第16話
ルーカーをはじめとするハカの中隊は、麓のカシュガノ市内に到着して以来、殆ど待機状態となった。
というのも、前回ルーカーがキリョウの案内でカシュガノを訪れた日を境に、カシュガノ住民の動きが著しく停滞し、ついには全くの膠着状態となったという。
現に市内は気味の悪いほどに静まり返っている。
その不気味さに加えて、カシュガノに留まっていたキリョウ麾下の者から奇妙な報告があった。
カシュガノ住民達の遺体が消えた、というのだ。
ルーカーとキリョウは案内に従い、遺体を収めていた場所へ向かった。
街のはずれにある民家にしてはやや大きい建物、その地下室が目的の場所だ。
「ご覧の通りです。」
ルーカー達を案内して来た男が、20畳前後の打ちっぱなしの空間に立ちながらキリョウに訴えた。
そして足で床を蹴ると、土埃が舞う。
「安置していた遺体は消えて、床一面この臭い砂まみれになっていました。」
確かに空間には生臭さとも腐敗臭とも違う、豚皮を煮詰めたような独特のにおいが充満している。
「誰かが持ち出したということはないのか。」
手で鼻と口を覆いながらキリョウが尋ねた。
「数体ならまだしも、全ては無理だと思います。我々が離れた1時間程度の出来事でしたし、その間付近に車両や人影があったという報告もありません。」
キリョウは腑に落ちない様子で「そうか」と呟いた。
「トーマの野郎が言ってたみたいに、全部土塊だったのかもしれねぇな。」
ルーカーは皮肉たっぷりに鼻で笑った。
すると男は声を落として話しはじめた。
「それも満更でもないなもしれません。キリョウ様のお耳に届いているかは分かりませんが、以前から遺体に関しては不思議な点がありましたから。」
聞けば、遺体を移動させる際、体の一部がこぼれ落ちるように取れてしまう事があったのだという。しかも取れた体一部は、まるで水で押しかためた砂の塊が壊れるように、地面に落ちた衝撃によって粉となったのだそうだ。
「私は『星』ってやつを見たことはありませんが……。不可能を実現できる存在なんですよね。」
地下室の中央に佇む男は、不安なのか、はたまた状況に困りかねているのか、同意を求めるような視線をキリョウとルーカーに向けた。
その頃、坑道入り口のカシュガノでは、ティルトローター機から降りたトーマ班が集落への潜入を開始していた。
トーマは2人を率いて、規則的に立ち並ぶ小屋の影を渡りながら、機内から確認した怪物が居た方へと進む。
残る3人は周辺の状況を確認すべく、トーマ達とは別方向に進んで行った。
潜入した場所は里の北北西、そこからやや南に向かって直進すれば丁度怪物の背後を取れる。トーマは途中進行方向を東にずらし、怪物の斜め前方へと回り込む。小屋二棟分挟んだ場所まで来ると、立ち姿勢のまま建物の壁に背を預けて様子を伺う。
小屋と小屋の間の地面は朝露によって湿ってはいるものの、足を取られる程ではない。対してその奥に進むほど雨に打たれたように濡れていて、ついには氷の壁が視界を覆う。
氷壁に接した小屋の屋根の縁には青い炎が燻っている。その周りでゆっくりと氷が積み上がっていく様子から、トーマは直ちに事態の予測を立てた。常識的ではないものの、そうとしか言えない、星という存在が有ればこその見立てだ。
「仕組みは知らないが、あの炎に水が触れると固まるみたいだな。体の水分まで固められるなら厄介だ。普通の火よりも注意しておけよ。」
トーマは部下達を一瞥すると、2人は手のサインで承知した旨を示した。
水を固体に変える火など自然界にはありはしない。ありえない事が起きているのなら、そこには必ず星が居る。もしトーマの推測通り、青い炎によって体の水分までもが凍結するのであれば、火傷した部分が膨張して弾ける可能性だってある。 そうでなくても飛沫や朝靄ですら鋭利な凶器へと変貌させてしまうのだ、まだ靄が晴れきっていない里の中は危険でしかない。まずは朝日が完全に昇るまで今しばらく待つのが得策だろう。
トーマ達は可能な限り気配を殺して、怪物と氷壁の奥に居るであろう星の宿主の様子を観察する。
すると、突如氷壁に筆で払ったようにべたりと血が付き、続いて強力な一撃によって氷壁が崩れ落ちた。
視界を遮るものがなくなり、巨大なトドのような怪物の姿がはっきりと顕になる。身体中に氷片の杭を突き刺したまま、苛立ちを示すかの如く咆哮した。
怪物の傍に立つ大柄な女は、怪物の体から飛び散る血を、いかにも高価な上着の袖で避けると、トーマ達の方へと視線を向ける。
「細々したのが来たわね……。お姉さん、先に黙らせたらどうかしら。」
怪物が首を持ち上げ、天を仰ぐように吠える。先程の怒りをぶつけるような息遣いとは違う、細く息を吐くような高い響きのある声だ。
次第に建物や石、地面から水の玉が沸き起こり、空中に浮かび上がると互いに結合し合い、拳大の水泡となって怪物達の周囲に浮遊し始める。
怪物と正面で対峙するライルも、もちろんトーマ達の存在には気がついていた。おそらく撰州軍かあるいは訓練を積んだ者に違いない事も察知していた。
だがカシュガノは独立を掲げて住民達が武器を取って活動している最中なので、当然訓練を積んだ者が居るはずだ。
よってライルはトーマ達に手出しできなかった。公国軍なのか、カシュガノないし撰州軍なのか判断が着くまでは様子を見るのが得策だ。
何より目の前の怪物から気を逸らす方が芳しくない。
ライラは整いきらない息を無理やり制御し、再び大火を放とうとした時、怪物が真横からライルを薙ぎ払った。
体側に重い一撃を食らったライルは地面を数メートル転がり、しばし悶絶したが、すぐに起き上がることができた。しかし次の一撃を警戒するのが精一杯で直ぐには星の力を使えそうにない。
そんなライルの状態を察したのか、怪物はトーマ達へ向き直り、空中に集めた水球を放つべく再び身を持ち上げる。
トーマは怪物が仕掛けてきた事を察すると、盛大に溜息をついた。
「全く……、星って相手にするの面倒なんだよな……。」
トーマはショットガンを構えて、小屋の影から身を乗り出し、怪物に向かって放った。
弾丸は怪物胸部に命中し、予想以上に怪物に傷を作った。
「なんだ、コイツ案外脆いぞ。」
かつてラークの星と対峙した時とは雲泥の差だ。アレはショットガンでは擦り傷がついたかも怪しく、全く歯が立たなかった。
トーマに倣って部下もライフル弾を打ち込む。怪物はのべ12発の弾を受け、腹部から胸部にかけて肉が抉れて骨が剥き出しになってしまった。
まるで事切れたかのように、怪物は唸り声すら上げず地面に倒れた。直後怪物の周りで浮遊していた水球が震えだし弾け消えたかと思えば雨となって降り注いだ。
雨に打たれながら、美人が怪物に歩み寄ると頭部の横で身を屈めて囁きかける。
「まだ動けるでしょ、帰るわよ。」
怪物は叫ぶように吠えながら身を起こす。流れるような動きで美人を抱えると、血を流しながらカシュガノの尾根に向かって飛ぶように走り去っていく。
雨の中でも怪物の辿った道が赤黒い線が残っている。
「追いますか?」
トーマの部下が身構えつつ尋ねる。行けと言わらたら直ぐに走り出すつもりなのだろう。
「いや、今回の仕事の範疇外だ。放っておこう。」
すっかり緊張を解いた様子のトーマは、ライルに歩み寄っていく。
ライルもまた脇腹を庇いつつトーマ達の方へ足をすすめていた。
「無理は良くないですよ。肋骨がいった時は息するのも辛いでしょ。」
「まーな。たまには真面目すぎるぐらいのとこ見せねぇと、後輩の信用がなくなるんでね。」
ライルは一瞬顔を顰めたものの、すぐに視線を怪物の血の跡へ向けた。
「へー頑張りますね。」
トーマが手を差し出すと、ライルは視線を戻して訝しみながらトーマを眺める。
「ご安心を、我々は撰州政府の護衛役の傭兵です。お客様の意向もあって、連邦軍とは敵対しませんから。」
「連邦軍のライオネル、ライルでいい。所属はベルキアの中央政府直轄部隊だ。」
ライルはトーマの手を握り返す。
「俺はトーマ、劉国の私営海兵隊の一員です。」
互いが名乗り合い、手を離したタイミングで偵察に回っていた3人が合流してきた。
「隊長、生存者は20名程度確認。主に女性と思われます。」
ハカでは偵察の際にサーモセンサーを使用する。様々な現場でサーモ表示の人型を確認しているから、大きさや温度で大体の検討がつくのだ。
報告を聞いたライルが唸る。
「そんなはずねぇよ。ここには、30人ぐらい男連中が居たんだぜ。」
納得いかないのも無理はない。集落で過ごしていたとはいえ、ライルも坑道から出てきた男達を見ているのだ。
すると今度は別の隊員が口を開いた。
「そういえば、ある小屋で変わった事を言っていました。」
「どんな?」
すかさずトーマが問うと、隊員はやや躊躇いつつ答える。
「おそらく夫と思われる名前を叫んでから、粉まみれとか何とか……。」
壁越しではあったものの、3人とも趣旨は同じように聞き取っているから間違いないだろうと補足した。
トーマはしばし思案してからパンッ手を叩いた。
「ライルの話と俺たちの探索に差異があるんだ。消えた30人の所在を調べるべきだろうな。日が昇ったら行動開始だ。それまで30分ほど待機。」
そしてトーマは近くの小屋の壁に背を預けた。
「なら、俺は仕事に戻るぜ。坑道にツレが居るんだ。もし出てきたら、俺は怪物を追ったって伝えてくれ。」
と言い残してライルは怪物の血の跡を辿って走り出した。程なくしてその姿が山の傾斜に見えたとき、ライルは四足獣の背中跨っていた。ライルは星の姿を具現化できるのだろう、つまりそれなりの手練れということだ。
トーマ達と離れて数分を数える間もなく、ライルは尾根の向こうに姿を消した。尾根を越えれば直ぐに公国領だ、怪物達に追いついたからといって何かできるわけではないが、所在を確かめておく価値は十分にある。
トーマはライルが消えた尾根を眺めながら呟く。
「せいぜい公国軍だか保安局だかに捕まらないようにって感じだな。」
徐にベストのポケットから端末を取り出し、画面を確認する。ラークからの連絡はまだない。つまり……。
「あ、流石に圏外か……。」
鉱山の中は巨大な密室のようなものだ。非常事態に備え、適度に連絡を取っておくのが望ましいと考えていたが。
「まあ、仕方ないな。」
トーマは端末をしまうと、待機と称した休憩に戻った。
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