4話 人の欲とはなんとまあ
「まあ、どうでもいいんですけど」
「やん! もぉ、暗いって。
あーあ、今日は
自分に出来ることはせいぜい事件の早期解決だ。それが市民の安全に繋がるのだと、
兄の
切り替えの速さは長所でもあるのだが、人狼の血を持ち、感情の機微に敏感なワイアットがやりづらいと唇を尖らせている一因でもあった。普段は比較的温厚な澄と組んでいるのだから、違いに振り回されるのは当然だ。
「で? なんで昼間から男二人で住宅街来てるわけ」
「先程再現してたじゃないですか、証言」
「何? もっかい見たい?」
「結構」
「ノリ悪。じゃあなんか雑談しよ」
「はあ。では、その顎髭いつまで生やす気です? ワイアット殿童顔ですし、ぶっちゃけ似合いませんぞ」
「わあ、シンプルに辛辣」
「澄も良くこれに付き合いますな……私には理解出来かねる」
「ひでぇなあ。僕とも仲良くしてよぉ。
とりま瞠っち、おっぱいどんくらいが好き?」
「いい加減にしないと我々が通報されてしまう。さっさと終わらせますよ。
――程よく大きい方が好みです」
目的地へと歩き出した瞠の背に向かってワイアットは肩を竦めた。
「真っ昼間からアロハシャツと吸血鬼の組み合わせって最高に目立つし、今更じゃね?」
昼間だというのに人通りのない住宅街。
ぴたりと隙間なく閉められたカーテンから、ひしひしと感じる視線がこそばゆい。
「人間って本当、かーわいい」
人間社会――否、人間そのものを肌で味わい、楽しみながら、支配者の一角たる男は美しい唇を釣り上げて笑う。
瞠から見れば理不尽に命を奪われる世界であり、それ故に
しかし、それらを生み出した側の存在であるワイアットから見れば、人間の領域は動物園だ。
楽しいから足を運ぶ。
――そう、ワイアットは人間を愛していた。人間に対して好意的であったからこそ、こうして取締を手伝っているのである――
「可愛い子には優しくしないと、ってのが僕の主義だからさ。他の奴らは知らねえけど」
そう、だからこそ気を許してはならない。
何故なら――違いを認識しない彼にとっては、歓喜の声も、絶望も、苦悶の声すら、全て愛らしい鳴き声なのだから。
それを理解しているからこそ、瞠は思うのだ。優しさを持ち合わせている?
本当ならば、さっさと引っ込んで人間に関わらないでくれと。
そうしてくれたら現状は変わらずとも、このやるせなさも少しは報われるだろう。
扉の先にあるであろう惨劇の爪痕も、飽きる程見なくても良いはずなのだ。祈る様に、瞠はとあるアパートの一室を開いた。
「……黒ですな」
「んにゃ。兄ちゃんに連絡するわ、どこのやつ?」
「グリモアの流通ルートは年々増えていますが――」
ごく普通のワンルーム、大量の在庫と思われるダンボール、乱雑に敷かれた布団、それから使用済みの注射器と、見たくもない乾涸びたラテックスの――瞠は靴も脱がずに室内に上がり込む。
「ここに居るのは末端、せいぜい金に目が眩んだ一般人」
家主はコンビニにでも出掛けたのか、つけっぱなしのコンピュータが部屋の済で淡い光を放っていた。
「こいつ大学生かなんか? パスワードこんなとこに貼っといちゃ駄目っしょ」
後からやって来たワイアットもディスプレイを覗き込む。
どうやら素人らしい。パスワードを入力すればすぐに答えは見つかった。
「あー、クーロンね。了解了解」
「最近活発になりましたなぁ。
「
「ええ……お陰様で上司の機嫌が常に最悪です」
「うける。
「誰のせいだと」
「え? 兄ちゃん」
お前もだ。という言葉は呑み込んで、いつの間にか立派なゲーミングチェア上であぐらをかくように座っていたワイアットを促した。
「ほら、仕事する」
「はいはーい……あ、兄ちゃん?
僕だよぉ。
そ、女の子死んじゃったやつ。うん、クーロンだったぜ。あー、一般人。ずさん過ぎて笑っちゃった。そー、ド素人。たださ、この区じゃハジメテじゃん?
うんうん、だから追跡よろ! こっちはやっとくから。じゃ!」
通信機もなしに人差し指を側頭部に当て、兄へ現状を報告する姿は発言も相まって何とも不安に駆られる。あれで伝わるのか? と。
「対応するってさ。え? 何その顔」
「ワイアット殿、端末はどうしました?」
というか、先週は持っていたはずだ。
瞠は心底どうでも良かったが、一ミリ程湧き上がった好奇心に負けて問いかけた。
「壊れた!」
「もしかして子供でいらっしゃる?」
発売したばかりの最新式だったはずだが?
人一倍背の高い瞠には椅子よりPCデスクの方が丁度良い高さだったらしい。腰掛けたと同時に部屋の扉が開いた。
「おや――お帰りなさい」
成人して間も無いといった風貌の女が、震えた声で誰だと叫ぶ。
本当に普通の、何処にでも居るような、人畜無害そうな――きっと何不自由なく、愛されて生きてきたような、だからこそ、贅沢にも普通に飽きてしまったような――そんな女だった。
「警察ですよ」
「それと、ナイトウォーカーのイケメンくん」
咄嗟に再び扉を開こうとしたその手より速く、椅子でケタケタと笑っていたはずのワイアットが女の両手首を掴む。
「あちゃあ、駄目だね。肉が傷んでる」
女の顔を覗き込んだワイアットは眉を下げる。困惑した女はてっきり容姿の事を指したのかと反論するが、そうではない。
「グリモア扱う時に何も防護服とか、マスクとかしなかったっしょ? 傷んじゃってるんだよねえ、肉がさぁ。残念残念、部屋に何もなかったからもしかしてと思ったんだよね」
何の話だと困惑する女。
ワイアットは続ける。
「警察とかはね、特殊な対グリモア用の薬使ってるからある程度大丈夫なの。だけどそれさ、めっちゃ高いんだわ。だから一般人には回せない。
夢梯ってやつが開発したらしくてさ、うちのユーくんもどうやったのか分かんねえってキレてるくらい――まあ、早い話、なぁんも対策しなかった君も近い将来バグっちゃう! ってわけ」
思いもよらない事実を告げられ、女は金切り声を上げた。そんな話は聞いていない、楽に稼げると聞いただけ、などと。
抵抗しようにもワイアットはびくともしない。ただただ楽しそうに笑っているだけだった。見た目からも、検査をしても人間ではバグ化の進行など判別出来ないが、人狼の血はそれを見逃さない。
「でさ、君この部屋で寝たでしょ? 男友達かなあ。せめてあれは捨てときなよ、汚くない? ま、いいや。それも危ないからさ、誰と仲良くしたのか後で僕に教えてね。迎えに行かないと! ――え? そうだよ。お友達もバグっちゃうからさ」
自分はどうなるのかと、女は震えながら問う。それを拾ったのは瞠だった。
「後先を考えずに、目先の快楽に負け……幸せな家庭を壊した罪は償っていただかねば」
連れて行っていいですよ。
冷たい声が女の心臓にとどめを刺した。
「はいよ。じゃ、報告はまた後で。車呼んでくれた?」
「外にいますよ。ああ、報告は端末にして下さいね」
「また新しいの買っとくわ! よしよし、行こーね」
抵抗をやめた女を連れて、ワイアットは部屋を後にした。
やがて遠ざかる車の音を聞きながら、瞠は前髪をかきあげて、ぐしゃりと握り潰す。
「……度し難い」
敵は吸血鬼だけではないのだ。
どんなに守ろうと――いつの時代も。
「それが世界の仕組みというのなら」
――救いなどありませんよ、貴方はどうするのですか。
瞠の問に、答えるものはいなかった。
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