(冬吾)

 実習で初めて臓器を見たとき、僕は五人でした約束を守れないかもしれないと思ったんだ。


 必死に勉強した。周りの三人があまりにも優秀だったから。

 どうして僕だけ、こんなに落ちこぼれなんだろうと思った。

 必死で受けた試験は何とかなったのに、医者になるためには実習が必ずある。そこで僕は、挫けてしまったんだ。

 誰にも言えていないけど、今は医者ではなくブローカーをしている。

 実際に、検体や遺体、生身の人間を切るところを見なくて済むからだ。


 菜々のかもしれない腕を見たとき、体が強張った。

 身体が一気に冷えて、呼吸が浅くなった。

 未由と拓は平気だったのだろうか。

 そりゃあ、平気だよね。

 人の体を切り、悪い場所を切って、縫い合わせる拓と、薬を開発している未由。専門は法医学だ。検体を見ることなんて日常茶飯事だろう。

 菜々はどうだったんだろう。平気だったのかな?

 腕を見たときの、美代子さんの反応が一番人間らしいと思った。


 体育館へ向かうと、風鈴のおばあちゃんは、まだ眼鏡をかけて本を読んでいるようだった。

 僕は風鈴のおばあちゃんの近くまで行くと、しゃがんだ。

「あのう」

「おや、またあんたかい」

「何回もすみません」

 風鈴のおばあちゃんが少し嫌そうな顔をしたので、僕は途端に言った。

「さっきの話なんですけど・・・」

「ああ、父親の話かい?さっきも行っただろう?私にはわからないし、父親を知らないって。わかるのは、あんたらの母親ぐらいだねえ」

 おばあちゃんの目線が思い出すように、上を見た。

「やっぱり、そうですよね・・・」

 先ほどと同じ答えか。

「じゃあ、もう1つだけ」

「・・・何だい?」

「僕たちの母親は、あの貸家に引っ越してくる前から妊娠していましたか?それとも、住んでから妊娠しましたか?」

 この質問なら答えによっては、この町に僕たちの父親がいるかどうかの判断材料になる。

「そうだねえ」

 おばあちゃんが、首を傾げて考えている。

 まだ、時間がかかりそうな気がした。

「おばあちゃん、僕トイレに行ってくるから、帰ってくるまでに思い出せたら、思い出していてほしい」

「・・・わかったよ」

 僕は立ち上がった。

 さっき拓と男子トイレを回ったとき、体育館のトイレを見ていないことを思い出したのだ。

 今のうちに、確認しておこう。

「ひぃぃぃぃぃ」

 おばあちゃんが、いきなり奇声を上げ始める。

「どうしたの?」

 おばあちゃんは無言で、震える指をどこかに向けた。

 僕はその方向を見る。

 体育館の外側からの入場口に誰か立っているようだった。

 明かりのせいか、はっきりと見えないが白衣を着ているようだった。

 病院の先生か?

「お、お、」

 おばあちゃんが小刻みに震えているように見えた。

「おばあちゃん、大丈夫?」

「尾畑誠・・・」

「え?」

「あれが、あれが尾畑誠だよ・・・」

 そんなはずはなかった。

 先ほどの話だと、火事で亡くなっているはずだ。

 目を凝らして見るが、顔ははっきりと見えない。

 白衣の人物は、ゆっくりと出て行こうとする。

「あっ」

 言葉より先に体が動いた。

 本当に尾畑誠なのだろうか。

 僕は、白衣の男の後を追った。

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