第2話
連邦領と首長連合圏を分ける海、大陸を抉るように存在することから内海と呼ばれている。
内海には大小合わせて百余りの島が存在し、概ね連邦管轄になるが、各々独立している小国も少なくない。
今ラークが居るのもそんな小国家の一つ。連邦をはじめ各地から余暇を過ごす人々が集まり賑わいを見せている。
サンマルティア島は乾燥した温帯気候のお陰で年間を通してマリンレジャーができる屈指のリゾートだ。
湿気が多く、嵐にも見舞われる劉国とは異なり、サンマルティア島は雨季に多少波が荒れるぐらいでしかない。だから島全体が手の凝った装飾がなされた建物ばかりで、長い歴史を刻んでいる様がノスタルジックな雰囲気を作り出している。
海沿いの石畳の通りをひたすら道沿いに、やがて海のに掛けられた橋に差し掛かり、珊瑚礁の海に造られた真新しい人工島へと辿り着く。
そこが今夜のイベント会場だ。
元々サンマルティアの街は観光客が絶えないこともあって、通り沿いに調理場を作って屋台のように買える店がたくさんある。なので食べ歩きも珍しくはないのだが、今日のような日は普段入店でしか飲食できない店も店先に販売ブースを出す。お陰で街中では酒を片手に、時には串刺しの肉や魚を手にして歩く人々でごった返している。
ラークも例に違わず、普段は飲まないビールを片手にイベント会場へと歩いて行く。ビールと逆の手には、小ぶりの白い厚手の紙袋。中には劉国産宝石珊瑚の髪飾り、原地価格10万朱、5000クロナ相当が入っている。
クロナは内海地域で使われている通過単位だ。
劉国通貨の朱は、元々金銀で作った貨幣を使っていたところを銀行発行の証書で代用した事に始まる。鋳造して貨幣に整形するよりも銀行で金や銀をグラムで管理した方が手間が掛からないと判断したのだ。そのため朱は銀行に持っていけば同等の金か銀に両替でき、朱=金・銀という事になる。
しかも朱は劉国とその周辺の群島圏、夏国西部の
そのため一般人が朱を外貨に換える時は、劉国の銀行から個人所有の金あるいは銀を他国の貨幣に換金することになる。
劉国は大陸の東側に位置していて、海を挟んだ西隣には
シンディアもランカンも盛んに交易を行っているが、シンディアの北、夏の西側にあるアディスタンは閉鎖的な国だ。
そして夏は諸外国との国交を断絶しているに等しい。
加えてシンディア沖は極めて治安が悪く、シンディアと夏の間にある島国もランカンも昨今情勢が緊迫している。
これらの情勢が大陸西部の国々にとって鉄壁となり、その結果大陸の東側は国際政治や経済から逸脱した地域となってしまった。そして皮肉を込めて、大陸西方諸国では、夏国以東を「異界」と呼ぶようになった。
ラークが属する私営海兵隊は、劉国籍でありながら内海周辺をはじめとする国々から仕事を請け負っている。
けれど劉国も「異界」に属しているため、諸外国が朱を保持しているはずも無いく、また必要とすることも滅多にない。
そのためハカでは報酬はクロナを含めた外国通貨で受け取り、劉国へ持ち帰るのだ。
その外国通過を次の仕事の経費や武器の買い付けに使う事で、大量の金が国外に流出する事を防いでいる。
しかも劉国産の金は質が良く、内海地域では相場よりやや高めの値がつく。劉国近郊のナカツクニ産の金であれば、内海地域では15〜20倍の価値に跳ね上がるのだ。
つまり劉国と内海地域では、物価こそ大幅な違いは無いが硬貨1枚の価値が格段に違う。
そのお陰でラークは存分に休暇を満喫しているというわけだ。
3日間の有給と休日を合わせた5日間、予算は移動費とイベントチケット代で10万朱、プレゼント代宿泊費は別で計画していた。運のいい事に金の価格高騰のおかげで1朱相当の金が0.26クロナになった。
つまり1万朱で26万朱相当の買い物ができる訳だ。
予算通り10万朱換金すれば2万6千クロナ、260万朱相当になる。
予定通り10万朱換金したが、ホテルのランクも買い物も計画通り。おかげで別枠で計画していた分を合わせても、8000クロナの出費で留まっている
外見だけならこ綺麗な都市部の男だが、私営海兵隊で傭兵業をしているお陰でラークの金銭感覚から貯蓄の概念は削がれることは無い。
そんなラークが10万朱をはたいてプレゼントを用意する相手というのが、今夜のイベントの主催者であるトミヨだ。
トミヨは劉国伝統の舞踊を中心に、時に歌手として活躍するアーティストだ。
かつて劉国と近郊の島国が争っていた時代、子女を建物の奥に隠して表舞台から遠ざけた時代があった。本来女性が担うべき神前舞踊を女性に扮した男達が代行し、やがてオヤマ舞として確立された。
島国との間に和平が保たれるようになってからは次第に廃れていき、ラークが子供の頃には縁日にしばし見掛ける程度で、最近ではめっきり見かけなくなってしまった。
トミヨはそんなオヤマ舞の継承者であり、劉国の文化を国外に発信する人物として内海で高い支持を得ているのだ。
サンマルテイア島と人工島を繋ぐ橋。遠目で見るよりもかなり道幅があり、片側2車線の道路と1車線分ぐらいの自転車道路、それと同じ幅の歩道がある。今は車両の通行が制限されているので、橋の上は歩行者が支配している。
橋の全長は1キロ程度で、歩いても苦ではない。しかし橋の袂で客待ちをしているトゥクトゥクを見つけてしまったら乗らない手はないだろう。
ラークと同様に楽して移動したいのか、旅の気分を味わいたいのか、トゥクトゥクはそれなりに繁盛しているようだ。
お陰で歩行者が幅を利かせている橋の上でも、トゥクトゥク専用車線ができていて、人工島まで予想以上にスムーズ辿り着いた。
帰りも乗車できるよう、気前よくチップを払い、トゥクトゥクを見送る。
イベントが終われば観客が一斉に帰路に着き、混雑は必須。人の波に揉まれながら橋を渡るなんて想像したくもない。
だから帰りもトゥクトゥクに乗車できれば、例え中々前に進めず延々に乗車しているハメになっても、パーソナルスペースは確保されるのでイベントの高揚感をストレスで上書きせずに済むというわけだ。
時間を確認すると、予定より30分以上早い。
時間まで物販品を見て回ったとしても、まだ時間が余るだろう。
幸い会場の外にも飲食ブースはあるようなので、時間は潰せそうだが……。
そんな事を考えつつ、辺りを見渡していると
見知ったポニーテールが目に入った。
「あ、会長ぉ!」
ラークは赤み帯びた茶の髪のポニーテールに向かって駆け寄って行く。
聞き覚えのある声に呼ばれて、『会長』と呼ばれた女性が振り返った。やや褐色の肌、快活な雰囲気で、年はラークといくらも変わらないように見える。
パッチリとした大きな目は、濃い色の瞳のお陰で白さが際立つ。
女性はラークを認めると張りのある声で答えた。
「おー!24番、久しいな!」
「お久しぶりーす、会長」
ラークは会長の側まで来て気安い口調で挨拶する。
そしてすぐさま、彼女が台車を押していることに首を傾げる。
「すっごい荷物ですね。物販ですか?」
「あぁそうだ。まとめ買いしたはいいが、案外嵩張ってな。そこのカフェで置かせてくれるというので預けに行くところだ。」
イベント会場には、動線の都合と安全面からクロークやロッカーは無い。
あったとしても、台車の上には140サイズ程度のダンボールが3箱乗っており、蓋が空いた1番上の箱は物販品の高さがあって蓋が閉じられていない。
ロッカーが設置されていたとしても入りきらないだろう。
「にしても買いましたねぇ……。」
下の箱に入っているものが何であれ、これだけの量なら支払いもかなりの額になったはずだ。
「しばし昼夜を問わず働いたからな。自分へのご褒美というやつだ。
それに、今回はトミヨ様の酒蔵で作ったアイテムが販売されるのだ。必ず手に入れなければならないからな。」
「そうそう。それ買わないとなんですよ。」
話題に上がっているのは、今回のイベントの目玉商品。
トミヨが出資している酒蔵で作った、麹成分配合の基礎化粧品だ。
化粧水、乳液はもちろん、目元専用美容液、ブースター美容液がある。
数量限定とはいえ、それぞれ単価が300から500クロナと高めの価格設定だ。
だから完売はしないだろと踏んでいたのだが……。
「残念だな24番。既に完売だ。」
「え!」
推し活において、価格表示とは単なる数列でしかない。
自分もそうであるはずなのに、何故それを思いつかなかったのか……。
この日のために、よくも分からない夏国で、大怪我するかもしれないのに星の力に腕を突っ込んで、頼んでもいないのに初対面の子供二人に懐かれて、それでも文句もほどほどに頑張ったというのに……。
帰ったらダサいTシャツを着て地域貢献活動をしなければならないのに……。
自分へのご褒美が……。
完売。
思わず膝から崩れ落ちそうになった。
「残り僅かだったからな。私が全て買い占めてやった!
私と24番のよしみだ、一部譲ってやろう。」
会長のこの言葉は、まさに暗闇に差し込んだ一筋の光。
ラークが顔を上げると、会長は台車に乗ったダンボールを指し示す。
見てみろという意味だと察して、ラークは1番上の段ボールをどかしてみる。
すると、2つの段ボールにみっちりトミヨプロデュースの基礎化粧品が入っている。
一式各20点ずつはあるだろう。
「え、こんなに……。前から思ってましたけど、会長って金回り良すぎませんか。」
ラークの記憶が正しければ
基礎化粧品はそれぞれ限定80個のはずだ。
ここに約4分の1があるという事は、会長の買い方は爆買いと言えるだろう。
少々モラルに疑念が湧くが、同時に沸いた疑問の方を尋ねた。すると。
「なんて事はない。実家にたまたまた金があってな、先日家業が慌ただしかったので少々手伝うのを条件に、日当をせしめただけのことだ。」
会長はカッカッと笑う。
なるほど、要するに会長はご令嬢か。
しかも単に爆買いした訳ではなく、4人の
ラークは会長用の中から各2点ずつ譲ってもらって、3000クロナ程度支払った。
金の高騰様々だった。
***************
いよいよ開場時間。
ラークも会長もアリーナチケットで、偶然番号も近かった。お陰で二人並んで、都度感動を分かち合いながら夢の時間を過ごす。
劉国や夏の伝統衣装を身に纏って現れたトミヨは、今年で50歳を迎えようというのに、あいも変わらず見事な美しさだ。
白粉を塗った肌、切れ長くアイラインを引いた目元は伏し目がちになると何とも妖艶で、
ウィッグではあるものの、結い上げた髪に鼈甲の飾りをふんだんに差した黒髪が華やかさを加えている。
そんな姿に見入っていると、2時間強のイベントはあっという間に終わった。
感無量。
余韻に浸るラークの肩を会長が叩く。
「よし!トミヨ様にご挨拶に行くぞ!」
頭が沸いているラークは、会長の言葉の意味がわからず、「へ?」と間抜けな声が出た。
「長年素行の良いファンクラブ運営を評価されてな、昨年からトミヨ様の公式ファンクラブとなっただろ。よって会長権限でトミヨ様に御目通りが可能になったわけだ。一緒に来るだろう、24番!」
まるで会長から後光が指しているかのようだ。
ラークはパッと目を輝かせて頷き、会長の後に続いた。
staff onlyの表示を見事に無視して、会長は楽屋の方へと歩いていく。
トミヨの楽屋と思われる部屋の前には、屈強なセキュリティの男が二人立っている。
会長はその男達に気安く挨拶すると、向こうも随分と気軽に話しかけてきた。
「久しぶりだな。面会かい?」
「そうだ、来るとは伝えてあるが大丈夫かな?」
セキュリティが言うには、先程茶を持っていったから、もう直ぐ出てくるとのことだ。
帰り支度を整えて一息ついていると言う事らしい。
「そうか!ならば待たせてもらおう。」
セキュリティと会長、時にラークも加わってちらほらと会話をすること10分程度。
唐突に楽屋のドアが開いた。
中から出てきたのは、品の良さが滲み出ているが、何処ぞの組織の長とも知れぬ中高年の男性だ。
「お待ちしておりましたぞ!トミヨ様!」
そう、この男性がトミヨだ。
トミヨは会長の目の前に来ると、和気藹々と話し始めた。
「やー悪いな、ついまったりしちまってよ。」
「そうでしょうとも、あれだけの舞台をこなされたのですから、まったりもなさるでしょう!」
「だろう、やーほんとよく分かってるよなぁアンタは!」
大声で笑いながら話す二人を、ラークはしばし圧倒されながら、やや離れた場所から眺めてた。
すると、ふと視線を上げたトミヨと目が合う。そして。
「アンタまた来てくれてたのか。」
間違えなくラークに向けて言っている。
人間望んでいた事とはいえ、前触れもなく実現すると感動よりも先に動揺するものらしい。
トミヨは自分のことを言っているなら、存在を認知してくれているという事だろう、尋ねると。
「あたりめーだろ、やけにツラのいいのがい居るってマネージャー達が騒いでんだから。」
ラーク自身は目立つ気などさらさら無いので、自然体で人目を引いたことは肯定的に受け止めようと思う。
だがそういう経緯でトミヨに認知されているのかと、少々残念な気がしてしまった。だが。
「そういやアンタ劉にも居たよな。俺は元々劉の出なんだよ。」
劉国での公演は、伝統行事に参加するために、トミヨが帰郷したタイミングで行われる。
慈善事業みたいなものかので観覧料は無く、訪れた人が自由に観ることができる。
これまで5回行われ、第2回目がラークにとってトミヨとの出会いだった。
あとの3回とも、ラークは最前列で最初から最後まで観覧している。
「当然知ってますよ。ガキの頃に劉の縁日でトミヨさんの事見て、以来目標にしてます。」
「そうかい、嬉しい事言ってくれるねー。つーと、あんたハカの一員なかい?」
劉国民はあまり内海地域まで足を運ぶことはない。
複数の国を経由する必要があるので、慣れない土地に行くために、わざわざ不便な思いをして疲れる必要もないと考えるのが劉国では一般的なのだ。
だから劉国の外で劉国民に会うということは、外国製品のバイヤーか、移動することに慣れているハカのメンバーだろうと予想できる。
加えてラークの容姿は内海の人間だから、多国籍が寄り集まったハカである方が可能性が高いというわけだ。
ラークがそうだと答えると、
「立派なもんだなぁ。まぁあの土地柄、物騒な事は何もねぇとは思うが、いざって時は故郷を頼むぜ兄ちゃん。」
そう言ってトミヨに肩を叩かれた。
そしてトミヨに名前を尋ねられたので、戸惑いながらも「ラークです。」と名乗った。
「ラークな。末永く応援よろしくな。」
そしてトミヨは笑みを浮かべて、ラークに右手を差し出す。光を放っているかのように白い歯が眩しい。
ラークは予想もしなかった出来事の連続で、半ば呆然としながらもトミヨと握手を交わした。
二人の話がひと段落ついたのを見計らって、
会長がトミヨの背に問いかける。
「してトミヨ様、秋に予定のクルーズ船での講演のチケットはいつ販売開始なのでしょうか。プレミアムチケットを買うつもりで今か今かと待っているのですが。」
するとトミヨは頭歯切れ悪く答える。
「あーあれな。実は中止になるかもしれなくてよ……。どうするかは来週決めるんだがな。」
「なんと!もしや公国皇弟の件の影響でしょうか?」
会長は最初こそ心底驚いた様子を見せたが、
最後はいつになく真顔になって声を落とした。
「さぁなぁ、俺は詳しくは知らねんだがよ。何でも公国と神聖帝国でいざこざになりそうだってことでよ。クルーズ船は両国の間の海域を通る予定だったから、危ねぇかもしれねぇって話になったんだ。そもそも夏になったらクルーズ船も通れなくなるかもしれねぇって話しだしよ。だったらお客さんから金取る前にとっとと中止にしちまった方がいいんじゃないかってなっててな。」
公国は大陸北側一帯、神聖帝国は帝国領の西側に位置する島国だ。
両国の間には海洋があるが、陸から陸の間は内海の連邦領と首長連合領との距離の半分程度しかない。
トレーニングすれば泳いで渡る事も無理ではない距離なのだ。
そんな両国のいざこざとは……。
ラークが小首を傾げていると、会長がラークに問う。
「どうした24番、いまいち解せていないようだが。」
ラークは歯切れ悪く答える。
「いや……。公国と神聖帝国の事は噂程度には聞いてたんですが、詳しくは知らないんですよね。劉からは大陸越しだし、正直俺早耳じゃない方なんで……。」
するとトミヨは険しい表情のまま、あの国に居たらそんなもんよと言った。
彼もクルーズ船の事情があったので知っていたが、そもそもこの話は、政府か一部のメディアぐらいしか知らない話だそうだ。
「うむ。私も実家の仕事柄から耳にしたまでだしな。どうやら公国のキリル皇帝の弟君とアンシャール族長三家のアースタルテ-ギ-アンシャールの婚礼が計画されているらしい。」
二つの国の国交が左右される問題のはずなのに、会長のハキハキした口調で言われると、まるで巷のスキャンダルのようだ。
しかし何故婚礼という、本来祝福すべき話が問題となっているのだろうか。そうトミヨが問う。
「アンシャールはかつては栄華を誇りましたが、今では神聖帝国の片隅で生きる部族に過ぎません。しかしながら、星の神話を国家の柱にしている神聖帝国において、影響力は大きいのですよ。そこに公国の皇族の血が入るとなれば、神聖帝国は公国の属州に成るにも等しい。」
会長は言葉を選ぶように、少々間をおいた。
そしてカッと目を開くと、相変わらずハリのある声で続けた。
「よってこれから、帝国は公国からの人や物の流入を禁止するべく動くと予想され、それにより両国間の情勢は確実に悪化するものと見込まれるわけですな!」
会長が噛み砕いて話してくれたおかげで、トミヨもラークも合点がいき、思わず拍手をして会長を褒め称えた。
「つーことたぁ、やっぱりクルーズ船は中止だな。」
残念そうにトミヨが呟くと、会長はすぐさま提案する。
「中止にせずともコースを変えてはいかがですか。内海の南方サンディアナなど、海からの夜景は見事ですよ。それに、領主のアルシャーム家の所有海軍は海上最強でございますから、警備をお任せすればよろしいでしょう!」
思わぬ提案に、ラークは思わず肩が跳ねたが、幸い二人は気づかれなかったようだようだ。
「アルシャームって、そんな金持ち首長様のお手を借りるとなったら、今日のイベントが3回できちまうよ。」
「そうですかぁ?首長連合は善行第一主義ですから、金はいらぬと言いそうですが。」
会長がとても残念そうにするので、トミヨは笑って「考えておくよ」と告げて踵を返す。
どうやら移動の時間のようだ。
「悪いな、明日早くてよ。じゃーな!」
詳しい事が決まったら、ファンクラブに真っ先に連絡すると約束して、トミヨは去っていった。
セキュリティの二人もじゃーなと会長やラークに気軽な挨拶をしてトミヨに続く。
静かになった廊下で、
ラークは今更ながら手が震えて始めた。
トミヨと話してしまった……。
しばらく仕事、頑張れる……。
********
会長とラークが会場を出た頃には、
混雑のピークが過ぎていて、辺りは閑散としていた。
それでもまだ店舗で飲食している人々が居るお陰か、
トゥクトゥクが停まっていたので、捕まえて市街地へ向かった。
サンマルテイアの市街地まで来ると、
トゥクトゥクを降りて、目についた店に入る。
二人の恒例行事、本日の振り返りを行うのだ。
いつもは今回の演出の素晴らしさを共感しあったり、物販の戦利品を見せ合ったりする。
だが今日は、ラークだけがやけに興奮気味だ。
トミヨと話が出来た事が信じられないらしく、酒のピッチも早い。30分もしない間に大分出来上がっている。
「俺ガキの頃にトミヨさん見てから、ずーと憧れてたんすよ。」
「うむ。知っているぞ。今日3回ぐらい聞いたからな。」
「だから……。めちゃくちゃ嬉しいんす。名前まで聞かれちゃって、夢じゃないっすよね!ってぐらい。」
「うむ。夢ではないぞ。さっき頬に一発くれてやっただろう。」
「ですよねぇ。まじ痛かったっすもん。」
そしてラークはぼんやりと会長を見つめる。
そしてフワリと微笑んだ。
その顔に会長は少々驚いたように目を見開くが、今のラークはそんな事に気がつく訳がない。
「トミヨさんと話せたのも、こうやって楽しく酒飲めてるのも……、ぜーんぶ会長のお陰っす。俺、会長のファンクラブ入って良かったぁ……。」
言い切って机に突っ伏した。
そのまま近くの摘みに手を伸ばして、だらしなく食べているから
どうやら寝た訳ではないようだ。
そんなラークを見下ろしながら、会長は腕組みをして話しかける。
「ふむ……。24番、先日君に良く似た人物と会ったはずなのだが、何処だっただろうか……。」
「へー。俺リスペクトの誰かが居るんですかねぇ」
「街中で偶然ではなく、仕事中だったのは間違いないのだが……。いつだったか……。」
ラークはポテトを喰みながら考える。
仕事中……。
現場だろうか?以前、会長の仕事は家業の手伝いと言っていた。
そして今日、実家はかなり金がある事が分かった。
現場で会ったのなら、会長の家は政治家かそれとも……。
そんなことを考えていると、頭上から声が降ってくる。
「思い出せん!」
ラークは思わず身を起こして、大笑いする。
「会長らしい。」
一頻り話した後、深夜に其々の宿泊先に帰って行った。
次に会長に会うのは半年ほど先だろう。
その前にラークは、劉に帰って仕事をこなさなければならない。
休暇明けの仕事は決まっている。
楽しい楽しい島民体育祭だ。正直気が重い。
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