水中散歩

 あれから二時間程度、新しい合宿所の説明をがっつり受けて、今は初日の夜をのんびり過ごしている。シャワーを浴びた俺は上半身裸のまま、寝る前の歯磨きをしていた。風呂の順番は、所要時間や希望を汲んで俺、ミホ、コモケー、天草先輩に決まってる。着替えをルール化したのに別にここでいいやと済ませてみたはいいが、湿り気のせいでシャツがダメになると分かって後回しになっている。


「きーちゃん、入っても平気?」

「ほぉ、へんへんいいほ」


 歯磨きに集中しながら返事すると鏡越しにミホが見えたが、びっくりしたようにカーテンを閉めた。うがいで口をスッキリさせた後、右肩にシャツをかけて狭すぎベッドスペースで縮こまるミホに声をかける。


「待たせたな、ミホ」

「うん」


 入浴セットを抱えたミホは急いでユニットバスに向かっていった。生活環境が変わったせいか、なんかミホの奴ずっとオドオドしてるような気がする。

 

「うわぁ〜! 下がって下がってェッ!」


 コモケーの迫真コールが俺のベッド反対、下側からする。設備が無いから、特別に用意して貰ったゲーミングノートパソコンでなんとかやってるみたいだ。サムバしか出来ないって嘆いてたけど。


「北水さん、鍛えてるの? いい身体してるなあ」


 上を着ないのはこれが本命だ。コモケーの上のベッドでくつろいでいる天草先輩にさり気なく見せる、情けない所を晒しまくってるからちょっとした肉体美で挽回するしかない。


「俺、水泳部なんすよ」

「へぇ。なら、あの水槽で泳げたりして」


 反応はいい感じだ。一緒の部屋でどうなる事かと思ったけど、二人っきりじゃないから緊張しないし近い距離感で過ごせるだけでも幸せ過ぎる。ここで勝負に出るか。未だに達成出来てない写真撮影を。


「あ、あの! 天草先輩」

「なに?」

「今からリビング水槽を泳いで……みせようかな〜、なんて」


 少し滑ったのが分かって汗がじわりと出る。天草先輩はベッドに身を乗り出して、俺を見下げているようだ。


「さすがに止められるでしょ。あ、そうそう。ミホノセキの前では服着た方がいいかも。さっき恥ずかしがってたから」

「へ? ミホは平気なはずですけど」


 だって下ネタ言い合う仲ですし、とは言えないが俺の中では自信のある根拠だ。私生活がこうってのもあるけど、天草先輩は大丈夫な気配するし、コモケーも眼中にないのは気配で分かるし、遠慮する要素が無いから着なかったんだ。


「お嬢様にはちょっと刺激が強いんだよ。気遣ってあげて」

「まぁ……分かりました」


 ミホの事、一番理解してる気でいたけど変質者に嫌な事された過去を考えたら言う通りにするべきか。

 ——刺激的な事は、俺も天草先輩からされてますがね。すると、その本人が二段ベッドから身軽に降りた。


「北水さん。今からリビングの水族館、探検しに行かない?」

「行きます!」と即答した。


 いつも天草先輩は気軽に俺を誘ってくれる。シャツをちゃんと着てからドミトリーの醍醐味であるリビングスペースに出ると、透明人間を含む数人の生徒が水槽を眺めていた。

 チャンネル固定の大きなテレビを中心に、ソファーとテーブルが広々と置かれていて、二十二時までなら好きに過ごしていい事になっている。だが、施錠される前にベッド付属の生体認証を完了させないと合宿職員による一斉捜索が入るらしい。前と比べ物にならないくらい、セキュリティが厳しくてビビる。


「娯楽はこれだけか、やっぱり」


 天草先輩は面白そうに水槽を見ているみたいだ。そこに群れで泳ぐ小魚が集まってきて、連れるように二人で並んで歩き始めた。よく見ると何匹か、違う色の魚が混じっている。


「スイミー思い出すね、北水さん」

「国語の教科書に載ってた奴ですか」

「あれ、何を伝えたい作品か分かる?」


 注目されて俺は焦る。当時からそんな深い事まで考えてねぇけど、ここで良いこと言えたら印象爆上がりなのは確実だ。魚群を凝視して、子供の頃思った事を探り当てる。


「自己発見、とか?」

「おお」

 正解か、正解なのか。めちゃくちゃ反応がいいぞ。

「みんなでいれば怖くない、って言うと思ってた」

「俺、最後に集まるシーンより一匹で泳ぐ所がなんか印象に残ってて……合ってます?」

「絵本は好きな所を探すのが主旨だから、正解なんてないよ」


 天草先輩はそう言って、ゆっくり泳ぐ魚群の後に続く。俺は背後から、そんな姿ばかり見ていた。


「深海は宇宙より謎が多い場所なんだよね」


 その言葉で立ち止まり、秘密だらけの姿でガラス張りの天井を見上げる先輩は、深くて暗い青に染まっていた。そこに太陽は届かない証明であるかのように。

 俺は光を求めてスマホを手に取った。そして誘導する、深海に漂う天草先輩を。


「合宿の記念に、写真を撮りませんか……俺と」

「いいけど、全然映えないよ?」


 今まで緊張していたのが馬鹿らしくなるくらい、すんなり受け入れてくれた。ミホに言われなきゃ写真を撮るって発想すら浮かばなかったし、女子の助言はやっぱ為になるもんだ。

 背景を巨大水槽にして二人並んだはいいけど、どんな表情をすればいいんだろう。相手はシルエットしかない、俺だけ笑ってたらおかしいんじゃないか。


「笑って」


 天草先輩の一言でシャッターを押してしまった、二人で画像を見直すと俺は学生証みたいな建前笑顔になってる。全体的に暗いし、写真としては微妙だ。


「映えない方が、いいねやっぱり」

「……なんか、分かります」


 俺は薄暗いスマホを見ながら、自然と納得していた。この飾らない一瞬が、理想に当てはまらない感じが、好きだ。

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