第20話
ラーク達が坑道の入り口にたどり着いた頃には、未だ東側にあるものの太陽は既に姿を現していた。
道中外の光が見え始めた辺りから、徐々に光に目を慣らしてはいたが、やはり眩しさに目が絡む。
目を閉じて瞼を介して太陽の光を受けつつ、ラークもアーナも広い世界に向けて存分に体を伸ばす。
改めて目を開けると、辺りは朝靄もすっかり消えていて、少し冷気のある爽やかな空気が心地よい。
「空気だけは旅気分だなー。」
「休暇が取れたらまた来る?」
「遠慮。」
たまに得られる余暇を過ごすのなら、もっと設備の整ったリゾートの方がラークの好みだ。それよりも。
「なんでアーナ鼻摘んでんの?」
「んーなんか臭いの。生臭いっていうかぁ……。」
ラークは実感がないが、アーナが言うのだからそうなのだろう。周囲の匂いを探ってみる。広い範囲の匂いを嗅ぐべく、顔を尾根の方に向けた時だ。山肌に浮かぶ、掠れた筆で描いたような赤茶色の線が目に留まる。
「……熊が大怪我してもあぁはならねぇだろ。」
「匂いの原因アレかもー。」
アーナは困った様子で項垂れる。
5人はのんびりした足取りで、カシュガノの集落へ向かう。坑道の入口から伸びた道を辿っていくと、広場のように開けた場所に着いた。集落の北西部にある、坑道と尾根と集落への分岐点となる場所だ。そこでトーマ班の5人が住人達に囲まれている。
遠巻きに見ても争っているようには見えないので、おそらく夜明け前の一件について聞かれているのだろう。
ラークはトーマに向けて手を振りながら呼びかける。
「トーマくーん、お待たせー何してたのー。」
住人達はラークの方を振り返る。トーマが呆れたようにため息をついて、ラーク達の方へ歩き出す。トーマが小声で道を開けてくれるように頼むと、住人達はすんなりと身をよけてトーマを通した。
「戻ったって事は、星は結局どうなったんだ。」
ラークの前に来たトーマが問いかける。
「連邦に渡た。」
ラークがやや後ろに居るベルクを指差す。ベルクはわずかに身を硬らせ、トーマに軽く会釈する。
「彼は連邦軍の……。星の民?」
「そうそう星の王子様。ベルクつったけな?」
トーマはラークの脇を抜けてベルクへ歩み寄る。
「という事はライオネルの連れの?」
ベルクが頷き、トーマから直ぐに目を逸らせて足元を眺めながら呟く。
「ライオネルは俺の同僚です。」
「では安否確認のために連絡を取ってみてください。彼はこの血の原因を追って山を越えましたから。」
ベルクは再び視線を上げて頷く。
「はい……そうしてみます。」
しかし両手に子供達が居るからすぐには難しそうだが。
「なぁトーマさぁ、そのライオンさんって奴と何があったんだよ。」
ラークがじれた様子で問いかける。
何せラークだって住人達と同様に聞きたいことが山ほどあるのだ。
山肌と同じように集落の中にも赤茶の線が走っているし、伴って匂いもきつい。それに連邦軍人が山を越えて行ったと成れば、来た時に見たあの怪物と一線交えて、ひとまずは勝ったという事なのだろうが……。どうすればこうなるのか。
「それがさ、来た時に見た怪物居ただろ。それと連邦軍のライオネルって人がやり合っててさ。その人も星に憑かれて、水を凍らせる火を扱えるんだ。」
「水を凍らせる?……青い火か?」
ラークはやや顔を硬らせた様子だが、トーマは気に留める事なく話を続ける。どうせ過去に請け負った仕事で苦い水を飲まされたことでもあるのだろう。
「そうそう。で、怪物の方は水を操るみたいだから、何もしなくて済むんじゃないかなと思ってたんだよ。けど中々決着がつかないから、ダメ元で1発打ち込んだら案外脆くて。皆んなで6発ぐらい打ち込んだら怪物の腹が抉れちゃってさ。それで怪物が逃げてった訳。」
アーナが鼻の、目頭に近い部分を摘みながら呟く。
「それでこんなに血みどろなんだ……。」
「俺も予想以上で驚いたよ。ラークの星を想定して作ってもらっただろ、だけど同じ星でも肉の体は簡単に吹き飛ぶみたいだ。」
トーマは手の上の弾丸を一同に見せる。それを覗き込むラーク。
「さすが、アメルゴ製だな。」
トーマの話によると、怪物との交戦によって、集落の南側はかなり水害を受けたらしい。その辺の整備と集落の中だけでも血糊の除去に協力しようと思ったのだが、生憎トーマ達には道具がない。集落の中にある道具をかき集めても十分とは言えないので、迎えを寄越してもらうついでに人員や道具も頼んだのだという。
丁度トーマが話し終えた時、東からティルトローター機が飛んできた。
里の上空を旋回した後、広場に程近い場所に降り立つと、機内からジンウが降りてくる。
プロペラが起こす強い風と騒音の中、両腕で風よけを作り、やや斜めに進みながらこちらにやってくる。
「皆さん、お迎えにあがりました。ご無事で何よりです。依頼された人員は追ってコチラに来る予定です。」
「それはどうも。」
現場の後始末要員より先に迎えが来たという事は、ハカの仕事はここまでという事だろう。ラークやアーナはそこまで気が回っていないようだが、トーマは内心胸を撫で下ろす。
「それから、日の出と同時に秋王から勅令があり、カシュガノの鉱山より西を放棄する事が決まりました。」
移住までの猶予は1年。それまでに隣国アディスタン領に移れば、カシュガノの住民達は撰州ないし夏国から離脱できる。
その一年は山岳地帯の集落にもアディスタンの役人が常駐して住人達の籍を管理をするそうだ。
ジンウの知らせを聞いた住人達には、戸惑いながらも細々と喜びの声を上げる。
当人達の望みは住み慣れたカシュガノごと離脱することだったはずだ。それが移住を余儀なくされる結果となったのだから、完全には喜べないのだろう。
しかし今回撰州が放棄した山岳地帯には、カシュガノを出た人々が築いた集落がある。畑や水田を開墾して、自給自足に事足りる程度には農耕が盛んな土地だ。うまくいけばここの暮らしより遥かに過ごしやすいだろう。
そしてラーク達はこれからツオスへと向かい、そこでキリョウとルーカーと落ち合う手筈らしい。
ジンウは間もなく後始末に来るであろう、撰州軍と集落の住人達との仲介役を務めるため、この場に残ると言う。
ハカの面々とキリョウが対峙して任務完了の手続きが済んだら、劉国へと帰還できる。
仕事の終わりが近いせいもあって、ラーク達は言われるがままジンウが乗って来たティルトローター機へ向かう。
ベルクは黙してその背を見送る。突如端末が鳴り双子の手を握っていた片方の手を離した。
「ちょっとごめん。」
連絡元が件のライオネルこと、ライルであるのを確認して双子に向かって苦笑してみせる。
「さっき話題になってた同僚から。少し待ってて。」
そして通話に応答する。
子供達はベルクを見上げ、ラーク達の背を見つめる。
それを3回ほど繰り返してから、互いに頷き合うと、二人は手を取り合って目を閉じる。そして姿を消した。
既にアーナやトーマ班の面々がティルトローター機に乗り込み、ラークもいざ乗り込もうと脚を上げた時だ。
立ち眩みのような感覚を覚えて、バランスを崩して脚を前に出そうとした。しかし脚が重くて動かない。
幸いにも手を機体の縁に手をつく事ができたので、転倒は免れた。
こんな無様な姿を晒したら、トーマが笑わない訳がない。しかし今は笑い声どころか、皆唖然としてラークの方を眺めている。
そんな状況を訝しみつつ、未だ重い脚を不思議に思って、ラークは視線を下げる。そして驚愕した。
両の脚に双子がしがみついている。
(……何故、ここに居る?)
とんだ面倒事が舞い込んできてしまった。
仕事終わりの疲労感も相まって、一瞬にして絶望的な気持ちに陥ったラークは、声を絞り出しながら問う。
「何で……お前ら、此処に……、どうやって来た……。」
すると子供達は、まるで猫が甘えるようにラークの脚に頬を擦り付けながらラークを見上げる。
「私、あなたがいいの。」
「僕もラークの方がいい。」
「……え?」
双子は何の話をしているんだ。
子供達はラークの脚をぎゅっと抱きしめてラークに熱い視線を向ける。
「強くなりたいの」
「ラークみたいになりたいの。」
子供好きなら心を掴まれるような言動でも、生憎ラークには効果は無い。
一体自分のどの辺りが、子供の理想になってじまったのか……。愕然とした心境の中で自身の行動を振り返るが、全く心当たりが無い。
何せ仕事は時に命懸け、私生活は礁瓊に振り回されて、腹いせに私利私欲を最優先に生きているのだ。
労働はあくまでも生活の糧で、意識高く情熱を持ってやっている訳ではない。そんな自分の一体何を見て慕ってきたというのだろうか……。
兎に角付いて来させまいと、子供達の頭を押して脚から引き剥がそうと試みる。
「俺は人に教える立場じゃねーの。俺みたいになるのもやめとけ。思ってるほどいいもんじゃねぇから。」
ラークとしては何とかしてベルクの元に返したいのだが、双子はラークを見つめたまま首を振る。
一縷の望みを込めてベルクの方を見やると、子供達が居ないことに気がついた様子で、通話をしながら辺りを彷徨い始めていた。しかし残念な事に此方とは真反対の方を向いている。距離が有るのは勿論、ティルトローター機のプロペラ音のせいで声を張り上げたところで聞こえはしないだろう。
「ラークがいいの。」
「あなたがいいの。」
双子は更にぎゅっとしがみついてくる。
困りに困って、顔を引き攣らせていると、アーナが機内からひょっこりと顔を覗かせる。
「貴方達、本当に一緒に来たいの?」
双子は頷く。
「毎日のトレーニング、とっても厳しいよ。」
「厳しいってどのぐらい?」
「痛いの?」
「痛くなくは無いけど、毎日とっても疲れるよ。疲れるから、ラークはいつも半分しかやらないの。」
「それでもいいの?」
「それともズルしてるの?」
アーナはニッコリと笑みを浮かべる。
「ズルいけど、貴方達ぐらいの時はたくさん頑張ったんだよ。だから、今はズルしても仕方ないなって思われるだけで済んでるの。」
双子はラークを一瞥してから再びアーナに向き合う。
「ラークみたいになれる?」
「僕達にできる?」
「さぁどうだろう。それは二人の問題だから。」
アーナは至って穏やかだ。
「なら頑張る。」
「疲れた分強くなる。」
双子は目を輝かせながら訴える。だからアーナは双子の手を取って引っ張った。
「なら一緒においで。いつまで一緒に居られるかは分からないけどねー。」
ラークは唖然としてその場に立ち尽くす。
子供達もアーナもシートに着いたので、トーマがラークを促して機内に乗り込ませ、一同は漸く出発した。
機内ではトーマが隣に座るラークに話しかけるが、ラークは窓から外を見たまま空返事を繰り返す。
「よかったなラーク。若いファンができて。」
「うるせぇ。」
「肉そば食いに連れて行ってやれよ。ラークみたいに成りたいんだから。」
「うるせぇ。」
「あと焼き鳥屋台で買い食いさせてさ。」
「うるせぇ。」
「トミヨ様のライブにも連れて行ってやらないとだなー!」
「俺の屈指の楽しみだ、絶対ぇ連れてかねぇ」
ラークが殴り掛からんばかりに身を乗り出して来たので、一応トーマも謝罪を連呼した。それでも顔はにやけたままだ。
「はいはい、アーナも連れて行かないぐらいのプライベートだもんなー。楽しんで来てください。」
トーマが締めの皮肉を言うと、アーナが訂正を入れる。
「連れて行ってもらえないっていうか、私も興味が無いだけだよ。」
普段ならラークにべったなアーナにしては珍しく、本当にとことん興味が無いようだ。
子供達はタチの悪いじゃれあいを繰り広げた大人達をさめざめと眺める。
機内が静まり返り、子供達の視線を浴びつづける大人の男達がやや居心地の悪さを感じ始めた頃。
「そうだ、ジウが見たこと、ラーク達にも教えてあげたら?」
アーナが子供の一人に声をかけた。
こどもは女がジウ 、男がジーハンというらしい。
ジウは暫くもじもじしてから、アーナに目配せしつつ話し始めた。
「おばちゃんが居たの、でもおじちゃんみたいで、ラークより少し大人っぽい人……。」
「俺と似たり寄ったりの歳なら、お兄さんかお姉さんて言ってくれよ。」
ラークは間髪入れずに、しかしため息混じりに呟く。それはトーマも同様で。
「そっか、子供からしたら俺たちもうおじさんかぁ……。」
そしてラークもトーマも項垂れてしまう。
不穏な雰囲気を察したジウは、アーナの腕にしがみついた。
「気にしない、気にしない。」
アーナはジウの背をぽんぽんと叩いて、話を促す。
ジウは拙い言葉で、ぽつりぽつりと自身が体験した出来事を話す。
ジーハンの力で作り出した裂け目から、別の次元へと出て行ったこと。そこで目にした光景、出会った人物、そして彼とも彼女ともつかないその人が言ったこと。
「その、おにーさんか、おねーさんにね。あかしにふれるにはまだ早い。帰りなさいって言われたの。それで、ふわって体が後ろに飛んでいってね。最後にその人がね、カレによろしくって言ってた。」
ラークやトーマ、トーマ班の面々もジウの話にすっかり興味を引かれてようだ。話が終わるや否や、ジウに一つずつ質問を投げかける。
SF好きから派生したラークほどでは無いが、トーマもこの手の話には少なからず興味がある。ジウに一つ二つ尋ねると感嘆の声を上げる。
「へー、なかなか面白い体験をしたんだね。羨ましいな。」
余りに現実離れしているが、きっと話に嘘はない。ジウが見たもの、体験した事がハカや劉国の発展に結びつくかは分からないが、ジウとジーハンが付いて来た事は大益だったようだ。
大人の性か、腹の底で損得を考えているトーマの横で、ラークは呑気にジウに問いかける。
「てか彼によろしくって、彼って誰か分かんの?」
ジウは首を振る、ジーハンも首を振る。
「うーん、この場合はジーハンのことじゃない?男の子だし、お兄さんかお姉さんは直接会ってない訳だし。」
アーナの意見にもラークはいまいち腑に落ちないようだが、ひとまず納得はしたようだ。
するとジウが思い出したように歌い始める。
「かーぐのえ、かぐのーえ、かーぐのなーがふーふー……ふーふんふーふんふーうん。」
「あれ?それ王子が歌ってたやつ?」
聞き覚えのあるフレーズを耳にして、アーナが問いかける。
しかし可笑しい。王子こと連邦軍のベルクがアーナとラークにその歌を聞かせた時、双子にはまだ会っていない。声が響いたという事も考えにくい場所だった。
仮にあの時、双子は側に来ていたのならば納得は行く。ジウとジーハンはそれそれぞれの能力を駆使して瞬間移動もできるのだから。しかし。
「王子じゃない。おにーさんかおねーさんが歌ってたの。歌が聞こえたから、誰か居るんだなって思ってそっちに行ったの。」
ベルクの話では、その歌は星の民・アンシャールの人々が子供達に唄う歌だと言っていた。
という事はつまり、
「へー。じゃぁそのお兄さんかお姉さんも星の民なのかもしれないね。」
もしそうであっても不思議では無いだろう。何せ星の民はかつて星をこの世界に呼び寄せた一族だ。その星は強大な力を備えているがゆえに、今や世界の殆どの国々が欲する、国力の要となっている。
果たして神話のように祈りによって授かったものなのか、はたまた未知の知識を駆使して作り上げた人工物なのかそれすらも定かではない代物。それが『星』だ。
そんなものを最初に手にした一族の誰かが、次元を超えた先に、一人佇んでいても何も不思議ではない。
機内は星の民の話から、ジウとジーハンの星の話になり、会話を絶やすことのないままツオス近郊へと降り立った。
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