ウチはタイムリーパー

 夜、アパートを出たところで、突然声を掛けられた。

「今すぐウチについてきて!」

 知らない人だった。だが、知っている顔だった。大学で同じ授業を受けている。名前も知らない同級生だ。

 はじめ、私は私に言われたのだと思わずに、黙って通り抜けようとした。すると、彼女は私の前に、文字通り立ちはだかった。

「お願い! 今は説明している時間がないの。今すぐここを離れないと、取り返しがつかないことが起こる!」

 私は緊張から肩にかけた鞄の紐を握り込んだ。彼女はそんな私の手を取った。

「黒島佐奈。大学生。実家は広島。一人暮らし。趣味は女性週刊誌を読むこと。どう?」

 どう? と言われても。早口で唱えられたそれは、紛れもなく私の個人情報だった。

「驚いてるとこ悪いけどさらにいくよ。あなたはいま、そこのスーパー『コルメ』に買い物に行くところだった。買いたいのは洗濯用洗剤、ついでに歯ブラシ。毛先はかため。私は未来から来た。騙されたと思って、私についてきて」

 半信半疑、というか疑。それでも私は、彼女に従うことにした。気まぐれだ。買い物の後だったら行かなかったかもしれない。しかし、未来から来たという彼女の言葉を否定する根拠を、私は持ち合わせていなかった。いたずらに人を疑う、決めてかかる、という行いは、私の心の正義に反していた。義によって、私はあのとき、彼女についていったのだ。


 彼女の運転する軽自動車は、私の生活圏をみるみる離れ、やがて坂の多い住宅街の中をゆっくりと走り始めた。

 車の中で、彼女は事情を説明した。妙に要領よく整った説明をするなと感心したのだが、後から理由が判明した。彼女は三十回以上、似たような未来を繰り返しているのだ。いわゆるタイムリープである。

 ならば、もっと上手く、私を連れ出すことはできなかったのか。

「二度、それで間に合わなかった。あなたはこちらが回りくどく誘導しようとすればするほど、食い下がってきて動かなくなる」

 納得した。彼女と出会ってからここまで起こっていることは、すべてなるべくしてなっているということなのだ。

「ウチは三十分を繰り返してる。三十回で十五時間か……。あなたを助けるためだけの十五時間。感謝してほしいな。さすがにもう、疲れたよ」

 本来の三十分で起こるはずだった事柄について、詳しくは語られなかった。語らないというより、語れないようだった。危険があるとだけ、伝えられた。私がそれを知ることが、良い結果につながらないということなのだろう。そこまで含めて私が納得してくれることも、彼女は知っているのだろう。そう考えると、彼女は何よりの理解者であるようだった。返してあげられないのが申し訳ないくらい。


 彼女の家に着いた。普通に輪をかけて普通な、普通の女子大生の部屋だった。

「やっとここまで来れた。夜明けまでここで過ごせたら、きっと危険は去ったと思っていいと思う。ベッドも使っていいよ。二人は寝られるくらい広いから」

 ん? と思いながら私は、その広いベッドの端に腰かけた。十分後、彼女が缶チューハイを持ってきたので飲んだ。十五分後、寝間着に着替えた彼女が隣に腰かけた。三十分後、彼女が手をつないできた。柔らかい体をぴたりと私に寄せて、肩に頭を乗せてきた。

 それからなし崩し的に私は彼女にすべてを預けてしまい、つまりは性的行為に及んだ。彼女の性技は凄まじかった。私のあらゆるすべてを深く理解されている気持ちになった。


 夜が明けた頃、もう私は、彼女なしではいられない身体になっていた。これも三十回目? と私は尋ねた。

「うん」

 と彼女は答えた。噓だとわかった。

 聞けば、彼女は私のストーカーだったという。大学で私を見初めて二年間、私を知り、私を理解し、私を想像することが彼女の毎日だった。だから三十回どころではなく、数えきれない回数と時間、彼女は私を練習してきたということになる。そしてその日、その夜こそが、たった一回の本番だったのだ。

 朝を迎えてしまった私には、その経緯がもはやどうでもよく、むしろ彼女の愛情すら感じて嬉しいくらいで、いまや私の方が彼女の細かいところを知りたくて仕方がないといった具合だった。もう戻れない。偽のタイムリーパーとの幸せな生活が始まった。

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