第36話 弓弦。久しぶりだなあ
「ユヅルの父親……」
中性的な男性の顔立ちを見つめながら、永礼は呟いた。
――どこかで見たような気がする。
その既視感を裏付けるように、「
「ああ、今も結構ドラマとか出てますね。若い頃はもっとブレイクしてましたけど」
写真からなんとなく予想していたが、いざクラスメイトが人気俳優の娘だということが分かると、イマイチ現実味が湧かない。が、一周目で彼女が人気女優になっていたことを考慮すると、納得感もあった。
「私が大学2年生の時に出会ってね。向こうは5つ上なのだけど、サークルのOBということで顔を出したことがあって。それから色々あってお付き合いして、結婚して産まれたのが弓弦」
写真を見ながら喋る暁美の目には慈しみと同時に、恋の思い出を振り返るような
何故離婚に至ったのか等聞きたいことはあったが、こちらから聞くことはためらわれた。
「なぜその話を僕に?」
「なんというかねえ、あの子、他人に絶対弱いところ見せようとしないでしょ?」
「そうですね」
板垣に頬をムニムニされたりしていたことや、先ほどの親子間のやり取りを思い出しつつ答える。
「お友達も全然できてないみたいで。だから、今日あなたを連れてきたことが嬉しくて、それであの子のこと、知っておいてほしいと思ってね」
「なるほど」
いくら娘が初めて連れてきた友人とはいえ、卒業アルバムを初手で見せてくるのは意外だったが、そんな思いが込められていたのかと永礼は理解した。
そして、『やめて!』と、いつの日だったか、拒否反応を起こした理由もきっとそこにあるのだろう。
彼はそう思った。
# # #
牧島家の夕飯は大変美味であった。
永礼は秋田県民の例にもれず味付けの濃いものを好む
「お代わり」
「はいはい」
既に彼は白米を茶碗で三杯平らげていたが、まだまだ腹に入りそうである。結局もう二杯追加でかっ込み、牧島親子が止めるのをどうしてもと食器洗いを買って出て、無事に一枚も割らずに遂行し終えたところでお暇を告げた。
「駅まで送っていくわよ。少し遠いもの」
「いえ、病人に運転させるわけには」
「子供が遠慮しないの。もう治りかけなのだし」
身体は子供だが中身は26歳である。なんとなれば普通自動車免許も取得経験がある。
家で待っているという牧島に別れを告げてから乗せられた銀色のワゴン車が、夜に沈んだ住宅街を排気音と共に滑るように発進する。
「永礼君は車に興味あるの?」
「いやあ。東京に出れば必要ないと思いますし」
彼が一周目で免許を取得したのは主に身分証としての利活用が目的だった。しかし2016年にマイナンバーカードの普及が始まったため、わざわざ30万円かけて取得するくらいだったそっちだけでも良かったのではないかと今となっては思っている。
「東京に出るの?」
「まあ、東京に出るというか秋田から出るというか。やりたいことが県内ではできないので」
「そうなの。プロ野球選手とか?」
「いえ。勉強の方で」
「偉いわねえ。弓弦なんか将来何になりたいのか何も教えてくれなくって」
「そうなんですか」
「大学は行くみたいなんだけどねえ」
そういえば人文系の学部に進むと言っていたような覚えがある。
「美術部だから将来は画家になるのかしら」
「ユヅルが絵を描いているところはなかなか想像できないですね」
「本人も絵を描くことが得意なわけじゃないみたい。部員と美術の話をするために通っているそうよ」
「それで部員として歓迎されるんですかね?」
「モデルとして活動に加わってるって」
「ああ、なるほど」
確かに牧島ほど絵画彫刻かかわらず、モデルとしてふさわしい人材はなかなかいないだろう。
人通りの少ない通りからいつの間にか土崎港秋田線へと車が入っている。それから大して時間もかからず、秋田駅東口のロータリーへと入った。
「はい到着」
「ありがとうございました」
「いいのよ。またいつでも遊びに来てね?」
「ぜひ」
手を振ってその場を後にし、永礼は改札へ向かって歩きだす。
7月に入ってからますます暑さは厳しくなっている。北国である秋田県も夏の魔の手は逃れられず、小笠原気団のじっとりと湿った暑気が夜になってもなお肌に纏わりついてくる。衣替えでワイシャツになってはいるが、肌着はびしょ濡れでワイシャツにまで浸食しようとしていた。
――暁美さん、美人だったな。
彼は今日偶然邂逅した牧島の母親を思い出す。ほっそりとした牧島よりもグラマラスなボディをしていて、尖っている牧島よりも柔和だった。
36歳といえば彼の実年齢26歳のプラス10歳である。
そして現年齢の16歳と26歳はプラス10歳差である。
つまるところ、彼は牧島親子のちょうど中間にある年齢と言って差し支えない。
――俺はどちらかと言うと年上が好きだ。
背徳的な感情に悶々としながら、彼は羽越本線に滑り込んできた電車へと乗車した。
# # #
(side 牧島結弦)
「また学校で」
コウタロウ君が手を振って玄関を出ていくのを、私は半分夢を見ているような気持ちで見送った。
部屋へ戻ると、さっきまでの和気あいあいとした空間が嘘だったかのように静まりかえっている中で、バラエティ番組の笑い声がどこか空々しく響いている。
友達を家に招くのは初めてだった。
しかもそれが男の子になるとは、ついこの間まで思ってもいなかった。
「お母さんも気に入ってたみたいだし、また誘ってみようかな」
つくづくコウタロウ君はすごいと思う。第一印象は良くもなく悪くもなく、爽やかでもなければ陰険でもない普通の男子という感じだけど、誰に対しても物怖じしないところが人を惹きつけている。先生しかりクラスメイトしかり、さらには私のお母さんしかり。普通教師に声をかけられたり友人の親に対面した時には多少なりともぎこちない受け答えになるはずなのに、彼には一切その素振りがないのだ。
お母さんが気に入るのも道理だ。
先にお風呂にお湯を入れて入浴を済ませ、髪を乾かしていると「ただいま〜」という声が聞こえてお母さんが戻ってくる。
「おかえり。コウタロウ君ちゃんと帰れた?」
「多分大丈夫よ。あの子しっかりしてるもの」
「それもそっか。お風呂入れといたよ、先に入っちゃったけど」
「なら入ってこようかしら」
お母さんが洗面所に入るのを見送り、私は自分の部屋へ戻った。
まだ明日の授業の予習と、今日の授業の復習が終わっていなかった。数学Aの教科書と問題集を取り出し、
自分がこんな風に毎日勉強する習慣をつけるとは、高校入学当初は思ってもいなかった。
多分、コウタロウ君が隣の席にならなかったら。
彼が私の『美術の物語』を盗み見していなかったら。
また全然違う未来になっていたのだろうと思う。きっとコウタロウ君とも全く喋らなかったし、秋月さんとも憎まれ口をたたきあうこともなかったし、板垣さんに顔を好き放題触られたりすることもなかっただろう。その未来にいる自分がどんな思いで日々を生きているのか想像もつかない。
現状に完全なる満足を覚えているわけではないけど、今が一番良かったのかもと思う時がある。
# # #
時計を見ると21時半になろうかという頃だった。
玄関のチャイムが鳴り響いた。
「こんな遅い時間に、誰だろう」
「お隣の
「ああ、たまに出張土産持ってきてくれるもんね」
お母さんが「はいは~い」と言いながら玄関へ出ていく。すると、そう時間も置かないうちに「嘘ッ……」という、お母さんの悲鳴にも似た短い声が上がった。
「お母さん?」
不穏な予感がした。
廊下に繋がるドアを開いて玄関へ向かうと、お母さんと一人の男の人が向かい合って立っている。その男の人の顔を見て、私はお母さんと同様言葉を失った。
眉と目の間が広く、くっきりとした二重
高く通った鼻筋に、薄く大きい唇。
皺が寄って若い頃ほどではなくなっているが、女性を惹きつけるであろう、唾棄すべき甘いルックス。
それは私と目を合わせると、気が付いたように笑い、口を開いた。
「弓弦。久しぶりだなあ」
滝沢雅臣。
憎き父親が、10年ぶりに姿を現した。
電撃家庭訪問編 了
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次章、現在執筆中です。投稿までしばしお待ちいただけると幸いですm(__)m
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