の私には地導もある。でも、私は負けちゃった。まさか灰の風、その頭領が地導使いだなんて、本当に信じられないわ。でも、それ以上に私は弱かった。これまで地導に頼り切っていた私の力では血と殺しと直ぐ傍で生きている奴らに遠く及ばなかった」

そこでチェナは体を九十度回し、シャルに正面から向き合う。

「私ね、シャルが王宮で一緒に行きたいって言ってくれて、嬉しかった。理由はどうあれ、仇討ち、復讐なんて所詮は暗いもの。だけどあの時のシャルの言葉は私の人生の大きな部分を占めてきたそれを肯定してくれた。同じ思いをしたからこそ分かる、上っ面だけじゃない、本当の肯定。だから、あの時の言葉は決して半端なものじゃないし、シャルは自分の決めた道を歩む強さがあるわ。シャルがどう思おうと、私はそう信じ続ける」

シャルは久しぶりに胸の内から熱いものが込み上げてくるのを感じた。

「それなのに、弱い私はシャルを、自分の未熟さを認めて、危険を知った上でそれでもついてきてくれた貴方を守れなかった。シャルだけじゃない、私ももっと強くならなくちゃいけない。だから、お願い。どうか私と一緒にこのまま歩んで欲しい。シャルが私を必要としてくれたように、私もシャルに傍にいて欲しい」

少しわざとらしい笑顔でチェナはすっとシャルに手を差し伸べた。それは、誓いの握手を促すものだった。それを悟ったシャルは残った涙を擦り取り、無理矢理笑顔を作るとゆっくりと細い彼女の手を握る。

「…ありがとう、チェナ。俺、前に進める気がするよ」

「うん、良かった」

交わされたその誓いは、その時初めて、二人が真の意味で心を通わせた証であった

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