第11話
充分に眠ったが、外はまだ暗い。室内の空気は冷たく、窓は白く曇っている。
日の出が近い、そんな時間だろう。ライルは突然目を開けて毛布にくるまったままむくりと身を起こす。
扉の横ではベルクが息を潜めて外の気配を探っている。既に身支度も終えて、いつでも交戦できる状態だ。
「目的の星か?」
ライルは装備を整えながら問いかける。ハーネスを取り付けて上着を着るだけ、ものの数分で準備できた。
「いや、違う。こいつらは危ない。何倍も。」
ベルクは性質上、星に対して敏感だ。そのおかげで坑道の中で星の気配を辿ることができた。加えて星はその力が強いほど気配が大きくなる。上手く使役している者なら星の力を使わない間は気配を隠すことができるが、鉱山に潜む宿主は星に憑かれて半月程度。気配を隠しきれなかった事も都合よく作用した。
対して今まさに迫り来る気配は、かなりの手練だ。ソレらが尾根を越えてきたその時、ベルクはその気配によって半ば叩き起こされるように目を覚ました。
まるで山肌を撫でる霧のように、逃げようの無い瘴気が身の回りを覆い尽くすようだった。
この気配の源は、恐ろしく醜悪で残虐、途方もなく穢れている。ただ力を使って鍛え上げたのとは訳が違う。想像もつかない数の命を刈り取って来たに違いない。
そんな奴らが臨戦態勢で集落に踏み込んで来たのだ。ベルクはここ数十分息が詰まりそうだった。しかも気配は確実にベルクたちに近づいてくる。もう既に足音が聞き取れるほど近い。
ベルクが明らかに神経をすり減らしている。
かつて無いほどの狼狽している後輩の姿に、ライルは久しぶりに同情を覚えた。
生まれのお陰で重用され、期待にも十分に応える。そのくせ奢らず、常に謙虚に立ち回るので、周囲からは一層好まれる。
ベルクは星に愛されるアンシャール。
なにに星を使役できない落ちこぼれのくせに。
自身も星に憑かれているから、ライルもそれなりに星の気配は分かる。しかしベルク程ではない。そのせいで何度も苦い水を飲まされて来たが、今回はそれが程よく作用した。今は迫り来るものが危険であることだけ分かれば十分だ。
下手な緊張は綻びを生み、取り返しのつかない事態を招きかねない。
ライルは壁に背を預け、ベルクとドアの間に割り込むように並び立ち、囁く。
「一人は、タッパがありそうだから男か。にしちゃ足音が軽いけどな。もう一個は……犬?」
朝靄によって、水気を帯びた土を踏む足音。広めの歩幅で悠々と進む足音と、土が跳ねる4つの音。
4つの音の内2つは軽く、もう2つは明らかに重さが加わっている。四足獣なら足音はもっと均等なはずだ。
足音はもう小屋のすぐ近くまで来ている。さてどうするか。
ここで勇猛果敢に飛び出すか、或いは通り過ぎるのを祈るか。
ソレの狙いは坑道の中の星で間違いないだろう。
となれば、遅かれ早かれ一戦交える事に変わりはない。
ライルは拳銃を握り直してスライドを引いた。その音が、冷暗な古屋の中ではやけに響いた。ベルクが咎めるように視線を向けた時だ。
「あら、誰か起きてるのかしら。早起きさんねぇ。」
落ち着いた響の、しかしあえて高くしているような……そんな声だった。
その声に応えたのは、吐く息に嗄れた声が乗ったような不気味な呻き声だ。
「そうねぇ。確かめてもいいけど、きっとお爺ちゃんやお婆ちゃんよ。ここはお年寄りばかりだもの。」
そう言って、声と共に足音が扉の前にやってくる。そして、扉が叩かれた。
「ねーぇ、誰かいらっしゃるぅ?」
ベルクとライルは息を殺して可能な限り気配を消した。
「ほらねー。心配しすぎよ。」
すると癇癪を起こしたように、金切声を上げながら地面を何度も叩きつける音がする。
「もー!お姉さんの悪い癖よ。よしなさい。ここの人が起きちゃうでしょ。」
声の主が”お姉さん”を叩いたのだろう。肌を打つ乾いた音がひて、怯んだ犬のように甲高いスンスンという声が聞こえる。そして足音は古屋の前を東から西へと過ぎていく。
わざわざ集落を一周した事ということは、やはり星を探しているのだろうか。
集落の中には居ないと分かり、坑道を目指している……。
坑道の入り口は古屋を出て右手、古屋の扉は左開きだ。
「いいかベルク、ドアを開けたら裏に回って坑道に入れ。奴らより先に星を確保しろ。」
「ライルは……。」
どうするのか?問われてライルは思わず鼻で笑った。
「俺は足止め役に決まってんだろ。」
「でも……。」
「心配してくれんなら、アイ・シンに連絡しとけ。部下が困ってるから、対ヘリ用の弾でも打ち込んでてくれってな。ほら行くぞ。」
ライルはベルクの襟首を掴んで扉を開けた。同時に左手側に投げ捨てるように放り出すと、自身は扉の前に回り込んだ。その流れで左手でホルダーからライトを抜き取り、右手の拳銃と共に構える。
突然光に晒された人物は、眩しそうに手で光を遮りながら振り返る。もう一方は背中を丸めて、前屈みの姿勢のままじっとしている。
振り返った人物は、キレイにセットされた長い髪を肩に流し、ボリュームのある艶やかなグレーの毛皮のコートを来ている。コートの裾から覗くスカートもブーツも決して軍用の物ではない。まるで都市部の中でも富裕層が行き交う場所で過ごすような装いだ。ブーツにヒールがあるせいか、背丈は180センチはありそうだ。顔はきちんと化粧を施している事もあり、街中ですれ違えば思わず振り返ってしまうだろう。
「あら、こんなに朝早く人が居るなんて。お姉さんが正しかったわね。」
この場にそぐわない美人は、低く唸り続けるお姉さんの背をそっと撫でる。その手の爪も整えて色を塗り、ラインストーンをあしらった綺麗なものた。
「お前見たことあるぞ。まぁ、所属は知らないどさ。公国の人間だろ。」
すると美人はクスクスと笑い出す。
「あらぁ、私たちをご存知なの。生憎私はあなたの事を知らなくて、ごめんなさいね。今はお散歩で来たのよ。だから完全にプライベート、私の籍も役職も名前だって今は関係ない。だから名乗らなくてもいいかしら。私も聞かないから、ね。」
「あぁいいぜ、俺も初対面に名乗る気はねぇからさ。こんなど田舎に、やけに綺麗なカッコでどんなお散歩に来たのかだけは知りたいけどな。」
美人はわざとらしくその場で一周回り、首を傾げる。
「綺麗かしら、普通よ。確かにヒールは良くなかったわね。けどフラットシューズは嫌いなの。」
そしてクスクス笑い出す。ライルがあからさまに顔を顰めたので美人は笑うのをやめ、再び口を開く。
「だって、ここにはとっても強い星があるんでしょぅ。連れて帰ったらインペラトルはきっと喜んでくれるわ。」
インペラトルは公国で将軍や指揮官に与えられる称号のはずだ。つまりこの美人がやはり軍人で、公国軍の中でもかなり格の高い将校の下に属しているという事だろう。
「悪いが星はうちが先約済みだ。それに、欲しけりゃ土穴の中に潜らないとだぜ、お洋服を汚したくなかったらさっさと帰んな。お綺麗なお兄さん。」
「別に普段着だもの。汚れたって構わないわ。それよりも……。」
美人はライルに歩み寄るり、ライルの右手首を掴んで捻るともう片方の手でコートのポケットから連絡用の端末を取り出して、カメラのライトを点灯させた。
「やっぱりねぇ。あなた中々整った顔してるじゃない。内海の方の生まれかしら?もしかして、子供の頃はとっても可愛いかったんじゃなーい?ヒナなんて呼ばれていたりするのかしら……。」
「その話はするんじゃねーよ。」
ライルは捻られた手首を無理やり捻り返して拳銃の引き金を引いた。放たれた弾丸は美人の髪を掠めて、代わりに美人を押しのけるように飛び込んで来た生き物の腕を貫通した。形は人間のもののようではあるが不自然に長く、太さもある腕を押さえて、生き物は地に転がり悶える。
「あらお姉さん、大丈夫?」
美人は言葉ばかりで、声音にも態度にも心配している様子は全く感じられない。
「血が出てるじゃない。仕方ないわね、外してあげるけど暴れちゃダメよ。」
美人はお姉さんの体に着いた金具に指紋を読み取らせて、戒めを外していく。戒めが取れた体は溢れ出すように嵩を増して、地面にだらりと拡がる。上体をだらりと前に倒した姿勢のお姉さんは、腕はオールのように平く長く、体は肥大し、脚は短く退化して、まるでセイウチのような姿に変わってしまった。美人とほぼ変わらない体高で、人と同じ形の頭部、口は耳まで裂けて、削った岩を刺したような歯が並んでいる。やはり傷が痛むのか、甲高い悲鳴を上げながら激しく身を揺すった。美人が宥めるように身体をさすってやると、落ち着きを取り戻したお姉さんは、ゆっくりとライルを見やり、身を低くして唸る。
今にも飛びかかりそうな姿に、ライルは咄嗟に銃弾を撃ち込む。8発撃ち込んだところで、いい場所に当たったのだろう。お姉さんは仰向けに倒れた。
「お姉さんてばもー。びっくりさせるからいけないのよ。頑張って起きて、あなた重たいんだから。自力でなんとかしてね。」
美人は手を叩いてお姉さんを焚き付ける。お姉さんと呼ばれる怪物は唸りながら体を起こそうと身を捩る。しかし突如怪物の四肢が青く燃え上がり、青い火の中から現れた杭状の氷によって貫かれた。
今度は美人がライルを睨め付ける。
「あらぁ、貴方約束破りのライオンさんだったのね。」
そしてゆっくりと口端を上げる。
「インペラトルへのお土産、貴方にするわ。その方がきっと喜んでもらえるもの。ねぇ、そうでしょ?」
「知るか。約束を破ったのは俺じゃない。だから俺には関係ない。」
毅然と佇むライルの背後から、白いライオンが姿を表す。雪と氷で作られたような獅子はライルに憑いた星の力が可視化されたものだ。
「関係ないなんて無責任ね。そのライオンをくれるから、公国の力を貸してって言ったのは、貴方のお父様でしょ。」
「知るか。」
例えそうだったとしても、父親が誰とどんな話をしていたかなど、ライルが知るよしもない。ライルが知っていることは、この獅子を従えて連邦に亡命しろと言われたことだけ。それ以外のことなど、何も知らない。知らないのだから責任のとり用などあるはずもない。
ライルは星の力によって、周囲に火を放った。青い炎は朝靄に触れると凍てつき、怪物の体と美人の足を巻き添えにして周囲の地面を凍らせた。
「へーそう。私、無責任な人って嫌いなのよね。貴方、生まれはいいくせに所詮肩書きだけなのね。知らぬ存ぜぬでまかり通ると思ってるなんて、まともな躾をしてもらえなかった証拠だもの。……そうだったわね、ごめんなさい。小さい頃に家族は殺されて、亡命先では悲劇の王子様だったんなら、非常識のお馬鹿さんで当たり前よね。」
貶されれば頭にくるのは必然。しかも生まれについてはライルが避けたい話題でもある。
「うるせーなカマ野郎。その気色悪い生き物をお姉さん呼ばわりして、連れ回して悪趣味も甚だしいくせによ。他人の躾だ責任だの偉そうなこと吹いてんじゃねえぞ。」
そして再び青い炎が美人の足を燃やすと、氷が更に迫り上がり、美人の脹脛あたりまでが凍りついた。しかし、美人は相変わらずクスクスも笑っている。
「だって本当にお姉さんなんだもの。お姉さんもお馬鹿さんでね。私たちが星の民の血を継いでるって信じていたの。そんなの嘘に決まってるのにね。あんまり言いふらすものだから、ついに鯨を憑けられちゃったってわけ。当たり前よね、属国に組み込んだ異邦人なんて公国にとっては人権なんて有って無いようなものだもの。こんなにおブスさんになっちゃって言葉も話せないし、お馬鹿さんの代償ってことかしら。」
水に関わる星はアンシャール以外は使えない。海獣である鯨を憑けられたお姉さんは、その力に呑まれ、挙句不気味な生き物に姿を変えてしまったというわけだ。
「そうそう、私も星をもらったんだけどね。そのおかげで、お姉さんとっても強くなったのよ。」
美人が異国の言葉を口ずさむ。独特の抑揚を持った唄のような言葉は、心地よいような薄寒さを感じるような、まるで幼児をあやす子守唄のようだ。
唄声に合わせて、地面に貼り付けられた怪物がキュルキュルと泣き始める。焚き付けられたように四肢に杭を刺したまま勢いよく起き上がった。
起き上がった怪物は自らの腕に噛みつき、流れ出した血を美人の足元に落とす。血の温度で氷が溶け、美人は軽く足を持ち上げただけで容易に氷の捕縛から脱出してみせた。
そして、美人は口ずさむ唄の曲調を変える。すると怪物はライルに向かって咆哮し、体躯に見合わない機敏な動きで襲いかかってきた。
体当たりを仕掛け、ヒレのような手を振り下ろし、体を捻って尾ヒレと化した足で蹴りを入れる。ライルはそれらを躱して、反撃を仕掛ける時を待つ。隙を見て獅子に噛み付かせ、怪物の肩を抉った。
深傷を負っあ怪物は、痛みと怒りを露わにした咆哮を上げる。
「そうね、顔がわかる程度にやっちゃいなさいよ。」
美人が呟くと、怪物は大きく身を逸らせる。
すと何処からともなく水が湧き出し、重力に反して空中を漂い、互いに結合し合い、水の塊を作っていく。
土の中や空気中、石壁の中、身の回りのあらゆるものから水の元素を寄せ集め、凝縮しているのだ。
怪物がその身を地面に叩きつけると、凝縮された水が弾け、津波のようにライルに向かって押し寄せる。三方向を水に塞がれ、退路は背後のみ。背後に逃げたところで水はどこまでも追ってくるだろう。
ライルは至極冷静に、獅子に命じて青い炎の壁を作りだした。
ライルへ覆い被さろうとした波は、炎と接したところから凍てつき、ほとんどその形を留めたまま氷壁へと姿を変えた。
目の前の情景に安堵するのも束の間、再び怪物の咆哮が響き渡る。しかし怪物の体は無数の氷が刺さり、おびただしい血が流れ出している。
ライルから見て波の真後ろに居た美人と怪物は、青い炎とぶつかって氷となった水の跳ね返りを受ける羽目となった。加えて、風に舞った火の粉が朝靄を凍らせ、怪物と美人に降り注いだのだ。
美人は怪物を操作して襲いかかる氷から身を護る盾にしたに違いない。出会った時とさして変わらない、こ綺麗な姿で立っている。
「貴方以外とやるじゃない。一緒にいらっしゃいよ。インペラトルはきっと貴方を気にいるわ。」
「結構。生憎俺は頼れる上司が居るんで。」
「あら残念。じゃぁお姉さん、心臓だけ残して食べちゃいなさいよ。」
美人が唄い始めると、怪物が高く響く咆哮を上げた。
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