3話 高潔な乙女の墓標は屍に埋もれ

 藤月真由紀ふじつきみゆきの心は死んでしまった。

 友人達が出荷されてから数週間、今どうしているか、無事であるかを考える事すら出来ない。真由紀の心はあの日、あの部屋を出てから正常な機能を失った。

 生来真面目な気質であったせいか、殆ど笑わずに、淡々と仕事をこなす彼女に疑問を抱くものはおらず、最悪なことに寮で一人暮らしをする彼女の変化に気付くものは多くはなかったはずだ。

 それが余計に真由紀を追い詰めもしたし、麻酔のように痛みを紛らわせる薬になった。

 

『誰も君を責めない』


 警視総監は言ったそうだ。

 責めない。そうであろう。

 あれを目の前にどうして誰かを責めることが出来ようか、人間の持ちうる兵器では彼らに敵わないのなら、政府も何も、悪いとは言えない。

 強いて言うのなら何故――何故我々の先祖たる人々は、神秘の住人が見過ごせない程の争いを引き起こしたのだろうか。

 ああ――それすらも、もしかしたら真の支配者たる、神秘そのものたる彼等が仕掛けたのだとしたら。


「誰も責められませんよ」


 どんなに足掻こうとも、ここは彼らの掌の上だと。まだ新しさを残した制服に袖を通し、藤月真由紀は市民を守るべく街へ出たのだ。今日はパトロール中心に行うと上司から伝えられていたと聞く。担当地区は閑静な住宅街であるが、何でも最近不審者が度々目撃されていると住人から声が上がっていたらしい。

 ――この世界に希望はない。ならばせめて、出来るだけのことを。

 不安の種は取り去るのだ。それがどんなに些細なものであろうとも。世界の仕組みを知っているのは極一部なのだから――知ってしまったならば、果たさねばならない。逃げることは許されないのだ。

 警察、政治家、そして国を支える財閥、各々が何らかの形で人間社会の維持に務めている。警察関係者でさえ全員が詳細を知っているわけではない。

 ――当たり前だ、無実の罪を着せ、出荷される市民を回収する役割に就くのだと!

 そう聞かされて誰が志すか!

 何も知らない市民が、夢を見て憧れて就いた先がこれだ。特に将来性を見込まれた者にのみ明かされるとしても酷だろう、努力の対価としてあまりにも残酷だ。

 ……何も知らないほうが幸せだった、藤月真由紀はそう感じていたのだ。

 彼女が上司と足を運んだこの住宅地に住む全員が、出荷される可能性を己が孕んでいるなど――知る由もないのだ。


「で? 調査の進度は?」

「不審者の見た目……ではないんだけど。皆来みなきさんの家、最近ちょっとおかしいのよ。

 旦那さんが帰って来ないのもそうなんだけど……。

 奥さんが急に元気になって、それからめっきり見なくなって……巻き込まれたりしてないかしら」

「真似はしなくて結構、御苦労様です」

「これくらいノッてよみはるっち」

「我々も忙しいんですよ。

 新人は死ぬし、バグは増えるし、皆来家は健康ドリンクキマってただけで旦那は長期出張、奥方もそれに付いてっただけ」

「でもさあ、でもさあ、迫真の演技だったっしょ?」

「やかましい。

 それより先日のバグ駆除から数日経ちましたが、業者は見つかっていないのでしょう?」


 ――藤月真由紀は死んでしまった。

 彼女が住宅地に足を運んだのはおよそ七日前。彼女が警察として必死に生きた期間は一年にも満たない儚いものだった。


『知ってしまったならば逃げられない。

 この世に生がある限り』

 

 今この場に立っているのは、身を投げた、清く正しく美しくあろうとした乙女とは真逆の存在だ。

 一人は二メートル近い背丈に派手なアロハシャツ、艶のある黒髪を半分ネオングリーンに染め、ハーフアップに纏めた三白眼の男。

 そしてもう一人は癖のある小麦色の髪を高い位置で結い上げ、所謂ツーブロックというスタイルで襟足付近を刈り上げたスタイル。黒色のシンプルだが、ひと目で上質と分かる生地のベストにスキニーパンツを履きこなした赤い瞳の吸血鬼――童顔にそぐわない顎髭が、整った顔にミスマッチを起こしていた。


「おかしいですなぁ、人狼の血統をお持ちの貴方が手こずるとは。ねえ?

 夜の国、序列六位――ワイアット殿」


 ワイアットと呼ばれた男こそ、夜の国のトップであるセンリを筆頭とした六人――その末席たる存在である。

 分かりやすく表すならば彼らは王と、最高位の貴族だ。住宅街で警察と軽口を叩き、調査などに同行するような立場ではない。


「かったいなぁ、人生楽しんでる?

警視庁特殊犯罪対策部けいしちょうとくしゅはんざいたいさくぶ人体変異薬物対策一課じんたいへんいやくぶつたいさくいっか――島杜瞠しまとみはるくん」


 歴代の支配者達は殆ど姿を表さず、人間の出荷も犯罪者などの引き渡しで事足りていた。バグも、対価もなかったのだ。

 それがセンリ率いる現メンバーに代替わりしてからどうだ。

 何を思ったか、積極的に支配階級が人の世に関わるようになったのだ。

 そして、その干渉が違法薬物グリモアが人間社会に広まり、バグを生み出すという悲劇を招いたのである。


「――……楽しいですよ。それなりに」


 支配者の好奇心により、最後の壁を失ったこの世界に立っていられるのは――何も知らない人間と、憎悪と憤怒で心を焼ける奴だけ。

 覚悟や信念、そういう高潔なものを持ったやつほど砕け散る。

 そうして生き残ったのが自分達だと、瞠は静かに憎悪の色を滲ませた眼で吸血鬼を捉えながら、上司である男の言葉を思い返す。

 それから高潔であるが故に脆く、命を絶った言葉を交わしたこともない後輩のことも。

 ならば自分に出来ることはせめて――

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