再会編
第37話 頭の良し悪しはテストで決まんないっしょ
大変お待たせしました。投稿再開します。この章は7話の予定です。
また、カクヨムコンは受賞には至りませんでしたが、読者選考を突破することができました。応援いただいた皆様、ありがとうございました!
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「はーい、皆さん席に着いてくださーい」
朝のホームルームを告げるチャイムが鳴りやまぬうちに、担任の谷川先生が教室へ入ってきた。と同時に、朝からあれほど騒がしかった話し声がパッタリと止んであたかも軍隊のように生徒たちが自席へと戻っていった。
見た目は清楚美人であり、思春期の悪ガキどもなら間違いなく舐めてかかるであろう彼女だが、不思議な求心力を発揮して猛獣の如き彼らを見事御しきっている。その人身掌握術にはいつも舌を巻く思いだった。
「では出席をとります。相場さん」
と始まり、芝居の台本のようにお決まりの「○○さん」「はい」という文句が1年A組36名の分繰り返される。永礼も例に漏れずに繰り返した後、「牧島さん」という声が響いた。
しかし、返事は聞こえてこない。
「おや、牧島さんはいないのですか?」
「今日は来てないみたいです」
牧島の後ろの席に座る女子生徒が答えた。
「そうですか。連絡は入っていないのですが……」
訝しむ様子を見せながらも、先生は「松本さん」と次の生徒へと移っていった。
永礼は頬杖をついて退屈そうに聞きながら、チラリと目を横へ転じた。
彼女の席には誰もいない。
# # #
「おい~っす」
昼休み、男子のような声をあげながら、弁当片手に鬼塚がA組の教室へ入ってきた。すぐ後ろには板垣もくっついていた。
二人は弁当を広げて卵焼きを口に運んでいる永礼の近くの席に腰かけた。彼の前の席に鬼塚、左斜め前に板垣、そして隣の席には先に着席していた秋月がいる。
「あれ、牧島さん休みなの?」
「ぽいよ。理由は分かんないけど」
「風邪かなあ? てかリサちゃんそのネイルめっちゃよくない? どこでやったの?」
「これ? 駅前に最近できたネイルサロン」
「ふ~ん。最近ってそういうの流行ってるの?」
「東京とか横浜では流行ってるらしいよ。ミキちゃんもやりなよ」
「カレンちゃんはやってるの?」
「やってないから一緒にデビューしよ!」
鬼塚がギャルギャルしいネイルをつけている様を想像して、永礼は思わず口に含んだ米を吹き出しそうになった。はっきり言って全然似合っていなかったからである。
と同時に、牧島が休んでもクラスは変わらないんだな、ということをふと思った。彼は学友が一人不在になったことにより寂しさが募っているが、もともとクラスメイトとは没交渉な彼女である。いなくなったところで誰も困らないのであろう。彼女の孤独が彼にもひしひしと伝わってくるようだった。
その孤独はまた、彼自身の身の上の裏返しでもあった。
彼のネガティブな想像力が飛躍し、
「ねえコウちゃん」
「俺は……俺はこのままでいいのか?」
「コウちゃん?」
「より華々しい表舞台、ひいてはロッキンを目指すべきではないのか……?」
「コウちゃんってば!」
肩を揺さぶられてようやく彼は正気に返った。心配そうに顔を覗き込む鬼塚の大きな目が見える。
「え?」
「大丈夫? なんか心ここにあらずって感じだけど」
「あ、ああ。大丈夫だ、問題ない」
「ほんと? 風邪とか引いてない?」
「大丈夫だって。風邪ひかねえから」
「馬鹿だから?」
「おい。俺は学年1位だぞ」
「頭の良し悪しはテストで決まんないっしょ」
板垣がケラケラと笑った。
「てか永礼くん、今ロックスターとか言ってなかった? バンドやってんの?」
「いや、やってない」
「コウちゃんはそんなタイプじゃないよ~」
「失礼だな。ただ、ユヅルって無断でサボるようなタイプじゃないだろ。心配だなって思ってさ」
暁美さんの風邪がぶり返したのだろうかとか、風邪が移ってしまったのだろうかとか、そんな想像が脳裏を早馬のように駆け巡る。
「確かにそだね。どうしたんだろ」
「交通事故に遭ったとか?」
「流石にそれはないよ」
「リサちゃんって牧島さんの連絡先持ってないの?」
「持ってない。クラスラインにもいないんだよね」
「コウちゃんは?」
「持ってない」
彼は嘘をつき、タコさんウインナーを頬張った。秋月との手前、彼女のラインを持っていることを知られることが躊躇われるという青臭い理由からであった。
# # #
6限目の現代社会を終え、放課後となっても、彼の心は晴れなかった。
昨日までは元気そうだったのに、なぜ急に無断欠席したのだろうか。クラスメイトの中で最後に彼女と会ったのは彼である。
――俺が何か気に障るようなことをしたのか?
そう考えると、思考は悪い方へ引き寄せられてしまう。
恩着せがましく色々買ったのが原因だろうか。
母親を馴れ馴れしく名前で呼んだからだろうか。
それとも、永礼高太郎のことが生理的に無理になったからだろうか。
三番目の理由だとしたら膝から崩れ落ちてそのまま溶けるように死ぬだろう。
彼はポケットからスマホを取り出した。スリープモードを解除すると、ラインのトーク履歴一覧画面が映る。
その中にちょこんと澄ましている『牧島結弦』という名前を彼の親指は押そうとして、また引っ込めた。
押そうとして、また引っ込めた。
3回目のチャレンジで遂に彼の右手親指は任務を遂行し、トーク画面に遷移した。しかしそこで彼の右手親指は燃え尽きたかのように動かなくなった。どうしたことかと彼は発起したが、頭の中に浮かんでくる文言はどれも上滑りしていき、彼女に送るにはあまりにも気が利いていないように思われた。
打ち込んでは消し、また打ち込んでは消すという愚行を二度三度ループしたところで、彼は己の女性経験の浅さが恨めしく思った。学問ではこの問題を解決できるはずもない。福沢諭吉が『恋愛のすゝめ』を著さなかったのが恨めしい。
図書室で「俺はどうすればいいんだ!」と煩悶していると、見回りに来た図書委員の男子生徒に注意され、彼はしょんぼりと手元の教材へ目を戻した。
# # #
家へ帰ってからも彼は気がかりでならなかった。
机に問題集を広げてみても、常のように頭が回らず、記憶しているはずの単語も引っ張り出すことができない。
こんな日もあるかと思い、気分転換に根岸鎮衛の『耳嚢』を開いてみたが、これも5分も経つと集中力が散漫になってしまった。漫画を読んでも続かず、YouTubeを観ても気もそぞろだった。その理由は分かりきっていたので、彼は観念してスマホに向き合うことにした。
(しかし、なんと送ればいい?)
テキスト入力欄にポチポチと入力しては消した。しかしそんなことをしていては
できる社会人とは、決断のできる人である。
「ええい、届け我が戦慄の
しかし、今度はソワソワとして落ち着かない。
ふと気が付くと、ベッドに投げ捨てたスマートフォンに気を取られている。ブラックアウトした画面は光らない。
まるで恋煩いした男子の如きであった。26歳が聞いて呆れる振る舞いだった。
永礼は観念してベッドへ戻った。
枕へスマホを寝かせ、向かい合うように胡坐をかいて腕を組んで座った。普段通知なんか来ない彼のスマホなので変わり映えがないが、今晩はやはり一皮むけたお前が見たいという気分だった。
と、ラインメッセージの着信を知らせる四角いポップアップが浮かび上がってきた。
『大丈夫。明日は学校行くから』
牧島のメッセージだった。無事を告げる言葉が連なっている。
『風邪引いてないか?』
『大丈夫だから』
『なら良かった。俺が昨日何かしたかと思ったが』
『それは違うから大丈夫』
「俺のせいじゃない、か」
永礼は安堵の息を吐いた。もともと気にしいな性格であり、夜を迎えるごとに脳内で一人反省会を開くような男である。不安の種のように植え付けられていた気がかりが解消されたことで気分が晴れた。
その夜はもう思い悩むこともなく、熟睡できた。
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