6羽目
(冬吾)
「美代子さんが見当たらないんだ」
おかわりに行ったはずの拓が、息を切らして戻ってきた。
「そんな・・・トイレとか、他の教室は探したの?」
「ああ、今手が空いている何人かで探しているらしい」
未由の問いに、拓が答える。
拓が、手に持っていたおかわりのカレーを、近くの机の上に置いた。
焦っているのかいないのか。
菜々が見つからない以上、美代子さんが心配なのだろう。ただ、今姿が見えないだけで、もしかしたらすぐ見つかるかもしれない。
気分が悪くて、外に出ている可能性もある。
「拓、まず落ち着いて。腕が菜々だと決まったわけじゃないし、美代子さんだってもしかしたら外の空気を吸いに行っているだけかもしれない」
「だけどよう・・・」
いつもは頼もしく見える拓が、今日はなぜか少年のように見える。
ガキ大将で僕を守ってくれていたりしたのに。大人になればなるほど、失うかもしれないという恐怖は、大きくなるのかもしれない。
「とりあえず、早めに食べて私たちも探した方がいいかもしれないね」
未由が言う。確かにそうだ。
「ただ、いつも仕事しているときのように早食いは禁止で。せっかく炊き出しで作ってくれているんだから、しっかり味わって食べる」
未由がはっきりと言った。
医者は数ある仕事の中でも、早食いに属する仕事かもしれない。外科医の拓や、研究職の未由はかなり不規則になっているだろう。
僕の仕事はまだ二人よりは、時間の融通が利く方なのかもしれない。
手に持っているカレーを見る。昔は母さんの作るカレーというものが苦手で仕方がなかった。だけど、このカレーはとても美味しい。そして何より、みんなで食べられることが嬉しかった。
プルルルルルル
着信音が鳴り響く。僕のではない、誰の電話だろう。
未由がズボンの後ろポケットから、スマホを取り出す。
どうやら未由のスマホのようだ。
未由がなかなか電話に出ない。
「未由?」
僕は強張った表情をしている未由に声をかけた。
未由が立ち上がって、教室を出ていく。
一体、誰からの電話なのだろう。
「なあ、どうしてそんなに深刻そうな顔しているんだ?」
拓が僕の顔を見ながら言ってくる。僕にも色々と事情があるのだ。いつまでも子供の時のように純粋なままではいられない。
「・・・いや、こんなときに誰だろうって」
拓に動揺を気付かれないように、下を向きながら話す。
「そうだな。こんな状況を知らない人間か、よっぽど急ぎの用事があるかだな」
拓は机に置いていたおかわりを持ってきて、僕の隣に座った。
これでは、動揺を悟られてしまいそうだ。
「はは、冬吾。お前」
拓が僕のカレーの器を指さしてくる。
「昔と食い方、変わらねえな」
そう、ある程度食べ進めてから、最後の方でご飯とカレーを混ぜ合わせる。これは、壮ちゃんが教えてくれた世界一カレーを美味しく食べる方法だ。
たぶん、他にも美味しい食べ方なんていくらでもあるだろう。しかし、壮ちゃんは僕のヒーローであり憧れなのだ。ヒーロー亡き今、僕はその食べ方を真似して忘れないようにしている。
いつだか、誰かが『人間は忘れられたときが、本当に死ぬときだ』と、言っていた。僕はその言葉に深い感銘を受けた。壮ちゃんの思いは、僕が引き継ぐのだ。
「拓こそ、昔から食べ方変わってないと思うよ」
拓は必ず左にカレー、右にご飯のハーフでなければいけないらしい。さっき、炊き出しの際、ご飯の上にカレーをかけないでくれとお願いしていたのを聞いていた。
そう言えば昔から、その食べ方をしていたなと懐かしくなった。
「こだわりって、大事だよな」
カレーを一口食べながら、拓が言った。さっきまでの落ち着きのない拓はどこへいったのだろう。
頷きながら、さっき混ぜた分のカレーを口に入れる。
教室の扉が開き、電話を終えた未由が戻ってくる。
電話の相手は誰だったのだろう。出て行った時より、顔色はいいようだ。
「あ、旦那だった」
僕の顔を見た未由が言う。
「お~こんな状況を知らないほうだったか。旦那、どうかしたのか?」
「実家に帰るって言ってあるから。山火事がニュースでやっているけれど、大丈夫かって」
未由の言葉にホッと胸を撫で下ろした。そんなに全国区になるほど大事になっているのか。よほど、燃え広がっているに違いない。
金丸のおじいちゃんや菜々ことがやはり気になる。
「未由が結婚した時、俺、かなりびっくりしたのを覚えている」
「なんで?」
未由が座って、再びカレーを食べ始める。
「・・・」
拓が一瞬、言いづらそうな顔をした。きっと『壮ちゃんは?』という気持ちが、拓にはあるのだろう。
「式は今後もする予定はないの?」
僕は、カレーを混ぜながら未由に聞いた。
「する予定も、する気もない」
未由がキッパリと言う。未由が結婚したのは、二年ほど前だったか。いきなり報告してくるものだから、驚いた記憶がある。
カレーを食べながら、未由をちらっと見る。
未由と目があったが『?』の顔をしている。
電話がそんなに嫌だったのだろうか?さっきの強張った表情を思い出しながら、僕はカレーを食べた。
炊き出しのカレーを食べ終わり、美代子さんを探してくれている方々と合流する。みんな、顔なじみの近所の人たちだ。
「あら、元気だった?ちゃんと、炊き出しは食べてきた?」
久しぶりに会ったのにも関わらず、母親のような、祖母のようなことを聞いてくる。ここの地元へ戻ると、いつまで経っても僕たちは子供なのかもしれない。
「一応、あなた達の割り当てられた教室以外は、全ての教室は見て確認したの」
僕たちがカレーを食べているうちに、探し回ってくれていたのだろう。
「やっぱり見当たらないのか・・・」
拓が腕を組みながら言う。
「美代子さん、気分が悪いってトイレからしばらく出てこなかったのよ。ようやく戻ってきたけどカレーは食べられないと思って。おかゆ作って持ってくるねって教室を離れて、持っていったらいなくなっていたのよ」
「また気持ち悪くなって、トイレに行っている可能性は?」
未由が聞く。
「トイレも、女子トイレは私達で確認したんだけどいなくて・・・。男子トイレは、あなた達二人に確認してもらいたくて」
拓と僕が、何故か腕を取られる。なるほど、僕たちは男子トイレを確認する要員のようだ。
「あたし達と未由ちゃんは、外を確認するから」
近所の人たちは、未由を連れていく。
「夜だし、気をつけろよ」
「一応、女なんだから」
と、聞こえないように拓が付けたしたのが聞こえた。
「な~に、あなた達より長~くここに住んでいるんだから、大丈夫よ。校舎の周りと体育館の周りしか見ないし」
一人が笑いながら言い、昇降口へと向かっていく。
どうやら、聞こえていたようだ。
「あんたらも気をつけなさい、幽霊がでるかもよ?」
呑気なおばさま達だと思う。あれだけ美代子さんがいないと騒ぎ立てているのに、ユーモアを忘れたりはしない。
拓が呆れた顔で見送る。
「さ、俺たちも行くか」
拓がポケットに手を入れてこちらを見る。
僕は大きく頷いた。
停電で避難しているわけではないので、校舎内は比較的、明るかった。
拓と今いる一階から探していこうということになり、一階の男子トイレへと向かう。僕の記憶が正しければ、この校舎内の男子トイレは、三ヵ所あるはずだ。
「大体よ~、美代子さんだってここの高校の卒業生なんだから、女子トイレの場所は知っているはずだし、わざわざ男子トイレに行ったりしないと思うんだよな」
拓が言いたいことはわからないこともない。美代子さんが気持ち悪いからといって男子トイレに駆け込むことは僕にも想像できなかった。
「なあ、なんで未由は俺たちに結婚相手を紹介してくれないんだろ
うな」
「未由の結婚相手、拓も会ったことがないの?」
「冬吾もないのか?」
「・・・うん」
「俺たち嫌われているのか?未由に」
「未由に限ってそれはないと思う」
「そうか?」
「・・・うん」
一瞬、縁側での未由の言った
「嫌いではなかったよ」
の言葉がチクリとした。
多分、僕たちも金丸のおじいちゃんや美代子さんでさえも、未由の旦那さんには会ったことがないのではなかろうか。
そうこうしているうちに、一階の男子トイレに到着する。
拓が男子トイレの扉を押す。
ギィと少し音を立てて、扉が開いた。
電気がついていないので、やはり中は暗い。
「電気ってどこだった?」
拓がこちらを振り返る。僕はわからないので、首を傾げた。
拓がポケットからスマホを取り出して、ライトをつけてトイレの中を照らす。
「お~あったあった」
どうやら右手側にあったようで、スイッチを押すと、何度かチカチカしながら中の電気が付いた。
見た感じでは、美代子さんいなそうだ。
一応、二つある個室を調べてみるが、やはり美代子さんはいなかった。
「美代子さん、一体どこに行ったんだろうな」
拓が元気なく言う。
「あの腕を見た後だから、具合が悪くなっても仕方はないと思うけど僕たちに黙ってどこか別の場所に行ったりするかな?」
「・・・そうだよな」
僕の言葉に、拓が静かに答える。
「僕が怖いのは、美代子さんの腕か体の一部が、見つかることだよ」
「おい、物騒なこと言ってんじゃねえぞ」
「わからないじゃないか!」
僕自身がびっくりするくらい大きな声が出た。怒りそうだった拓が、驚いた表情をしている。
僕は自分を落ち着けるために、大きく息を吸った。
「僕だってありえないと思いたいけど、この状況ではありえることなんだ。だから、早く見つけないといけないんだ」
淡々と話すと、拓が黙って僕を見ている。
「見つけるったってよ〜」
「ねえ、拓。車での美代子さん、少し変じゃなかった?」
僕は車の中で感じた違和感を話して見た。
「ああ、あの夕暮れどきの魔女の話をしていた時か?」
僕は黙って頷いた。
「あんまり違和感は感じなかったけど『怪しい人を見なかったのか』と聞いた時、言葉に詰まっていたように感じたな」
拓が僕と同じところに違和感を感じてくれていてよかった。
「そう・・・。美代子さんは、もしかしたら僕たちに隠していることがあるのかもしれない」
「美代子さんが俺たちに隠し事か・・・」
「そうでなかったら『《《話していないこと》』があるのかもしれない」
「話していないこと・・・」
拓の顔が少し曇ったように見えた。
「拓、何か心当たりがあるの?」
「あっいや。なんでもない」
「・・・何かあるなら話して。僕たちの中に、秘密はなしだよ」
拓が何かを言いたいような顔で、僕を見た。
僕はその顔を見て強く頷いた。
「実はよ・・・」
拓がゆっくりと話始める。
僕は、拓の秘密を聞いた。
二つ目の男子トイレも、職員用の男子トイレも結局美代子さんはいなかった。
秘密を話してくれた拓がほんの少しだけすっきりしたような顔をしているのを、僕は羨ましく思っているのかもしれない。
教室へ戻ると、未由が疲れた表情で座っていた。
「おかえり。そっちはどうだった?」
「いや、男子トイレにはさすがにいないだろ」
拓が苦笑いをする。
「こっちもいなかったのよ。本当にどこ行っちゃったんだろう」
未由が心配そうに言う。確かに、もう辺りは暗いのだ。
「夕暮れどきの魔女ではなさそうだよな、もう日も暮れちまっているし」
拓がそう言って僕を見る。
「そんなこと言ったら、童話の中の魔女は、夜に人を攫うのよ?」
未由がいきなり不吉なことを言う。
「はっ、現実にいるとは思えないけどな」
拓が笑って見せる。確かに、魔女なんているわけがないと思う。だからこそ、昔から誰かが連れ去っているのか?一体、何のために?
「美代子さんが自らいなくなったのでないならば、本当に誰かに連れ去られているのかもしれない」
憶測で話してはいけないのかもしれないが、僕が思ったことを口にした。
「じゃあ、菜々かもしれないあの腕みたいに、美代子さんの腕が明日、見つかるかもしれないのか?」
「拓、やめてよ。まだ、菜々の腕だって決まったわけじゃ・・・」
未由が拓の話を制止に入る。
「美代子さんが言ったんだ。あれは菜々の腕だって」
拓の口調が荒くなる。
「菜々と同じ腕時計をした人かもしれないじゃない」
未由が言い返す。確かにその可能性に賭けたいが、状況からみて菜々である可能性の方が極めて高い。
「・・・ここで、もめたって仕方がないでしょう」
未由が少し悲しそうだ。こんなとき、壮ちゃんだったらどうしたろう。
教室の後ろの棚に立てかけて置いた壮ちゃんの写真を見る。
「・・・僕たちで何か情報でも何でも調べられないかな?」
「一体、どうやって?」
拓が不思議そうに言う。この山火事は不運だけど、逆に少しラッキーだったのかもしれない。ここには・・・
「今、ここには当時のことを知っている人たちが、沢山いるじゃないか」
僕がそう言うと、拓と未由が顔を見合わせた。
交番の尾畑さんに、昔からこの辺りに詳しい人はいないかを尋ねたところ、風鈴と言う屋号のおばあちゃんが詳しいと言っていた。
「あんまり、変なことに首を突っ込まないんだぞ」
と、交番の尾畑さんから釘を刺された。
拓と未由と三人で聞きに体育館へ行く。もう夜も遅くなってきているから、おばあちゃんだったら寝てしまっているかもしれないが、行くだけ行ってみよう、と向かう。
体育館に入ると、もうすでに寝ている人をちらほら見かける。みんな避難してきて疲れているのだろう。
交番の尾畑さんに教えられた通り、ステージ前の壁際に行くと、おばあちゃんが座っていた。よかった、まだ起きている。
「こんばんは」
未由がおばあちゃんに声をかける。
「おや、こんばんは。どちら様だい?」
本を読んでいたおばあちゃんが、眼鏡をずらして僕たちを見る。
「金丸の者です」
「あ~金丸さんとこの!帰って来ていたんだね。この度は・・・」
未由が屋号を言っただけで通じる。おばあちゃんが深々と頭を下げたのでこちらも頭を下げる。金丸のおじいちゃんが亡くなっていることを知っているのだろう。
「それでまた、こんな夜にどうしたんだい?こんな大勢で」
眼鏡を下げたおばあちゃんの目が、グッと僕らを見たのがわかる。
「昔、この町で起こった誘拐事件のことについて聞きたくてきました」
未由が直球に聞いた。
「そんなことを聞きたいなんて、こんな夜に随分嫌なことを聞きにくる子たちだ・・・」
おばあちゃんが眼鏡をかけなおして、本に目を落とす。
「山火事で大変な時に、こんな質問をするのは気持ちのいいことではないのはわかっています。申し訳ありません。・・・ただ、私たちの家族が誘拐されたかもしれなくて。何か手掛かりになるようなことを少しでも聞ければいいんです。お願いします。教えてください」
未由が頭を下げた。それに倣って拓と僕も頭を下げる。
「あたしが知っていること、見たことしか話せないけどいいかい?」
おばあちゃんの深いため息が聞こえた。
「はい」
未由が大きく返事をして、こちらを向く。
三人で顔を見合わせ、大きく頷いた。
「山のてっぺんに小屋があったのを知っているかい?」
おばあちゃんが、かけていた眼鏡を外しながら言った。
「ああ、あの誰も住んでいない小屋か?」
拓が聞く。僕も覚えている。
この町で山の頂上に行くことができる坂、大鷲坂を登った先にある坂だ。
「あそこは昔魔女が住んでいたんだ」
おばあちゃんの言葉に、僕は目を見開いた。たぶん、ここにいる皆が驚いているに違いない。
おばあちゃんは外したメガネを服の袖で拭きながら、そんなことなど気にも留めていないようだった。
「やはりそれが夕暮れどきの魔女・・・なんですか?」
未由が言葉に詰まりながら、おばあちゃんに聞いた。
「ああ。私が知っているのはそうだね。あの女は子供が好きだったからねえ」
おばあちゃんの瞳の奥が懐かしさを帯びた気がした。
「本当にそのばあさんが子供を攫って食べていたっていうのかよ」
拓がドギマギしながら言う。
「食べていたのかは知らないねえ。ただ、子供が集まる家だったんだ」
「子供が集まる家?」
拓が首を傾げる。
「何故かあの女の家には、子供が集まるんだよ」
おばあちゃんがニヤリとした。
僕には、その言葉の意味がわからなかった。
「そのおばあちゃん、今は・・・」
「お前さん達の母親が亡くなった火事で、小屋ごと燃えたみたいでねえ。今はこの世にはいないよ」
未由の問いに、おばあちゃんはそう言いながら、お茶を飲んだ。
「じゃあ、今は誰ことも誘拐できないわね」
未由が冷静に言う。案外あっさりとしていた。
「聞きたいことはまだあるかい?」
未由と拓と僕で顔を見合わせた。
「じゃあ、僕から一つだけ・・・」
二人の驚く顔をよそ目に、この町に長く住んでいるおばあちゃんなら、知っているかもしれない。僕のずっと気になっていたことを聞いた。
僕は五人でした約束を破った。
教室へ戻るとき、誰も口を開かなかった。空気が悪いのはきっと僕のせいだろう。ずっと守ってきた約束を、破ってしまったのだ。
空気が重いのが、罪悪感をえぐる。
ただ、金丸のおじいちゃん亡き今なら、聞くことができるような気がしたのだ。
「僕、腕の氷の追加もらってくる」
前を二人並んで歩いている、拓と未由に声をかける。
二人の返事を待たずに、その場を離れた。
実はまだ、おばあちゃんには聞きたいことがある。
そういえば、体育館にも男子トイレがあった気がした。ついでに美代子さんがいないか調べよう。
歩いてきた廊下を小走りで、戻って行く。
ふとした違和感が、僕を包んでいく感じがした。
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